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2020-JUN-18「自分の可能性の棚卸し」

まえにも書いたようなことだけど、また意識にのぼったので、もう1度書きます。

もの心ついたときから、ため込んできたものを、一気に捨て、売り払い、片づけてみたのですが、その作業の最中に目にした物たちは、自分のやりたかったことの歴史の塊でした。

どれもがなにひとつ、人をアッ!と言わせるようなことを達成することができなかった。
広間にかたまったギターや空手道着なんかを目にしたあとに放った母親の一言。

「あんたはいろんなものに手を出してきたね」

本人にそんなつもりはなくても、こう言っているように、僕には聞こえた。

(いろいろやったけど、なんにも達成できなかったね)

これはこの半年間、ずっと自分自身にぶつけてきた批判の言葉だった。
たしかに、僕は人に自慢できるようなことを何ひとつ成すことができなかった。
あらゆることに手を出して、それらに必要なものを揃え、そうしてため込んだものを山のようにまとめて眺めてみると、それらからも責められているような気分になった。

今日、僕はそれらを処分した。

自分の所有していたものを手放して、もっとも感じるのは、自分の可能性への執着が消えたことだ。
とてもスッキリした気分になった。
あとは残ったもので勝負していけばいいのだから。

幅広く捉えていた自分の可能性は自分の所有物に比例していた。
所有物を減らすことで、可能性は狭まったが、その分エネルギーの比重は高まるはずだ。身軽になったことで、またかろやかに走り出せる。

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