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サポートするということ

筆者はヴァンフォーレ甲府というクラブを応援して今年で15年目になる。

部活動や進学、学業などの理由で現地になかなか足を運ぶことができなかった時期はあったが、甲府サポとして応援してきた「つもり」だ。

最初に断っておくが、私はゴールド会員でもなければ、シーズンシートを購入しているわけでもない。サポーティングスタッフでもない。
毎試合現地に足を運び、声援を送ることもできていない。
まして今季に至っては、現地観戦できた試合は現時点で6試合。アウェイに関して言えば1試合である(しかも居住地である静岡での試合のみ)。

現地に行って応援することがサポーターの役目だとするならば、私はその役目を果たせているとは言えないだろう。サポーター失格だろうか?
私はそうは思わない。それでも、私は烏滸がましくも甲府サポを名乗らせて頂いている。

個人的には、サポーターに優劣はないと思っている。ただし、甲府サポを名乗る以上、1つ1つの行動や言動には「覚悟」と「責任」が伴うものだと私は思う。

公開垢であれば当然、他の人の目に触れるし、自分が意図しない形で相手に自分の思いが伝わってしまう可能性もあるだろう。
選手やその家族、クラブ関係者がそのポストを見る可能性だってあるわけだ。それを果たしてしっかり理解している人がどれぐらいいるだろうか。連日、投稿されていくポストを見ていると甚だ理解しているとは思えないポストがあり、疑問に思うことが多々ある。

先日、私も何気なく町田ゼルビアの黒田監督に関するポストをしたところ、現時点で23万回のインプレッションが付き、2000件以上の反応があった。とどのつまり、私が何気なく呟いた発言が、「甲府サポ」の意見として、他クラブのサポーターに届いてしまったのである。
独り言感覚で投稿した自分の主張が全世界に拡散されたのだ。
感覚的には「なんだもう朝かとひとりごつ」くらいの感覚のつぶやきである。私からすれば青天の霹靂とも言える出来事だった。

言いたいことを言えるのがXで、自由に表現する場なのがXだ。だから私はこうしていきたい。
私の発言が気に食わなければブロックでもミュートでもしてくれ。

それも間違いではないのかもしれない。
ただ、ミュート、ブロックしなかったアカウントには貴方の独善的なポストは届いてしまう可能性を孕んでいることを理解する必要があると思う。

皮肉なことにXには、おすすめというフォローしてないアカウントを表示する機能がある。つまり、直接的な表現を使うと、「見たくもないポスト」を見てしまうことがある訳である。

チームがうまく行かないとそういうポストも増えてくる。様々な意見が出てくる。

人間なので価値観は違って当たり前である。依然として苦しいチームの状況にも、それぞれ思いがあって意見があって然るべきだと思う。しかし、

「こういうのがサポーターでしょ!!」
「チームが辛い時ほど〇〇であるべき!!」
「〇〇なのは、サポーター失格だ!!」
に代表されるようなポストが散見されるが、このような発言は、

それって貴方の感想ですよね?案件に他ならない。サポーターにステレオタイプのようなものは存在しないのではないだろうか。

個人的には、どんな形であれ、ヴァンフォーレ甲府というクラブを気にかけ、応援していればサポーターと名乗っていいのではないかと思う。

遠方在住でなかなか現地には行けなくてもDAZNで応援してくれていれば立派なサポーターだし、特定の選手を追いかけて試合に足を運んでくれていればサポーター、仕事が忙しくて試合をたまにしか見れなくても甲府の試合の結果を見て一喜一憂できればサポーター。
例を出すと枚挙に暇がないが、サポーターの形は様々だと思う。

つまり、サポーターのあるべき姿のようなものは、それぞれ思い思いのものであり、単なるエゴに過ぎない。こうあるべきというステレオタイプ(固定観念)のようなものは捨て去った方がいいのではないだろうか。

