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【ライブレポート】「藤井風」という〇〇【Fujii Kaze LOVE ALL ARENA TOUR@横浜アリーナ】

 2022年11月。とっくのとうに「藤井風」の大ファンになっていた母が、思い切って本ツアーのチケット抽選にエントリーする際、「まあ、興味はあるから」というノリで以て同行者として申請したのは自分でもどうかと思った。しかも、初めての藤井風のアリーナツアーの、セミファイナルである2023年2月14日。そんな日を選んでしまったのだから、倍率的に当たるわけもない。

 そう思っていた。



 当たっちゃった。



はじめに――「藤井風」という人

 私が「藤井風」という人を知ったのは、2021年4月の事。愛するロックバンド・ポルノグラフィティのボーカルであり歌い手である岡野昭仁が、ソロとして初の配信ライヴを行ったその日だった。セトリのほとんどが時代を行きつ戻りつしたカバー曲という豪華な作りの中、「藤井風」の楽曲を1曲披露した。
 それが、「優しさ」という曲だった。

 カバー曲とは得てして、本人の歌ではないがゆえに「所詮はカバー」になりがちだ。原曲の持つ強さには誰も勝てない。けれど、カバーされたその「優しさ」を聴いて、「ふじいかぜ、っていう人が作るこの曲、原曲はどんな感じなんだろう?」とほんの少し興味を抱いたのがきっかけだった。そして公式MVを観て、わずかに衝撃を受けた。それが、2021年春の事。

 そして、その年の年末。藤井風は紅白歌合戦に初出場した。その時の、飾らない格好でキラキラと輝く笑顔を見せながら歌う姿を、私は時折思い出す事がある。彼に夢中にならない人がいるんだろうかという程の笑顔だった。神様さえ彼に恋をするのでは?と、らしくもなく思う程に。


 「藤井風って、どんな人なんだろう?」


1997年6月14日生まれ。
幼少期より父の影響でクラシックピアノを始め、12歳の時に実家の喫茶店で撮影したピアノカヴァー動画をYouTubeに投稿したことが、後に音楽の世界へ飛び込むきっかけとなる。
2020年5月、1st Album「HELP EVER HURT NEVER」(ー常に助け、決して傷つけないー)リリース。
2022年3月、2nd Album「LOVE ALL SERVE ALL」(ー全てを愛し、全てに仕えよー)リリース。
藤井 風が大切にしているコアメッセージを掲げた2作品は、共にBillboard Japan総合アルバムチャート”HOT Albums”並びにオリコン週間アルバムランキングにて1位を獲得した。
2022年10月、2ndアルバムリリースを記念した「LOVE ALL SERVE ALL STADIUM LIVE」と題したスタジアムライブを、音楽ライブの開催は史上初となる大阪府吹田市のPanasonic Stadium Suitaにて開催し、二日間で7万人を動員した。

https://fujiikaze.com/profile/



 公式サイトによる「藤井風」は、略歴という形ではこういう人だ。メジャーデビューという華々しい語感で表されるよりも、ふわりと吹き上げた風のように世に現れて2年。「藤井風」の人となりはそこそこに知っていても、私はそれしか知らない。ああ、とても美人なお姉さんがいる事は知っている。でも、「藤井風って、どんな人なんだろう?」

 

 それが少しわかるかもしれない2月14日。「Fujii kaze LOVE ALL ARENA TOUR」セミファイナルの地となる横浜アリーナ。この日セットリストは、以下のようになっていた……ようだ。詳しくない私は、Twitter等を駆使して調べ上げてみた。


1. The Sun and moon
2. ガーデン
3. ロンリーラプソディ
4. もうええわ
5. 旅路
6. damn
7. へでもねーよ
8. やば。
9. 優しさ
10. さよならべいべ
11. 死ぬのがいいわ
12. 青春病
13. きらり
14. 燃えよ
15. まつり
16. grace
17. 何なんw



 当日の開場は18時。その2、3時間程前の事。私は少し悩んだがグッズを購入した。
 その待機列に並ぶためにアリーナの中へ入った私を待っていたのは、冷えた体を暖める暖房と、すぐ横にある会場へとつながる扉から流れて来るリハの音だった。
 こんな間近で?こんな簡単に?思わず二度見をしたのは私だけで、他の人達はむしろ冷静だ。何人かはいたかもしれないけれど、ほとんどの人はキャーとも言わないし、線を飛び越えて扉にかじりつく人もいない。顔を赤らめそっと横目に見つめるくらい――奥ゆかしいにも程がないだろうか?

