大村まさし

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僕のこと、noteのこと

いわゆるプロフィール的なことを書こうかと思います。 僕は生まれも育ちも現在地も宮城県の生粋の宮城っ子。 宮城と言えば「牛タン」が有名でしょうか。 最近は「マーボーやきそば」なんかに力を入れていたりします。 県庁所在地はご存知「仙台」。 仙台と言えば「伊達政宗」ですが、彼が作ったとまことしやかに噂される「ずんだ餅」と呼ばれる枝豆を餡にしたお餅があったりします。 でも僕はちょっと苦手です。 仙台中心地は都会化が進む一方、車をちょっと転がせば田園風景広がる田舎景色が見れたり

    • カロリーメイトの美味しい食べ方から

      カロリーメイトってあるじゃないですか。 あのカロリーをメイトするっていうあれなんですけれども、僕はもっぱらフルーツ味を好んで食べます。 今年に入ってからもいくつ食べたか百から先は覚えてないのですが、冬場に車に乗せて寝かせてから、朝になって食べて気付いたことがあります。 カロリーメイトって冷やすと美味しいんだなって。 味は変わらない。 変わるのは硬さです。 冷えて硬くなるのです。 硬くなるとなんともクッキーみたいな食感になって、僕はこれくらいの食感を求めているのだという

      • 大事なお休みで何もできなかった理由

        この間、突発的なお休みがありました。 せっかくのお休みをあなたはどのようにお過ごしますか。 どこかに出掛けるでしょうか、あるいは家に引き篭もるでしょうか。 僕はやりたいことがいっぱいあります。 どこかにも出掛けたいし、家に引き篭もりたくもあります。 様々なことに興味関心がありますし、技術的に向上したいことも沢山あるのです。 ともすると、お休みなんてのはそのいくつかに十分な時間を使えるわけであり、僕としてはワクワクとしてしまうある種のイベントなんですが、現実はなんだかんだダ

        • 僕の映画の思い出たち

          僕が映画好きというのは恐らくプロフィールをご覧になられた方にはよく伝わっていることと思うのですが、もしかしたら伝わってない人も中には少しだけいるかもしれないなーと一抹の不安を覚えたので、ここでもう少しだけ掘り下げてみようかと思います。 僕と映画の出会いは、という程の思い出は特にございません。 僕がこの世に生まれて落ちてから、気付いたら映画というのは当たり前のように存在するものでした。 僕が幼少期の頃はまだまだVHSが主流で、市販されたものだったり、テレビ放映されたものを録

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        • 映画系
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          別に書きたいときに書けばいいから

          離れたnoteをまた書き始めたとき、「毎日書く必要はない」とは考えてて、自由気ままに書いていくつもりだったのだけれど、いわゆるSNSの呪いとでも言いましょうか、結局「毎日書かねば」みたいな気持ちに急いている自分がいることに気が付きました。 誰かの何かが気になるし、自分のことも気になるし、書かなきゃって急いてもなかなか書き出せないから焦るしで、要するに落ち着かないのです。 元々毎日一生懸命に生きる中で、思ったこととか気付いたこととか、そういうものに出合ったときに書き留めるよ

          別に書きたいときに書けばいいから

          これが幸福だと思うこと

          僕はこう見えて扉を開けてあげるタイプです。 誰かが扉を開けようとしたタイミングで僕が先にいたり、先に開けたりしたらそのままその人をスッと通してあげるの(きゃっ)。 でもいつだかその通してあげた相手が女性だったことがありました。 僕なりに何気ない行動だと思ったのですが、果たして本当にそうなのだろうか?となんとなく考えたのです。 というのも、その相手が女性だったから何かこう「レディーファースト」的な発想でやってるんじゃないか、というようなことが過ぎったのです。 何気ないんじゃな

          これが幸福だと思うこと

          好きな写真が邪魔をする

          僕は写真が結構好きです。 どうして好きなのかを考えると、単純に思い出ってやつが好きな思い出野郎Aチームに所属してるってだけなんだと思うんですけれど、思い出を作ることよりも写真を撮ることが目的になってしまうことがままあります。 目の前に素敵な景色が広がっているのに、心に残るのは写真で見る画になってしまう。 これではつまらない、あまりにもつまらない。 本末転倒ではあるまいか。 『LIFE!』という映画でカメラマンが出てきて「シャッターを切ることすら勿体無く感じるときがある」

