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2020-JUN-10「アナログ記録とデジタル記録」

日記を紙に書かなくなって、久しい。
数年前から日々の出来事のすべては完全にコンピュータに記録している。
もちろん手書きもする。
それでも適当なメモ用紙に書いたものだから、コンピュータに打ち込むとさっさと捨てている。

だからここ数年、紙の記録物はほとんど溜まらなかった。
それが、ここ数日、転居準備のために所有物の整理を始めると、出てくる出てくる。ノートや紙の束。
神経質なタチなもんだから、いちいちそれに目をとおして捨てるものと、残すものに選り分けている。

そんなことをしていると、やっぱり読み込んでしまう。
NYに滞在したときのモレスキンのノートブックなんて連続、数時間もかけて読み込んでしまった。
日本を出発してから無事に帰国するまでの自身の記録はロードムービーを眺めているような気にさせた。
そして思った。あのとき些細なことまで、ノートに書き込んでおいてよかったと。

10年前に記したNYの滞在日記をはじめて、僕は読み返した。
もしこれをデジタルに記録していたら、転居を機に再読することはなかっただろう。ハードディスクを持っていけばすむことなんで、整理なんかする必要がないからだ。

しかしノートブックのようにアナログ記録だと現実にモノとして、そこに存在しているがゆえに持っていくかどうか確認する必要に駆られる。

そうして半ば強制的に、僕自身が通過した過去を追体験して、ひとつの物語を読み終えたような気分を味わえた。
いつでもどこでも読めるという閲覧性の高さと、荷物が増えない「デジタル記録」一辺倒だった僕を一考させる豊かな時間だった。

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