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【資本主義の外側で生きる】#2 電気代は抑えた。でも理想は昔の日本家屋?!

【資本主義の外側で生きる】#2 電気代は抑えた。でも理想は昔の日本家屋?!

1月の電気料金が激増したショックで、2月は慌てて生活スタイルを見直した。というか、単純にムダに暖房を使わないことにした。結果、電力使用量は184kwhと1月の半分近くまで削減。政府の助成も手伝って料金は半分の7000円になった。2月の平均的世帯の電力使用量が370kwhだから、それなりの結果だった。

それで、生活に支障があったかと言えば、実はほとんどない。人間は、「そこに便利なものがあれば使う」のであって、無ければ無いで済んでしまうものだと実感する(だから「いつもの習慣」は怖い)。

ところで、我が家の隣には、僕の祖母や両親が暮らす「母屋」があるのだけど、それはいわゆる「昔の日本家屋」だ。日本家屋の要素は、「土間」「縁側」「畳と襖」「囲炉裏」などがあるけど、「囲炉裏」以外は揃っている。

最近、昔の日本家屋の魅力=環境性能の高さを実感する。先日は、娘が風邪気味だったので、外出は控えて母屋に遊びにいった。母屋では「縁側」にて、パズルやお絵描きをして過ごしたのだが、この縁側が非常に暖かい。午前中の太陽エネルギーをたっぷり受け止めるつくりになっている。だから暖房など要らない。

この縁側、実は夏には避暑地になる。正午には日陰になり、かつ外界に開かれた空間だから、風通しもいい。亡くなった祖父は、いつも縁側で昼寝をしていた。



うちには囲炉裏がないのが残念だけど、「土間」がある。土間は、縁側と同様に、「内」なのか「外」なのか曖昧な空間で、これがとっても日本文化らしいのだけど、炊事をしたり、風呂を沸かしたりと火を使う場所だ。日が傾いた時間帯は当然、寒くなるが、ここで火を使って仕事をしていれば寒さを凌げる。

母屋では流石に炊事・調理は台所で行っているが、風呂は土間で薪を使って沸かしている。やはり祖父は、凍えた身体を風呂を沸かしながら温めていた記憶がある。

ところで、茅ヶ崎に県立の「里山公園」があり、その一角では昔の一般的な日本家屋が再現されている。この年齢になって中を覗いてみると、やはり感動がある。

昔の人は、囲炉裏を家族で囲み、団欒をしながら温まったのだろうと想像する。囲炉裏は、炊事もできるし、立ち上る煙で吹き抜けの屋根裏の木材を燻し、丈夫にする効果も持つらしい。一石三鳥なわけだ。

室内空間は、一見すると開放的で広々としているが、実際の延床面積は大したことはない。それは、襖によって、自在に空間を仕切ることができ、気温によって空間を閉じたり、開いたりできるから。公開されているのは、襖を「全開」した状態だが、寒ければ、襖を閉じれば暖房効率が上がる。これも日本人の「曖昧に開く」という知恵だと思う。



という訳で、僕らは今、電気料金の高騰に辟易としているけど、昔の人は知恵と忍耐でエネルギーを大量消費せずに暮らしてきた。今と昔、どちらが賢く豊かなのかは、実は判然としない。

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