 「さほどファンではない」と自称していた私も、思わず扉をじっと見つめてしまった。ちなみに、会場内に流れるのはこの時恐らく、「青春病」だった気がする。もちろんCDの音源だったが、すぐ横の扉の中からはリハ音源であり藤井風生歌の「きらり」が流れてきていた。
 始まる前から頭がおかしくなっちゃいそうだった。もちろんいい意味で。


 開演30分以上前。
 その頃には席に着き、すでにトイレも済ませた。隣に座る母は、繰り返すが藤井風の大ファン。というより、日々忙しくならざるを得ない生活の中での唯一無二の大きな心のよりどころといったほうがいくらか正しい。前日まですったもんだが続いていたが、今日この日を迎えられて本当によかったねとどっちが親かわからない心持で時々横目に眺めた。しかし横浜アリーナ、意外と寒いです。

 すると、ファンのブログなどから情報を得ていた母が「自転車で出てくるみたいだよ」と横から耳打ちしてきた。自転車?徒歩ですらない?
 それを聞いた私はなぜか、「風くんらしい」と笑ってしまった。一見トンチキな登場の仕方だけれど、藤井風ってきっと、自転車で辿り着けるほどに近い心の距離から私達に音楽を届けに来てくるのだ。彼は自分を大きく見せない人なのだろう。


 MJなどの洋楽やユーミンが流れる中、開演を待つお客さんたちからの心地よい喧騒。スモークが焚かれた直後なのだろうか、視界は靄がかっている。それが、何十分と経っても一向に晴れないと気付いた時、「スモークではなく客電やステージを照らす照明の明るさ」によるものだったとわかった。ちょっと恥ずかしい。


OP

 音楽が鳴りやみ、客電が落ちた。心地よい喧騒は去り、途端に待ちに待った期待をまとう歓声へ。

 スクリーンに真っ赤な夕陽が映る。私達に背中を向けた、藤井風が映し出された。風は吹き、藤井風の黒髪や白い服の襟を揺らす。

 そうして、ストリングスが奏でるメロディーが流れ始め、ステージ上部の大型スクリーンに映る暗闇から小さな灯りが浮かび上がった。ぼんやりと照らされる藤井風。ゆらゆらと揺れる灯り、そう、自転車のライトだった。関係者入口から会場へ入場していくと、徐々にその全身が映し出される。ほんとに自転車に乗ってる!
 ゆらゆらふらふら、覚束ないハンドルさばきでも笑顔で漕いでゆく藤井風。乗っているのは自転車、むしろママチャリといってもいい。25歳にしておじいちゃんのようなユルさ。客席からの控えめな歓声や大きな拍手に応えるように、手を振り、センターステージの客の目の前を通る。ガウンのような若草色(に見えた)の服を着た、彼の笑顔を間近で見たあのへんのお客さんたち、むこう10年の厄払いができたと言っても過言ではないんじゃない?

 そしてぐるりと外周を回りつつ、恐らく自転車を降りてステージへ上がり準備を整えているであろう藤井風が次に現れるまで、また夕焼けを見つめこちらに背中を向けたままの藤井風が映し出される。
 サウンドが大きくなり、ゆっくりと振り向いた彼の前髪がまた吹かれ、美しい目がこちらを見つめる。どこかさみしげだけれどあたたかな眼差し。赤すぎる夕焼けがそう思わせるのだろうか。

 LOVE ALL ARENA TOUR

 
 スクリーンに写された、本ツアーのタイトル。そのセミファイナルが、いよいよ始まる。


1. The Sun and moon

 スクリーンの映像が消え、ほぼ暗闇となった中から、浮かび上がってくる藤井風の姿。グランドピアノに座り、ちょっと長すぎる沈黙。スクリーンに映る彫の深い顔立ち、肉眼で見える藤井風。針を落とした音を容易に拾いそうな沈黙を破った、音。

 少し斜め上から撮った藤井風の姿が映った時、衣装が変わっている事に気が付いた。赤い血脈を一本まとったような色味の、ちょっとだけ神父を思わせる衣装に私には見えた。ここが1度目の衣装替えだ。

 母によると、この曲はオリンピックドキュメンタリー映画のために制作され使用された曲らしい。映画が酷評だったせいか定かではないが、音源化はなし。「まさか聴けると思わなかった…!」とは、帰路に着く途中の母の言葉である。


2. ガーデン

 優しく、まさに野原の風に吹かれるようなハミング。けれどだんだんと芯を持つ。それはピアノも同じだったかもしれない。

 藤井風とピアノを乗せたまま、ゆるりと回り続けるせり出したセンターステージ。語り掛けるように歌う藤井風。美しい曲だと思った。


 花は咲いて枯れ あなたに心奪われ
 それでも守り続けたくて
 私のガーデン 果てるまで

 人は出会い 別れ 失くしてはまた手に入れ
 それでも守り続けたくて
 私のガーデン 果てるまで

ガーデン サビ


 この記事を書くにあたり、改めて歌詞をググって見てみても、美しい曲だと思った。ピアノの音と藤井風の歌声が優しく会場を、一人ひとりを包み込む。ガーデンという曲名だと隣の母に教えてもらった。

 「ガーデン」披露前のMCで、藤井風は「わしのガーデンへようこそ。待っててくれてありがとう、愛をありがとう」と英語混じりで話しかけていたが、ここは横浜アリーナではなく、藤井風お手製の小さなお庭の中に招かれたのかもしれない。