          好きな写真が邪魔をする

          「僕の勝ち!」ってことにしとこう

          ハロー、note。 この前、チンパンジーが人間と卓球をしている、というフェイク動画をテレビで見ました。 あくまでもフェイクなので、実際にはやっていないらしいのですが、その映像を見てふと「動物に勝敗という概念は教えられるのだろうか」ということを考えました。 というのも、卓球に限らずスポーツ全般ルールがあり、勝敗がつくものかと思います。 何かしらで競い合って、何かしらの基準に従って勝敗がつく。 勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。 そういう気持ちって動物にもあるのかしら。 ある

          「僕の勝ち!」ってことにしとこう

          小当りでした。

          小当りでした。

          文章を書く意味なんかないように思われたときに読み返したい文章という意味のある文章

          ハロー。 何か文章を書くにあたって「意味なんかあるのだろうか?」ということを考えてしまったりします。 恐らくnoteに(頑張って)文章を書いてる人の中にもそういう気持ちが一度や二度と言わずチラついたことがあるという人が、一人や二人と言わず沢山おられるのではないでしょうか。 例えば日記を書いてみるとして、果たして何故日記を人様に公開するのだろうか、別にアナログのノートに書けばよいではないか、って。 何か世の中に伝えたいことがあるとして、一体誰が見ず知らずの自分の話を聞くと

          文章を書く意味なんかないように思われたときに読み返したい文章という意味のある文章

          日記としてのnote。

          ハロー。 ずっと前にアカウントを作って、書いたり消したり、書いたり消したりして、最終的に何も残さないで放置していた恥ずかしいものなのですが、思い立って日記なるものを書いていこうかなーと筆を執ってる次第であります。 noteというものが一般にどういう風に使われているのか、実際のところよくわかっていないと言いますか、こんな駄文を書いて人様の迷惑にならないのだろうか、という一抹の不安はありますが、とにかく何か書きたくなったので書いてみます。 最近スマホをいじりすぎだなーとよく思

          日記としてのnote。

          しゃっくりが止まらない

          ハロー。 昨日の夜、『星のカービィ ディスカバリー』という最高にキュートでハッピーなカービィのゲームを優雅に呑気にやりながらポップなコーンをお鍋でポンポン鳴らしてムシャリムシャリと食べていた僕はなんだか喉がカラカラに渇いてしまったものですからここは一丁もう贅沢にクラフトコーラなる物をひっかけてやろうと思い立ちグビっと飲んだのです。 そしたら一口飲んだだけでしゃっくりが止まらなくなったのでした。 恐らく30分くらい身体をビクビク痙攣させたのち、なんとか日常を取り戻したのです

          しゃっくりが止まらない

          家族に自慢されたいお年頃

          ハロー。 もし僕に娘がいたらどんなお父さんになろうかな?と考えることがあります。 別に娘どころかそもそも子供が生まれる予定なんてないんだけれども、もし仮に生まれるとしたらよ?君はどんなお父さんになりたいのさ?と自分に問うのです。 いろいろ考えましたが、ひとまず「自慢のお父さん」にはなりたいものですね。 これは娘に限らず息子であったとしてもそう思うわけですが、とにかく自慢されたい。 自慢されたら僕も嬉しい、というよこしまな思いはあるけれども、子供が誇らしげに思ってくれている

          家族に自慢されたいお年頃

          僕の夏と冬とすっぽんぽん

          ハロー。 冬は寒くて嫌になっちゃいます。 昔、僕は夏か冬かどちらが好きかと聞かれたら自信を持って冬と答えていました。 でも今は夏の方がマシかもしれないなーと日々感じています。 昔の僕の考え方はこうです。 寒いだけならいくらでも着込めるのだから対策のしようがあるけれど、暑いのはすっぽんぽんのすっぽんぽんち、からは脱ぎようがないのだから対策にも限界がある。 ましてや日常的にすっぽんぽんになんてなれないのだから実際のところ限界はもっと近くにあるであろうがこのやろう。

          僕の夏と冬とすっぽんぽん

          引っ込みがちな僕

          ハロー。 僕は、誰かと誰かの会話に割って入るのが苦手です。 例えばその話題が僕の好きな映画の話であったとしても、その二人が楽しそうに話していれば話しているほどに、僕なんかが入って良いものではないように思うのです。 きっとそこで話は完結していて、空気は完成していて、それ以上は特に求めておらず、なんならしっかり楽しいものなんだから、僕が入って更に楽しい気持ちが溢れるなんてことがあるわけもなかろうなどと、卑屈ながらも思ったりするのです。 その辺り、他の人はどんな風にお考えな

          引っ込みがちな僕