“数学”の先生を続けるわけ【6月13日(土)】
キーンコーンカーンコーン♪
6月13日(土) 朝の会始めまーす。
今日は、「ボクが“数学”の先生を続けた3つの理由」について話をしまーす。
この【朝の会】投稿で新しい挑戦をしていきます。
『数学』と一口に言ってもたくさんの分野があります。
例えば、現在中学校3年生で習うことは、「平方根」「二次方程式」「相似」「円周角」「三平方」「y=ax^2」「標本調査」です。(※正式名ではありません。)
よく「なんで数学って勉強しなきゃいけないの?」と聞かれます。
ボクは、この問いにしっかりと答えていける数学の先生になりたいです。
そのために、各分野でその勉強をするとどんなことができようになるかを自分なりにまとめて、伝えていけるように準備しておきたいです。
そんな理由で、新しい挑戦をスタートします!!
そのために、自分自身の中で、なぜ“数学”の先生を続けていきたいかを整理しておかなきゃいけないと思ったので、今日の【朝の会】では、それを伝えます。
ボクがなぜ“数学”の先生を続けていきたいか。
ボクは、先生という職業が大好きです。これからも続けていきたいと思っています。(ボクが、先生を続ける理由↓↓↓)
“先生”という職業が好きなのはわかったけど、なんで“数学”なの?
ボクは、正直に言うと数学をめちゃくちゃ勉強したわけではありません。
もちろん教員採用試験を受けて合格をいただけたので、その程度のレベルはあるんですが、そもそも自分が高校生の時に数学がわからなすぎて、数ⅢCの授業を取らなかったです。
大学でも、勉強は多少なりとしましたが、研究と言えるほどしていません。。
数ⅢCに関しては大学在学中に自分で参考書を買って勉強した程度です。
本当に、数学の先生をしているのに「このエセ数学教師がっ!!」と言われてもしょうがないくらいあまり勉強してきませんでした。
そんなボクが、なぜ数学の先生になったのか。。。
きっかけは母親ですが、結局の所「でもしか先生」です。
『でもしか先生(でもしかせんせい)とは、日本各地において学校の教師が不足していた第二次大戦終結から高度経済成長期(おおむね1950年代から1970年代)に教師の採用枠が急増し、教師の志願者のほとんどが容易に就職できた時代に、他にやりたい仕事がないから「先生でもやろう」あるいは特別な技能がないから「先生にしかなれない」などといった消極的な動機から教師の職に就いた、無気力で不活発な教師に対する蔑称である。(wikiより)』
母親がなりたかった職業が数学の先生でした。母親なりに、夢や希望がない学生だったボクに投げかけてくれたアドバイスが、
「私はなれなかったけど、もし数学が苦手じゃなかったら数学の先生にでもなってみたら?」
その言葉を利用して、担任の先生や進路を決定していったと思います。
しかし、高校の1年生のときに、魅力的な化学の先生に出会います。
もうめちゃくちゃ破天荒でした。小柄なおじさんでパンチパーマ。服装はいつもDIADORAのジャージで、かすれ声。「起立・礼なんて意味ねぇ-から俺が来たら授業スタート、帰ったら終わり」
その当時、衝撃を受けました。
その先生の影響で、数学の先生ではなく、理科の先生になろう思いました。(影響を受ける人まちがえちゃったかな。。)
で、大学は私立の教育学部へ進むのですが、、、専攻に「理科」がないっ!!!