3. ロンリーラプソディ

 照明がまた変わり、隣の母が「ハァッ……」と息を呑んだ音が聴こえた。きっと、母の好きな曲なのだろう。
 少し苦く切ない歌が、アリーナを包み込む。寂しさを吐露するような歌詞、けれどなぜか「独りじゃない」と思えてしまう。


 孤独なんて幻想 気にしなきゃいいの
 みんな同じ星 みんな同じ呼吸

ロンリーラプソディ 1番サビ


 ここでピアノを弾く手を止めないままでだったろうか、藤井風が語り出した。会場に向かって、マイクを通して話しかける。


 風「ポジティブだけ吸って、ネガティブだけ吐いて……綺麗なものだけ吸って、いらないものは吐き出して……」

 
 考える間もなく、藤井風の合図で呼吸をする。下手なカウンセリングより効く。これはもう、ほとんどセラピーのようだった。

 曲終わりに母に尋ねるまでもなく、繰り返されるフレーズできっとこの曲の名前は、そう、「ロンリーラプソディ」なのだろう。Lonely Rhapsody。なるほど、私たちはずっと一人だけど、ずっと独りではないのだ。


4. もうええわ

 風「この曲は、みんなと歌いたいと思うてます」


 開演前のアナウンスに「声出しの一部緩和」がされる事を、確かに聴いた。けれど、そうは言われても私の中に現実味がなかったのは事実だ。ライブというものに初めて行ったのが、ついひと月前の事。その1回から間を置かずに彼のライブに来ている。
 以前の世界を知らないものの、藤井風もまたデビュー直後にコロナにより本来の世界へ出るのに足止めをくらっていた。大声は出せないまでも、一緒に歌う事ができるまでに、ようやく辿り着けた。藤井風にとっても、初めての歓声や歌声になる。

 みんな 先が見えない夜道を
 迷い ともに歩く夜更け時
 うつむかないで 怯えないで
 閉ざした扉叩いて

もうええわ 1番Bメロ

 
「3回目の「もうええわ」で上がってください」という、丁寧すぎる指示にちょっと笑ってしまいながら、また少しワクワク度が上がる。藤井風本人指導の練習タイムを終えて、いよいよ本番。


 風「だるそうに」 もうええわ〜
 風「もっとだるそうに」 もうええわ〜
 風「もっと死んだように」 もうええわ〜

 風「素晴らしい…サビで歌ってください〜」

 
 「もっとだるそうに、死んだように」を表現して「素晴らしい」と言われる経験は、人生の中でなかなかない。それだけで得難い経験をしたように感じる。前代未聞。

 もうええわ 言われる前に先に言わして
 もうええわ やれるだけやって後は任して
 もうええわ 自由になるわ
 泣くくらいじゃったら笑ったるわ アハハ

もうええわ 1番サビ


 この曲のどこかのタイミングで「頬を包むように両手を顎に乗せ、目を閉じて微笑む藤井風」と「(今年が兎年だからか)ウサ耳ポーズをする藤井風」がいたように思う。大写しになったその様子にびっくりしてしまった。かわいい。

 ライブでの声出し規制が緩和されたのは、1月末の事だった。そもそもライブ自体がほとんど初体験な私は、「これをみんな待ち望んでいたのかもしれない」とふと思った。小さくても、声を出して歌える事はこんなにも希望だ。そして何より、楽しい。アーティストとファンやお客さんたちが一緒になって感じ合える瞬間のひとつではないだろうか。



5. 旅路

 ピアノの最後の一音まで聴かせて、拍手が終わった後。藤井風は立ち上がり、センターステージを歩き回りながら話し始めた。

 風「みなさん、孤独ですか?ハッピーバレンタイン。I'm alone」


 ちょっと笑わせるんじゃない。けれどこうしてまた少し、会場がほどけていく。そして次に語られた言葉に、私はなぜか頷いてしまった。


風「孤独は幻想。みんな一人だけど独りじゃない。人生最後にはどうせ、どうせ上手くいきます。自分を信じて。 全ての事は、どうせどうにかなる。それを信じて」

 これもまた英語を交えてだったのだが、「なぜか頷いてしまった」のは、こうした言い回しはともすれば、いや、ともしなくても「説教臭い」とか「胡散臭い」とか「うるさい」とか思われがちだ。私もそう思ってきた。それがなぜか、スッと入り、素直に頷けた。もしかしたら、時々はねのけながらも、本当は私も信じたいのかもしれなかった。


この宇宙が教室なら 隣同士 学びは続く

旅路 1番Bメロ

 
 歌詞をまともに追って聴いたのは、実はこの日が初めて。そんな、まっさらな状態の私に「We are the World」や「IMAGINE」以上に響くワンフレーズを残してくれた。世界の名曲に申し訳ないが、反省はしていない。

