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大清西部劇 第十話 帰路

●10.帰路
 林たちはトロイカに金塊を積んでいた。アフメットが負傷し、アフメットの手下一人が死んだが、なんとか無事に戻ってきたことに御者は目を丸くしていた。
「あんたが、逃げ出してないかと冷や冷やしていたよ」
石が御者に言うと、滅相もないという顔をしていた。
「逃げたら、追いつめて殺すしかないからな」
アフメットがドスの利いた声でからかう様に脅していた。
「それじゃ、本庄が隠れている所に寄って帰るとするか」
林は、笑顔で御者に呼びかけていた。

 往路に難儀したぬかるみの道は、冷え込み凍り付く夜のうちに通過したので、帰路は時間を食わずに済んでいた。トロイカは順調にシベリアの大地を駆け抜けて行った。

 林たちが乗ったトロイカが、ビイスクの町の入口付近まで来ると、ゆっくりと停車した。
「あそこをどう通り抜けやす」
御者は、見通した先にある検問場所を見ていた。
「警察部の検問か。金塊強奪の件は、もうここまで伝わっているのか。思ったよりもロシア国内の治安は悪くないようだな」
林は皆に聞こえるように言っていた。
「林、どうする。調べられたらすぐにバレルぞ」
アフメットはトロイカの荷台の括り付けられた木箱を横目で見ていた。
「取りあえず、引き返して考えるか」
「林、農奴解放で治安が悪くなっていると踏んでいたのだろう」
石は意外なことを言い出した。
「石、あんたもロシア内情は知っていたのか」
「まぁ、巡察隊では近隣諸国の情勢も耳に入るからな。しかし確かに連絡網は機能しているらしいな」
「電信線は見当たらないから、俺らが見せかけている駅逓馬車による連絡ってことか」
林は考えを巡らせていた。

 「命令書を偽造するだってぇ。どうやる」
アフメットは目をぎょろつかせていた。
「ビイスクの一つ手前の駅逓所に戻ったって、命令書があるかや、どんなものかもわからないだろう」
石は静かに言っていた。
「さっきの検問所なら命令書があるんじゃないか」
「あるかもしれないが、見つけられるか」
石は半信半疑の顔をしていた。
「夜になったら、忍び込んでみる。御者のイワノヴィッチも連れて行く。ロシア語が俺よりも堪能だろうから」
林が言うと御者はびっくりした顔をしていた。

 この日の夜は月は出ていないので、星明りが頼りであった。林とイワノヴィッチは、野宿しているトロイカの所から検問所に向かった。
「旦那、あっしも内務省警察部の命令書がどんなものか知りやせんぜ」
イワノヴィッチは申し訳なそうにしていた。
「大丈夫だ。何とかなる。命令書と書いてあるものを探せば良いだけだ」
林が言っても不安な顔はさらに曇るだけであった。

 検問所には松明とランプが灯されて、夜のとばりに明るく浮き上がっていた。警官一人が立哨していた。林は酩酊状態のふりを急にし始めたので、イワノヴィッチは驚いていた。
「さ、お前も酔ったふりをしろ」
林はささやいていた。
「へい」
 二人の酔っ払いが立哨している警官の前を通り過ぎようとした。
「おい、そこの二人待て。ここでは検問をしている。町に入るからには検めるぞ」
警官が強い口調で呼びかけてきた。
「何ぉ。農奴は開放されたんだ、俺は自由の身だぞ。文句あっか」
林はろれつが回っていなかった。
「農奴解放、農奴解放」
イワノヴィッチも叫んでいた。
「二人とも大人しくしろ」
警官は銃剣の付いた小銃を向けた。
「おぉっと、そっちがその気なら、こうしてやる」
林は拳銃を抜いて構えると警官の足元に発砲した。
「何をする」
警官が叫ぶと奥から二人の警官が出てきた。
「こいつらを取り押さえて調べないとな」
奥から出てきた警官の一人が林につかみかかった。
「おい、誰の権限で検問なんかしている。証拠を見せろ。命令書とかあるだろう」
林は奥から出てきた警官の腹に拳銃を突きつけていた。
「どうだ。証拠がないのか」
林はさらに拳銃を押し付けていた。
「馬鹿め、皇帝陛下に逆らうのだな。おい、命令書を見せてやれ」」
その警官は別の警官に言っていた。

 「どうだ。糞農民、これでも逆らうのか」
警官は林の鼻先に命令書を突きつけていた。林はじっくりと文面を読んでいた。林たちは急に大人しくなった。
「申し訳、ありやせんでした。どうかご勘弁を」
林は地面にひれ伏した。
「皇帝陛下のご命令でもあるんだぞ」
警官は大事にそうに命令書は制服のポケットにしまっていた。
「どうか、ご勘弁を。殺さねぇでくだせぇ」
林は警官にすがりつき、懇願していた。
「おねぇげぇします」
イワノビッチも警官の足元にすがりつく。その隙に林は警官の胸のポケットから命令書を引き抜いていた。
「お前ら、いい加減にしろ。酒臭せぇ。離れろ」
警官は林たちを足蹴にしていた。
「明日また来やす。すませんでした」
「また来るとき、しらふで来い、いいな」
「へぇ」
林が駆けだすと、イワノヴィッチも駆けだして、二人は闇に消えて行った。

