見出し画像

2020-JUN-2「じぶんの領分」

寿司屋は寿司だけ握っていればいい。
建設会社はビルを建てていればいい。
警察は治安を取り締まっていればいい。

天下国家のことは政治家に任せていればいい。
この国のことや世界情勢について知ることは、大手メディアの情報に頼っていればいい。

社会のほとんどの人が、大きな流れを変える術を持ってはいないが、、
いまの時代、SNSなどで意見を表明することはできるようになった。

それでもほとんどの人は、この社会の大きな流れを知るために、勉強をしたり世界のことを考えるには、時間が足りない。
それは日々の糧となる仕事に時間を費やしているからだ。

政治家は多くの時間をつかって、社会のルールをつくるための仕事をする。
大手メディアは毎日たくさんの時間をつかって、世界の情報を知らせるための仕事をする。

そういったことに多くの時間をつかえないほとんどの人は、政治や社会、世界の情勢について考えたり、発言する資格はないのだろうか?

僕は空いた時間をつかって、そんな大仰なことを考え、文章にまとめている。
そして、時折、テレビをみてニュース番組で政治家やキャスターが討論しているのを目にして思う。

この人たちは、そんな大仰なことの専門家だ。大きなことを学ぶことに多くの時間を割いている。
この人たちは実際に自分の意見を社会に実装できて、実際に自分の意見を多くの人々に発信することができる。
この人たちを眺めるときに、けっきょく自分は無力な存在であると思わされる。

有名な大学を出てもいない。
教養が必要とされる職業についてもいない。

そんな人間が人類の文明史が書かれた本を読んで、いったい何になるんだろうか?
面倒くさいことを考えて、自分なりの答えを、文章にして出してみたところで、それは空[くう]に絵を描いているようなものだ。

僕のような知識人でもない者は国のことや、世界のことや、そんな大仰なことを考えてみたところで、それは「自分の領分」を大きく外れており、手に負えないものだから手を出してはいけない。と、自分を諭してみる。

それでも、自己の内的な部分、そこには意味があるんじゃないか。
そう励ます自分もいる。

世界中で飢えた人々をゼロにすることはできなくとも、飢えた人々がどういう仕組みで飢えているのかということを知ることはできる。たとえ、飢餓問題に取り組む組織をつくらなくても。

資本主義の歪みが現在の強烈な格差を生み出していることを知って、格差を是正できるような仕組みを生み出せなくても、現在のゆき過ぎた社会の消費システムを冷静にみることができる。たとえ、共産主義者にならなくても。

だから、僕は学びを深めた個人の集合体が世界を変えることができるんだ、というつもりもない。
昔はそう思ったけれども、それはたぶん僕の幻想だ。

いまはこう思う。
日々、懸命に「自分の領分」のなかで働き疲れながらも、世界の大きな流れを知って考えることで「僕らは地球という乗り物に乗っているんだ」という結論に着地するだけでいい。

それはかけがえのない真実であり、そのことに気づくだけで、今となりにいる人にやさしくできるかもしれない。

目の前にいる人にやさしくできることが、世界を変えようとして多くの人を傷つけるよりもずっと偉大なことなんだ。きっと。

いただきましたサポートは、この列島に拡がる3つの文化圏を巡る旅『MARGINALEDGE project』のための活動資金につかわせて頂きます。