 僕らはまだ先の長い旅の中で
 誰かを愛したり忘れたり いろいろあるけど
 いつの間にかこの日さえも懐かしんで
 全てを笑うだろう 全てを愛すだろう

旅路 1番サビ


 藤井風って、まだ25歳なはずだ。なのに、なぜ老熟し人生を終えようとする時にしか脳裏に浮かばないような言葉を、今ここで出せるのだろう。
 歌詞の意味を理解するよりも前に、私はそう思って首をひねった。歌詞が言葉となって届くよりも先に、藤井風の歌声が、鍵盤を鳴らして響く多彩なメロディーが、自然と体へと沁み込む。

 ピアノと藤井風、それだけ。その周りをぐるりと囲む、詰めかけた彼のファンやお客さんたちをいい意味で溶かし無に帰す。ここには、少なくとも今ここには、聴いている私たちはいなくて、藤井風と音色だけが在る。だんだんと、そう錯覚してしまいそうな空間と時間だった。

 スクリーンにその綺麗な指が映し出されるたび、鍵盤を跳ねて優しく腕が伸び上がるたび、音という反を紡いでいるようだった。押して鳴らされた鍵盤から音符が飛んでいるのではなく、跳ねた指先から、伸びる腕から、音符が飛んで舞うような—―私の視覚イメージはこうだったのだ、頑張って想像してもらえればありがたい。

 そんな、もはや荘厳ともいえるオンステージ。時折ステージが回り、背中や横顔をこちらに向けたまま弾き語り、歌う藤井風。距離的に小さく見える背中が、あんなにも大きく感じる経験は多くあるようで実はそうない。確かに藤井風は高身長だが、それを抜きにしても、何か違う雰囲気をまとっていた事は確かだった。
 薄雲が晴れたようにステージの明かりが点き、MCに入る。藤井風によると、どうやらここまでが1stアルバムからの選曲らしい。となるとここからが、2ndアルバムやシングルからの選曲になってくるのだろうか。ごめん全くわからない。でも、全くわからないという状態がむしろ、楽しい!


6. damn

 まるでセラピーかと錯覚した時間が終わる。グランドピアノと藤井風のいた円形のステージの下の、シェードランプのような形のステージがネオンのように光り出しかと思うと、ゆっくりと上昇していった。世界観が180度変わる。隠れていたバンドメンバーズが姿を現し、重厚なベース音が響く。ダンサブルなイントロが流れ始めた。
 それほど大きくはないにしてもアリーナの会場が、街角の小洒落たジャズバーの中で響く藤井風のピアノソロコンサートのような箱型のように感じられていたこの会場が、時間が、一瞬にして大きく開いた。目の前を駆け巡るLED、爆音で鳴るバンドサウンド。

 思わず耳を押さえるなどという事はなかった。だって、もう楽しい!

 

 どけ そこどけ俺が通る
 やめ それやめ虫唾が走る
 だめ もうだめ全部終わる


 分かり切ったことやん今さら
 完璧とかムリやんハナから
 別に何も期待してないけどな

 だんだん遠くなったあなたへ ヘンな気持ち誰のせい
 だんだん赤くなった青さへ 責めてみても仕方ねえ
 だんだんアホになったこの俺
 どうすりゃいい どうすればいい
 あぁ 幸せって何色だったっけな
 覚えてないや

damn 2番


 曲が進むにつれ、滅多にノらない私が手拍子と共に体を揺らしている。目の前のカップルにつられたのもあるにしても、そのカップルもまた、だんだんと自然にリズムに乗っているのが見て取れた。音楽とはライブとは、いつの間にか楽しめる空間魔法なのだと思えた。


全て流すつもりだったのにどうした?
何もかも捨ててくと決めてどうした?
明日なんか来ると思わずにどうした?
全部まだまだこれからだから
いつかあんたに辿り着くから yeah

damn Cメロ


 何よりこのCメロ!徐々に再び盛り上がる会場、そしてCメロ明けの盛り上がりが最高だった。明滅するステージ照明、踊るような藤井風の歌声。「damn」という口汚いスラングを、ポップな曲調に哀愁を漂わせつつ爽快に歌いきる。リズムといい、きらびやかなダンスホールのような照明といい、自然と体がノらない理由がなかった。実を言うと、この曲のMVが上がっている事は知っていたが、なんだかんだで観ないまま今日を迎えてしまっていた。MVのサムネと曲タイトルから、ダークでサイケな曲調を想像したままになっていたが、体の奥からリズムに乗れるダンサブルな曲だった!

 最後の「damn!」で日村のような変顔をしていた藤井風に、ちょっとびっくりしちゃった。こんなにカッコよく歌っていたのに、最後の最後のキメで外しちゃうお茶目さ。きっとファンの間ではおなじみの終わり方なんだろうけど、この抜け方にはびっくりしてしまう。せっかくのハンサムを……!しかし、これぞ藤井風といえるひとつかもしれなかった。

 ジャズバーからクラブへと変貌を遂げた魅せ方。この曲をこのライブで聴いてから、あっという間に大好きになった。きらりの次に、聴きながら歩きたい。歩きながらちょっとジャンプしちゃいそうかもしれない。