 翌日、林たちが乗ったトロイカは検問所で停車していた。
「駅逓馬車か。かなり遠くから来たようだが、あらためさせてもらうぞ」
警官はかなり泥汚れが付いているトロイカを見ていた。
「あぁ、あの命令書があるようですが」
御者の隣に座る林が荷台の箱から命令書を取り出した。
「何、今度は何があったのだ」
警官は折りたたまれた命令書を広げていた。
「金塊強奪犯は捕まっただと…、ふむふむ検問封鎖は解除とのことか」
警官は奥の警官たちに命令書を見せに行った。
 「上手く行きますかね」
御者は少し体が震えていた。
「ダメなら、強行突破だ」
林はマントの下で拳銃の撃鉄を起こしていた。石たちはトロイカが急発進しても良いように、しっかりとしがみついていた。
 「わかった。検問は解除だから、もう行っても良いぞ」
警官は検問の柵を開けていた。

 「急げよ。偽造がバレたら、事だからな」
林は御者のイワノヴィッチを急かせていた。もう彼の震えは収まっていた。
「意外に、上手く行くもんだな」
石は振り向きざまに遠ざかっていく検問所を眺めていた。
「ぬるま湯な態勢なんだろう」
林は皮肉も込めていた。
「林、あんたはそうとうの役者だな」
アフメットは鼻で笑っていた。

 トロイカは本庄たちを置いてきた森の辺りで停車した。そこには大破したトロイカの破片などはなくなっていた。
「本当にここだったかな」
足の傷が落ち着いてきたアフメットは道の両脇にある森を見渡していた。林と石も目を凝らしていた。
「あの大木の樹皮が剥がれているところがあるし、ヘラジカが飛び出してきた茂みの枝も折れている。間違いないだろう」
林は慎重に状況を見ていた。
「日本語で呼びかけてみたらどうだ」
石は早く行きたそうにしていた。

 「本庄、戻って来たぞ。出てこい」
トロイカから降りた林は、森に向かって叫んでいた。何度が繰り返すが、反応はなく、林の声は森の中に吸い込まれていった。
 「野たれ死んだんじゃねぇか。それとも手下と仲間割れか」
アフメットは悪態をついていた。
「森の中に入ってみよう。林には悪ぃが、死体があるかもしれないからな」
石は森の方へ歩き始めた。
「それじゃ、俺はこっちの森を調べてみる」
林は石とは反対側の森に入って行った。

 林は森のかなり奥まで入る。最近土がかき分けられたような場所が目に付いたが、熊の糞の跡らしかった。その近くに木の枝のようなものが、わずかに突き出ていた。それに気が付かず、つまずく林。転びかけたので足元を見た。人の手のような形をした枝があった。林は、それを引き抜こうとしたが、かなり重たいものだった。林は一瞬本庄の声がしたようだったので、周囲を見回した。しかし人影はなかった。再び地面の方を見ると、林の手は握手をしていた。慌てて、周りの土をどけると、無造作に放り込まれた本庄の死体があった。背中の辺りには、鋭利な刃物による刺し傷も見られた。林は茫然として、その場にしゃがみ込んだ。
「本庄、何があったんだ」
林は思わず叫んでしまった。しかしその声は森に吸い込まれていた。一緒にいた手下の死体がないかと、周りを調べてみたが、どこにもなかった。
 林は本庄の首からペンダントを外して丁寧に埋めてやると、口をへの字に曲げて歩き出した。林の叫び声が聞えたのかアフメットが、森の途中まで来ていた。
「林、どうした」
アフメットがぶっきら棒に言うと、林は本庄のスカルペンダントをぶらつかせていた。
「おい、死んでたのか」
アフメットは神妙な面持ちであった。

 林たちは停車しているトロイカに乗っていた。
「どうする林、この金塊をイスマイ家に持っていくのか」
石は箱を軽く叩いていた。
「金塊は別として、アフメットの娘さんのこともあるから、立ち寄らないわけにはいかんだろう」
「同胞の復讐か」
石は森の方を眺めていた。
 遠くからトロイカが走って来た。
「警察部か」
アフメットは身構えていた。

 走り寄って来たトロイカから、イスマイ家の手下が足を引きずりながら降りて来た。
「いゃ、ていへんでした。陸の…いゃ本庄の旦那を一足先にアルタイ地区の病院に連れて行きました」
手下は息を荒くしていた。
「無事なのか」
「はい。療養中でさぁ。ところで皆さんはここで何を」
手下は心配そうな目をして聞いてきた。
「俺らは今着いたところだ。本庄たちが出てくるのを待とうと思って、道端で小便をしたぐらいだ」
林はすかさず応えていた。
「そうですか。それは良かった。ここにはいやせんから。先を急ぎましょう」
手下はほっとした表情をちらりと見せていた。
「そうだな」
林は石たちに目くばせしながら言っていた。

 林たちはイスマイ家の手下と共にロシア領との境付近にある集落までトロイカで行き、そこで自分たちの馬に乗り換え、金塊を荷車に載せ替えてからアルタイ地区に戻った。この道中、イスマイ家の手下に不審な動きはなかったが、用心している林たちであった。
 帰路は途中、古代高昌国の故城遺跡で一泊した。そこでは一旦積み荷を降ろして、痛んできた荷車の車輪を補修していた。その後もアフメットの傷などを癒しながらゆっくりと進んで行った。
 イスマイ家のあるオアシスが見えてくると、その手下は、どことなく嬉しそうな顔になっていた。林たちは横並び、馬を常足(なみあし)にして進んでいた。

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