サポーターとして、クラブをチームを監督を、そして選手を信じるというのは大切なことだが、ポジティブな言葉を並べるだけが全てではないとも思う。時には厳しい言葉をかけることも愛なのではないだろうか。(論点のズレた批判や人格を否定するような発言、誹謗中傷はこの限りではない。)もっと頑張って欲しいから、もっとやれると信じてるからこそ出る思いは、批判にはなり得ないと思う。

ブーイングにもその時々でメッセージ性があるものだと思う。もっとやれる、信じてるからこそのブーイングという考え方がある。

昨年、ホームで大分トリニータを迎え、前半を終え0-2で折り返した際にも、選手たちにブーイングが浴びせられたが、これは不甲斐ないプレーをした選手たちに喝を入れるためのブーイングであったと私は解釈している。結果として、後半に3得点を奪い、逆転勝利をしたこの試合は応援で選手を勝たせた数少ない試合だと私は思う。

基本的に私は、選手を応援で勝たせるという考え方には否定的である。決して、応援が意味のないものとは考えていないし、応援は間違いなく選手の力になっていると思うが、応援が直接結果に影響することはあまりないと思う。
どんなに素晴らしい応援をしていても負ける時は負けるし、応援が素晴らしければ勝てるほどサッカーは甘くない。

ただ、数こそ少ないものの、大分戦のような試合があるからこそ応援する価値があるし、長谷川元希のコメントに表れていたように、選手たちにも実感として感じてもらえるものになると思う。
応援は選手を勝たせるためのものではなく、後押しするためのものであると私は考えている。

だからこそ、先日の天皇杯でのウタカのブーイングに対してのコメントは、選手からああいった言葉が出た以上、考えていく必要があると思う。良かれと思ってした行動がチームを鼓舞することもあれば、士気を下げてしまうことがあることもあるのだ。行為自体の是非は私が現地に居なかったため、言及は控えたいが、できる限り、選手の後押しをして、選手が勇気をもらえるような応援をしていきたいと思う。

また、個人的には、応援というものはクラブが存在していなければ、成立しないものだと思う。

言うなれば、我々は、応援させていただいている立場なのである。地元に愛するクラブが存在していることへの感謝の気持ちを忘れてはいけない。

チームの消滅危機の時代を知る古くからのサポーターの方は、ヴァンフォーレ甲府というクラブがあることの喜びを、より感じているのではないだろうか。

ここで、もう一度考えて欲しい。
我々は、応援している「つもり」になっていないだろうか。
サポートしている「つもり」になっていないだろうか。

「現地に行かない奴が何を偉そうに。」

そう言われてしまえばそこまでかもしれない。
現地に毎試合行っている人が言うよりも説得力がないかもしれない。

もう一度繰り返すが、サポーターに優劣はないと思っている。ホームアウェイ問わず、現地で声の限り歌い、力の限り跳ねているサポーターの皆さんには尊敬の感情しかない。

ただ、だから偉いのかと言われればそうではないと思う。メインスタンドやバックスタンドで手拍子をしている人たちも間違いなく応援しているのだから。DAZNで観ている人たちもテレビ越しで応援しているのだから。応援している気持ちはみんな同じだ。

なかなか勝てない試合が続き、歯痒い思いをしている方が多いと思う。思うところがそれぞれにあるからこそ、選手個人への批判があったり、監督解任論が出たり、戦術批判があったり、さらには応援への批判があったりする。それは果たしてサポートと言えるのだろうか。

難しいところも多いかもしれないが、「つもり」からの脱却ができた時、サポーターの本質が見えてくるのかもしれない。

小学校3年生で初めて見たヴァンフォーレ甲府の試合も今や生活の一部として溶け込んでいる。私にとって、その全てがかけがえのないものだし、喜怒哀楽全てを味わわせてもらった甲府には感謝の気持ちしかない。
どんなに憂鬱な気持ちになっていても、週末に仲間たちと会って、共に応援し、試合に勝てばそんなことも忘れてしまう。
そんな力がこのクラブにはあると思う。

実はヴァンフォーレ甲府をサポートしている「つもり」だった我々の方が、ヴァンフォーレ甲府にサポートして「もらっていた」のかもしれない。

そんなことをふと考えた。

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