7. へでもねーよ

 この曲こそがサイケかな?と想像してしまった自分の胸に問いかけてみたい。「想像通りの結果がここにあるとでも?」。始まる前から、「きらり聴きたいな〜」「青春病も生で聴きたい!」など「graceは絶対やるから」「死ぬのがいいわは外せない」などなど話していたら、damnからそのまま引き継ぐような、むしろよりパワフルに世界を盛り上げてくれる、へでもねーよ。
 口の悪い曲名だと思うだろうか?私はこれまで生きてきた中で、この台詞を吐き捨てたい気持ちになった事が何度かある。

 軋むようなギターや、藤井風の挑発的な歌声。サビ前のBメロの凪は、サビに備えて溜め込めた鬱憤かもしれなかった。


 あんたの軽いキック へでもねーよ
 あんたの軽いパンチ へでもねーよ
 あんたの軽いブロウ へでもねーよ
 へでもねーよ バカじゃねーよ

へでもねーよ 1番サビ


 このサビになるとステージを火柱が噴き上げ、炎が飛び交った。そう、火柱!!!まさか藤井風のライブで炎が使われるとは思わなかった。なぜか、藤井風のライブはそこまで派手にならないだろうという先入観があった事に、この時初めて気が付いた!サビの詞でようやく、これが「へでもねーよ」という曲だとわかったのに、「これがそうなんだ!」と笑う暇もない。
 「自分を取り巻いたり、影響を及ぼす歓迎できない出来事に、私は本当はこう言いたかったんだ」と奥底を自ら覗いてしまいそうだったロックな曲だった。とにかくステージが、藤井風がかっこいい。

 言うまでもなく、照明演出は最高だった。文章で表現できるほど覚えてはいないけれども。


8. やば。

 どこか90年代を感じさせるメロディーが、さっきまでの世界をまた作り変える。


 気付いてほしい 認めてほしい それだけの行為だった
 返してほしい 愛してほしい そんなの愛じゃなかった

やば。 1番Aメロ


 そうだ、きっとそうだった。歌詞を聴き取りながら私は心の内で頷いた。誰しも痛感した事があり、痛感したからこそ今や通り過ぎてしまったもの。その時には気付かない、小さくて大きなエゴ。

 ブラックミュージックさながらのリズムで、歌詞は切実さを伴う。藤井風の歌声と、それを彩るバンドメンバーズの音色。大サビのフェイクは圧巻だった。

 アウトロのピアノの最後の一音までが、曲名に似合わない。思わずこぼしたり嘲笑にも使われそうな「やば。」という、20代の若者らしくもはや感嘆詞となっていそうな話し言葉を提示しておいて、こんなにも切なく表現する「やば。」を他に知らないかもしれない。「やば。」の一言には実は多くの感情が敷き詰められている。



9. 優しさ

 私が「藤井風」という人を初めて知った曲であり、好きな曲の1曲。このMVの彼は、八重歯がとってもソーキュートだ。


 ちっぽけで空っぽで なんにも持ってない
 優しさに触れるたび 私は恥ずかしい

 今何を見ていた あなたの目を見てた
 優しさに殺られた あの人の木陰で

 置き去りにした愛情を探しに帰って
 ぬくもり満ちた感情を今呼び覚まして
 凍えた心が愛に溶けてゆく
 花の咲く季節が戻ってくる

優しさ 2番Aメロ〜Cメロ


 私が「優しさ」の中で好きな歌詞はこのあたりなのだが、最後の「置き去りにした愛情を」〜「花の咲く季節が戻ってくる」まではCメロだ。この後に、藤井風特大のフェイクが来る。伸びやかながら風に吹かれていきそうな、けれどもちょっとじゃ折れない青柳のようだなあと感じたのが、MVでの「優しさ」のCメロのフェイクだった。そよぎながら芯のある声。どこまでも吹き抜けていきそうな。
 それが、このライブではもっと強力で、もっと慈愛に満ち、曲名通りの「優しさ」だったように感じていた。


10. さよならべいべ

 これもまた知らない曲ではあった。だけれど、ここまでも何度も知らない曲に対して感じてきた事をまた思う――こんなに心に入ってくるものだろうか。


 さよならがあんたに捧ぐ愛の言葉
 わしかてずっと一緒におりたかったわ
 別れはみんないつか通る道じゃんか
 だから涙は見せずに さよならべいべ

さよならべいべ サビ

 

 サビでリズムよく腕を左右に振る客席と、正確に言えば目の前のカップルにならい私もノリノリで腕を左右に振り続けた。本当に楽しい。切なさを感じる歌詞を、キャッチ―なメロディーに乗せたこの曲は、泣きながら笑っているかのようだった。どこを取っても好きになった。


 演奏後、母にこっそり「何て曲?」と尋ねれば、前を向いたまま「さよならべいべ…」と答えてくれた。ちょっと泣いてない?



