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目指せ!サステナブルな教師#2 |総合的な学習の時間 肝はファシリテーション

7年間を経た一つの到達点


僕は、この春から11年の現場経験を経て育休に入りました。育休は、教師にとって多面的な価値を持っていると感じますが、その一つは、一度立ち止まって、自分のこれまでを振り返る機会になりえることです。

例えば、僕は7年間、中学校の総合学習の担当者として、その良さと難しさを肌で感じ取ってきました。今回は、総合学習について、これまでのキャリアを踏まえた到達点をお伝えします。それはズバリ、教師にとって重要なのはファシリテーションのスキル、ということです。

総合学習と各教科学習の間に横たわる分断


順を追って説明しますね。まず、私たちが教育の目的として自律性の支援を掲げるとき、その自律性の構成要素として、課題解決力が想定されていると思います。私たちは、自分で課題を解決して行ける人を自律的だ、と感じます。

そして今、コロナ後の変化が激しい社会となってますます、課題を自ら解決する能力が重要になる、という言い方が多くされています。例えば、切実な問題として私たちの今後のキャリアを考えていくと、人工知能の急速な発展によって、なくなる仕事と新たに必要となる仕事がたくさん出てくる。すると、人生の重要な課題として「自分の能力を社会にどうやって活かしていくか」という課題をたびたび解決していかなければならない訳ですね。

さて、そういう未来を想定した時、総合学習の持つ価値は本当に大きいと思うんです。

なぜなら、総合学習は、各教科の授業と異なり、課題も答えも教師が決めない学習だからです。ここは各教科学習との本質的な違いです。課題と答えを定めるのが、教師ではなく生徒であるわけです。これは社会で実際に直面することと同じような学習になっているわけです。

では、そういう総合の本質を踏まえた時、教師にとって重要になるスキルは何か。

ティーチングではないのは確かですよね。教師ができるのは、自分も答えを知らないわけなので、生徒と一緒になって思考を深める手助けをするしかない。知識量で優位にあるわけじゃないので、当然の帰結です。では、その手助けとは何かと言えば、ファシリテーションです。つまり、問いを使った思考や対話の促進です。「君はどこに問題を感じる?」「問題の根っこはどこかな?」「僕らがができることって何かな?」こういう問いを生徒の状況に応じて使いこなしていく。

しかし、私たちは未だに、従来のティーチングモデルからアップデートを図れていないように見えます。総合学習で、どうやって生徒と関わったらいいか、自信が持てないことも多くないですか。なぜそうなってしまうのかと言えば、それは多分、総合学習と各教科の授業スタイルに大きな分断が横たわっていて、その溝を埋めることができていないからです。

もう少し具体的に問題を描写すると、総合学習の指導で、教師が傍観者になってしまう。自分に答えがない、となった時に、何をすればいいのか分からなくなってしまうんです。あるいは、総合学習でも上から目線でリードしてやろうと答えを誘導してしまう。

授業準備の側面でも、迷いがあると思います。「ちゃんと教師が情報を得ていないといけない」という思い込みが、却って教師の学習を重たくしてしまいます。確かに、教師は総合学習で扱う領域について、概念的な理解を求めた方がいいでしょう。気候変動の問題、プラスチックの問題、人口減少の問題、ビッグデータやAIなどテクノロジーの事柄などなど。

しかし、自分が生徒よりも先にいなければ、と頑なに考える必要はないです。自分の頭の中だけで生徒を学ばせようとしたら、生徒の可能性を狭めてしまいます。そうではなくて、一緒になって学んでいけばいい。しかし、教科学習のように、「教師は知っていなければならない」と考えてしまう。でも、それはすごく大きな負担になるので、結局、馴染みのない領域について情報を集めて理解していくことを嫌厭してしまう。

あるいは、学校レベルで観察すると、総合学習は扇の要としていまだに認識されていないようです。コロナ禍の影響で削られた授業を回復しようとなった時、総合学習は、さしたる議論もなしに各教科学習に代替されました。年度末に提案する総合学習のカリキュラムが特別に検討される感じもありません。総合担当者の出張で、地域で集まると、若手も多く、教務主任クラスの先生はあまり見かけません。結果的にどうなるかと言えば、総合学習が各教科を束ねることができず、相変わらずコンテンツベースの授業つまりティーチング優位の授業になってしまう。