ボクは、目先の情報にしかとらわれずに、1つの情報が手に入れば、100知った気になるシッタカくんです。。
「まぁ、教育学部にさえ入れば、理科の先生にはなれるんだろう。。」
と、たかをくくって入学したものの、その大学には国語と数学と社会と英語の専攻しか無く、「理科」専攻は存在しなかったのです。。。
絶望でした。。。でも自分の情報不足というか、そんなことも知らずによく受験したなと思われても仕方がありません。。。
母親にこのコトを悟られたくなかったので「理科と思ったけど、数学のほうが採用試験の倍率とか低いし、数学にするね」とそれっぽいうそをついたのを覚えています。
数学は嫌いではなかったけど、全然わかりません。。
でも、持ち前の要領の良さで、どの授業もぎりぎりのところで単位を取得しその大学を卒業。無事に数学の教員免許を取得できました。(気づいたら取得単位は200くらいだった気がする。。)
という感じで、ボクはそもそも自分が先生になりたかったわけではなくて、夢や希望がなく、母親の夢を利用して簡単に周りの大人たちや世間を黙らすために先生を目指しました。
さらに、数学の先生になりたかったわけではなく、理科の先生になりたかったけど、何の情報も持たずに大学へ入学したら理科がなく、まぁ同じ理系だから、という理由で“数学”の先生になりました。
いやー、この記事を書いているとつくづく自分が嫌になります。。
こんな人が先生なんてやったらダメと思います。
でも、何度も言いますが、今はめちゃくちゃ“先生”になってよかったなと思うし、これからも続けていきたいです。
そして、やっぱり今のボクはこれからも“理科”ではなくて“数学”の先生でいたいです。
その理由は3つあります。
1つ目は、数学ができたほうが信頼を得やすいからです。
数学って好き嫌いが激しくて、かなり苦手な人が多い科目です。ボクもその1人です。得意な人が少ない科目なので、できると尊敬の眼差しを受けることが多いように感じます。
【数学ができる】=【頭がいい】
こんな図式がまだこの世の中に存在してように感じます。
数学ができることがえらいっ!ってわけではないですが、多少なりと世の中は【数学ができる人】のほうが認めてくれるし、信頼を得やすいのかなと思います。
逆に、【理屈っぽくて鼻につく】パターンもありますが、、、
2つ目は、どう生きていこうとも“論理的思考力”は必要と感じているからです。
数学を学ぶことで育まれる力に“論理的思考力”があります。
(論理的思考力とは↓↓↓)
難しそうな印象を受けがちですが、実は逆で、複雑な物事を整理・分析して因果関係を解きほぐし、結論までの道筋を矛盾なく、シンプルかつわかりやすく示すことです。ある物事を、メリットとデメリットに分けて考えることがありますが、これも論理的思考力の一種です。論理的思考ができると、問題に対する解決策を見いだせると同時に、どのような思考過程を経て、その結論に至ったのかを明快に説明できるようになります。
例えば、今書いているこの記事も論理的思考力がないと支離滅裂うまく伝わりません。(だからボクの記事は伝わらない、、、論理的思考力がないから。。。)
ケータイ会社のおねぇさんもそうです。あんなに長い説明を1つ1つ順をおって丁寧に説明する。あれも論理的思考力が無かったらできません。
スーパーのレジ打ちだって、先にこれをピッとしておかないと入れるときにごちゃごちゃになっちゃう。豆腐の次に牛乳をピッっとして、豆腐の上に牛乳なんかおいたらキレられます。
これは、あくまでもボクの考え方ですが、論理的思考力は自分や相手のことを考える優しさだと思っています。数学では論理的思考力を鍛えられます。
論理的思考力という“優しさ”を数学を通して伝えていきたいです。
3つ目は、数学から夢を伝えられると思ったからです。
この3つ目が、【朝の会】で新しい挑戦をしようと思ったきっかけです。
先にも言ったように、子どもたちから「なんで数学って勉強しなきゃいけないの?」と言われます。
そう言わせてしまうのは、数学を勉強する意味をわかっていないからです。
数学はわかってもわからなくても自分の人生・夢・希望・生きがいには全く意味が無くて、わかろうがわかろまいがどっちでもいい。点数が取れればいいだけでしょ?的にしか思っていない。
数学の先生の立場からすると、めちゃくちゃ悔しいです。
おそらくですが、数学のこの分野ができるようになると、具体的に何ができるようになるとか、どんなことに利用できてどんな得があるのかが上手く伝わっていなし、教科書にはほんの少ししか書いてありません。
そんなことをこの【朝の会】でも伝えていけたらなぁと思っています。
本当に数学の先生になった理由がクズすぎて、立ち直れないぐらいへこみそうなんですが、これから“数学の先生”を続けていく理由(目標)が明確になったので、全力で行動していきたいと思います。
今日の【朝の会】は私事で無益でしたが、強いて言えば、
ボクみたいに、とりあえずクズみたいな理由でもやってみると、そこでやりがいとか意味とか夢を見つけていくパターンもあるんだよ、ってことぐらいです。
“今日もワクワクしようぜ!”
朝の会終わりまーす🎶
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