11. 死ぬのがいいわ

 2022年の紅白以来のこの名曲、私はとてもとても楽しみだった。紅白では圧巻のパフォーマンスで話題をさらったこの曲。ライブ中、「次はなんだろう……」と考える中、藤井風がピアノの前に座り、穏やかに奏でるメロディー。それが激しくなったその時、「死ぬのがいいわ」だとわかってハッとした。なぜなら私は、紅白を観ている。


 あたしの最後はあなたがいい
 あなたとこのままおさらばするより死ぬのがいいわ
 死ぬのがいいわ
 三度の飯よりあんたがええのよ
 あんたとこのままおさらばするよか死ぬのがいいわ
 死ぬのがいいわ

死ぬのがいいわ サビ


 つくづく思う。このサビ詞が「上京してきてドンキに買い物行った帰りに頭にシュッと降ってきたもの」なんて一体誰が思うだろうかと。

 紅白目前、NHKのドキュメンタリー番組で2度目の藤井風特集が放送されていた。今、海外で「死ぬのがいいわ」がウケている。旋風を巻き起こしている程だというが、その理由を探る――というような趣旨の内容だった。「藤井風、いざ世界へ」。そんなタイトルを冠し、死ぬのがいいわとはどういう曲なのかを本人が少しはにかんで語っていた。


 風「(死ぬのがいいわの「あなた」は)自分の中にいる最愛の人、自分の中にいる最強の人。その人にしがみつきたいと(いう歌)。自分の中の守りたい大切な自分、それを忘れてしまっては死んだも同然。誰もそんな解釈をしてないと思うんで、それがまた興味深いです」。

2022年12月5日放送 NHK MUSIC SPECIAL「藤井風、いざ世界へ」




そして藤井風はこうも続けた。

 風「自分の理想の形は見えてるのに近づけなくて、そこからの救いを求めてる。もがき。そういうことを閉じ込められてることが多いのかなと。そういう精神的なことを教えてくれる親の元に生まれてきたからこそ、こういう言葉が出てくるんかなって」

2022年12月5日放送 NHK MUSIC SPECIAL「藤井風、いざ世界へ」



 昨年末、2度目の紅白出場を控えた頃。「藤井風は宗教2世だ」という黒い囁きが突如としてあちこちから聞こえ出していた。週刊誌やSNSの文字が、彼の足元をすくおうと、彼を孤独に陥れようと躍起になっていた。
 しかし、風は風だった。
 昨年の紅白での「死ぬのがいいわ」を観た人には、諸々のネガティブを、彼があくまで軽やかに払しょくさせた事を感じたのではないだろうか。

 紅白の舞台でこれを歌っている藤井風は、凄みのある眼差しにちぐはぐのような笑み、聴く人の内側へ届けようとする彼本来の意思が歌声に宿っていた。その紅白でのパフォーマンスとステージを思い出させるような演出で、最後、藤井風はセンター席の方向へがくりと体を伏した。その周辺座席にいるお客さんたちが、ちょっと、いや、けっこううらやましいと思ってしまった。
 割れんばかりの拍手の中、一向に頭を上げない彼がスクリーンに大写しになっている状態は、さすがにだんだんと周りから戸惑いの笑い声が上がってきていた。私も、「起きて!風くん、起きて!」と笑いながら小さく叫んでいた。全然起きないんだもの。このまま暗転するのかなと思っていたところへ、その体勢でマイクを持った左手が動いた。



12. 青春病

 風「……青春の病に侵ぁされぇ…儚ぁいものばぁかり求ぉめてぇ…いつの日か粉になって散るだけ……青春はどどめ色………」


 いや、倒れたままで!?

 うつ伏せになった状態で、囁くような声量のアカペラで会場を惹き付ける藤井風。全く声がブレない。歌が上手い。倒れたままというエキセントリックなスタイルだからというだけでなく、たった今まで破壊王のような、圧倒的なステージを作り届けた人と同一人物とは思えない爽やかな歌声だった。それにしたって普通そんな体勢でそんな安定した声は出ないはずでは?歌が上手い。

 頭サビが終わる頃、「青春にさよならを」と歌いながらだったか、歌い終えてからだったか、とにかく顔を上げた藤井風は、笑顔だった。チャームポイントの八重歯を覗かせ、照明は濃い赤から夏空のようなきらめきへ。リズムに乗って体を揺らし、手を叩く私と客席。ほんとに楽しいったら。

 歌詞の中の「青春はどどめ色」というフレーズがなぜか耳に残ったのだが、「とどめ色」と聴こえていたので、帰宅して後ググったところ、「どどめ色」というらしい。「土留色」とも書き、「その名前は知られているが正確な定義のない色」の事らしい。「打撲などによる青アザの表現に用いられる」事もあるというから、あまり美しくない色なのは確かだろう。

 しかし、つまりはそういう事なのかもしれない。青春はきらめき、青春は一瞬。楽しかった日々でもあり、もう繰り返したくない青い痛みの日々でもある。「あの頃はよかった」と振り返り続けるものでもないだろう。時々浮かび上がる懐かしさ。……なるほど、青あざかもしれない。
 同じ青春はひとつとしてない、必ず過ぎ去る儚さだ。考えてみれば、ひと昔前には藤井風も青春の只中にいた。彼もまた「青春病」に侵されていた一人なのだろうか。