ここは見方を転換して、総合学習の指導スタイルを各教科でスタンダードにしていこうと考えた方がいいと僕は思います。それはつまり、探究活動に応じた問いを、その場その場で生成して、一緒に考えていく指導スタイルです。

問題は何か。まとめると、総合学習は生徒が生きる未来を考えれば明らかに重要なのに、教師は総合学習の授業で、教師は適切な関わり方ができないでいる。学校レベルで言えば、総合学習がカリキュラムの中核を形成できていない。それは自分の教科の指導と総合学習の指導スタイルの間に分断があるから。具体的に言えば、ファシリテーションが十分に機能していないから、となります。

3 ファシリテーションのスキルを高めるために


それでは、どうすれば私たちはファシリテーションのスキルを高めることができるでしょうか。これは教師にとっての学習に他なりません。学習の成立をどのように捉えるか、いろいろなモデルがありますが、ここでは、モチベーション、マインドセット、メソッドの3つのMの視点で考えます。

まず、モチベーションですが、ここまでに述べてきたようにファシリテーションスキルの習得は総合学習と教師にとって非常に価値があります。つまり、生徒の探究活動を強力に支援していくことを可能にします。

また、ファシリテーションのスキルを身につけると、各教科の授業でも主体的で対話的で深い学びを支援しやすくなります。問いかけは、まさに個人の主体性を引き出し、対話を促進し、深い学習に至らせる力を持つからです。さらに言えば、今後の社会の変化を推測すれば、学習は益々、探究学習に重点が置かれることになるので、ファシリテーションスキルの向上は不可避とも言えます。このように価値を考えると、ファシリテーションスキル習得のモチベーションを高めることができると思います。

次にマインドセットです。これは、学習への基本的スタンスのことであり、学習という行為のベースにあるものです。「私は変われる」「私は学ぶことができる」「教師は学び続けるべきだ」このような信念が心にないと、ファシリテーションに興味を持っても学習行動は生じません。

ここは難しいところですが、直感的に思いつくアイデアを述べるならば、小さなトライを日常の中にしてみる、ということです。私たち教師は忙しくて、新しい情報を入手する余裕、その情報(アイデア)を実践しようと計画する余裕、それを振り返って評価し継続する余裕がなかなかないかもしれません。これは学習経験が日常の中に成立してないということであり、そういう日々を送れば「自分は学ぶことができる」と胸を張って言えなくなってきます。一種の学習性無力感と言えるかも知れません。そこで、そういう揺らぎに抗う、打ち消すつもりで、小さなトライをし、手応えを経験するように行動するといいと思います。メタ認知的な行動を起こすということです。

では、どんなトライをすればいいのか。そこで3つ目のメソッドの話になります。「自分は学習できる」というマインドセットの問題は、領域に縛られず、どんなトライでもいいのですが、ここでは今回のテーマであるファシリテーションに関するアイデアをご紹介します。

最近、僕は探究の状況ごとによく使用するファシリテーションを整理してみました。リンクから参考になさってください。

例えば、解決したい問題を決定する段階では、感情に焦点を置いた質問をする、異なる問題への興味を比較する、と言ったアイデアを紹介していますし。

また、問題から具体的なアクションを設定する段階では、「なぜ、を繰り返して、問題の急所を探る」「問題を部分に分解して、問いをつくる」といったアイデアをご紹介しています。他にもたくさんのファシリテーションとして使える問いのアイデアを載せていますので、何か使ってみようというものがあれば、ぜひ試してみてください。


また、ご自身の授業でも探究的な授業をデザインしてみてはどうでしょうか。つまり、生徒が課題を定め、生徒が答えを出す学習文脈を用意するのです。教師も答えを知らない状況となれば、必然的にファシリテーションをするようになります。思考力・判断力・表現力を見るパフォーマンス課題として想定すれば、必ずしも大それた実践ではないと思います。

もちろんこのように口で言うのは簡単だとわかっているのですが、総合学習と各教科の分断を解消し、往還的なつながりを形成するためには、欠かせないことです。各教科で普段から意識している指導を、総合に生かしていく、という視点がもっとあっていいと思います。

ということで、どのようにファシリテーションのスキルを向上させるかについて、モチベーション、マインドセット、メソッドの3観点からお話しました。総合学習への想いは色々とあるのですが、中でも、この7年間での到達点として僕が一番、重要だと感じたのが、教師のファシリテーションスキルの向上でした。皆さんのテーマの一つとしていかがでしょうか?

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