 ライブで聴く前から好きだったけれど、ライブで聴いてもっと好きになってしまった。この曲も本当に好きだな。しかし歌が上手いな。


13. きらり

 スクリーンにはスーツを着込みダンディーにキメた藤井風が。「今からやる曲が、damnかな?」本当になんにも知らない私は、そう思っていた。

 そうだ、この曲だ!セトリに入らないわけがない曲であり、個人的に大好きな1曲が終盤でやってきた。きらり。

 どれほど朽ち果てようとも最後にゃ笑いたい
 何のために闘おうとも動機は愛がいい

 あれほど生きてきたけど全ては夢みたい
 あれもこれも魅力的でも私は君がいい

きらり 1番Bメロと2番Bメロ


 きらりの歌詞の中で、このフレーズが私は一番好きかもしれない。この曲の持つ、どこまでも行けそうな解放感。ドラッグストアで、ラジオのCMで、流れれば思わず反応してしまう曲。その音源でも足を止めてしまうのだ、ライブの生歌では足どころかという話だ。
 手拍子や体で曲に乗る。「さらり」「きらり」と藤井風が発すれば、見えない星や花火がパチパチと咲くようだった。きらりに乗って、どこまでもいつまでも続くかのようだった。



14. 燃えよ

 「へでもねーよ」でもう出ないと、なぜか思っていた火柱が今再びアリーナを照らした。炎の演出にうってつけの曲があったじゃないか!これじゃんか!
 サビ詞にある「燃えよ」のフレーズに合わせて上がる火柱。火を操るかのような藤井風。私や、会場中の一人ひとりの奥底から「燃えよ」と何かが沸き上がってくるようだった。たぶん隣の母も。

 MVでは、赤のロングコートでひらひらと遊ぶ裾が特徴的な赤のロングコートを着た藤井風が、最後は白になって歩く姿が印象的だった。洋楽風なメロディーと魅惑的な歌声、真っ直ぐなメッセージ。対して、ライブ。まるで風を受けて叫ぶCメロがアリーナを沸かせた。

 ああ もう何も怖くない この風乗って進め 先へ

燃えよ Cメロ


 このCメロの、風を受け巻き起こし、空へ高く高く舞い上がっていくような熱い歌声に、「待ってた!」とばかりに私も舞い上がってしまった。「明日なんか来ると思わずに 燃えよ」このドキッとする歌詞は 、コロナ禍の現代だけでなく、今後もずっと私たちが持ち続けるべき旗なのかもしれない。

 アウトロで、大剣のような形のピアニカのような楽器を取り出して弾き出した藤井風は、少年のようだった。見るからに重そうなそれを、左手と右手それぞれで操りメロディーを奏でる姿は、まるでジャグリングのよう。ユニークでキャッチ―に見えるその楽器を、子どものように楽しそうに弾く藤井風から目が離せなかった。


15. まつり

 私が、藤井風を「シンプルに言って天才だな」と評してしまったのがこの曲だった。
 MVは何度か観ていたが、初見で見事に曲名に騙された曲でもある。思えば藤井風の楽曲には、こういうフックが多いのかもしれない。「まつり」という曲名から想像をはるかに飛んで、R&B調、そのまま続くかと思いきや音色に尺八や和太鼓などが混ざり、そこへ合わさるロックなエレキギター。一番驚いたのはイントロのピアノが琴の音色に聴こえたこと。何度聴いてもピアノだったから不思議である。
 どう表していいかわからない唯一無二の藤井風の歌声。ハッと気づける、力のある歌詞を丁寧に盛り込んでいる。


 
 愛しか感じたくもない もう何の分け隔てもない
 まとめてかかってきなさい 今なら全て受け止めるから

まつり 1番Aメロ


 さっそく「好き…!」と感じた歌詞があるのが、まつりだ。こんな時代、あえてリスクを選び傷つきにいく必要はない。呼吸をするだけで必死な時もある。藤井風が書く詞は、ただ「苦しい」とだけしか言えなかった私たちに、「こんなふうに苦しいんだ」という事を気付かせてくれる。
 それは「気付きたくなかった」というさらなる苦しみを感じるものではなくて、その上の晴れ間を感じさせる気付きかもしれなかった。

 真冬なのに、夏祭りに来たように皆踊る。踊りながら霧が払われていくようだった。曲終わりの「ハッ!」、藤井風も会場の皆も同じポーズをした。揃えた手を天井に向かって高く突き上げる。アリーナの天井から太陽が見えたようだった。



16. grace


 風「I am you.  You are me.  I'm so cute. because, You're so cute」 

 そんな事を藤井風から言われれば、小さく歓声と黄色い悲鳴が上がった。そうして流れ出した、graceのイントロ。藤井風の最新曲にして、「もしかしたら行き着くところまで行き着いてしまったかもしれない」と感じさせる、圧倒的讃歌。ここで、通算3回目か4回目の衣装替えだった気もする。白い袈裟のような衣装で、藤井風は歌い出した。


 graceのMVが公開された当時、最初の数秒の間で惹き込まれそうになった自分がいた。生半可な気持ちでは聴けないと、心身ともに落ち着きをみた状態で再生したところ、こう思ってしまった。「行き着くところまで行き着いてしまったかもしれない」。ライブで聴くと、よりそう思う。

 「自分へも、大切な人へも、愛で満たせるようになれたらいいな」と、自他ともに認めるあまのじゃくな私が、心から素直に思えた曲でもあった。藤井風の押し付けがましくない論や思考や人間力が、歌詞にメロディーに、全てに反映されている。恵みの雨はこの世界中に、今こそ降り注がれるべきだった。

 この曲の途中で、ダンサーたちが藤井風によって紹介された。開演のわずか30分前に更新された、藤井風のマネージャー・ずっず氏による「ずっずdiary」。そこに、本日のダンサーたちのプロフィールが顔写真と共にずらりと並んでいた。隣に座る母のスマホを覗かせてもらい、見るとほとんどのダンサーが私と同世代か少し下。つまり、藤井風と同い年や少し年下の若者たちがいたのだ。日本人のみならず外国人も多く、共通するのはあふれんばかりの生命力。時代を引っ張る力はここに集まっている。

 大体の曲で、ステージをくるくる回りながら歌う藤井風だったのだが、この曲の時は方向をこちら側に固定して歌ってくれる時間が多かった。ほとんど真正面の位置から届けられる、生歌のgrace。歌詞の、歌声の、恵みの雨を受けたようだった。

 思い返すと2022年の年末。自身のInstagramのストーリーズを更新した藤井風。ファンからの「好きな色は?」の質問に「前は赤とか黒だったけど今は透明」と答えを載せていた。「透明な色」という答え方がなんだか新しく、同時に私はその答えがずっと気になっていた。「白」でもなく、「透明」を好むようになった藤井風。graceのMVを観て、それがほんの少しわかった気がしたし、この時生で聴いて、さらにまたわかった気がした。より多くの人に聴いてほしいという思いは、ライブで聴いてさらに強くなった。


17. 何なんw


 風「え〜…早いもので、あと1曲となりました」

 
 途端に会場からはさみしげなブーイング。やだやだ、もう終わりなの?小さく駄々をこねる間に、藤井風が「この曲は、写真撮るなりビデオ撮るなり、好きにやってください」と続けた。待ってね、スマホの電源落としてカバンに閉まったのよ、ちょっと待ってね。

 と、電源を入れている最中に始まってしまったイントロ。原曲とは違うアレンジで、グルーヴ感のある藤井風の鼻歌のような歌声で始まった。まだ早い!起動しきれてないから!

 遅れる事30秒ほどのタイムラグで、どうにか収める事のできた「何なんw」。藤井風やダンサーたちやバンドメンバーズだけでなく、お客さんたちやステージがどのように照らされているかを映像に残したかった。ライブが終わってさっそく駆け込んだトイレの列に並んで再生してみたそれは、もう過去の時間の中でのものになってしまっていた。端末の狭い画面の中で、藤井風もみんなも、映っていないけれど私も笑顔だった。
 そんな、楽しくて、ちょっと感動的な時間の中、最後の最後間に合わないピアノが飛びぬけておもしろかった。あのドタバタの愛おしさ!

 帰りの電車の中で、あの最後のピアノは全然間に合っていないのだという事を母から聞かされた私は、また驚いた。ピアノが上手すぎて全く気付かなかったのだ。指が鍵盤に届く前から、もうすでに音が鳴っていたようだった。音のほうから藤井風に手を伸ばしているようだったからだ。天下のYAMAHAのピアノのほうがむしろ間に合っていないのでは!?


ED

 そのまま、「きらり」のインストゥルメンタルが流れ出す。アンコールもなく、graceのインストが流れる中、バンドメンバーやダンサーたちがキラキラした笑顔の中ステージを降り袖へはけ、藤井風一人となったステージ。
 彼はマイクを持ち、笑顔でこう声をかけた。

 風「約束して。みんな幸せに。約束してください。幸せでいてください、死ぬまで。 約束。マジで愛してます。マジで。I LOVE YOU.」


  何度もお辞儀をし、手を振り、ハートを作って飛ばしてくれた藤井風。最高の笑顔を残し、颯爽と去っていた藤井風。graceに合わせて手拍子する客席が、ありがとうと名残惜しさとを伝える。それに応えるように彼は最後まで笑顔で去っていった。いや、もう普通に言ってしまおう。帰っちゃった。

 めちゃくちゃ楽しかったのに、気が付けばあっという間に終わってしまった………。



おわりに――「藤井風」という音楽

 
 曲によって、爆発的なパワーを見せ、まさに圧倒的な力で会場を盛り上げた藤井風だったが、MCになると抜く気のない岡山弁でしゃべり、25歳らしからぬ朴訥とした語り口調で緩ませる。自分を大きく見せようとはしない人なのだろう。
 「みんな自由にしてね」「無理せんで」「トイレ行きたいとか具合悪くなったとか、遠慮せずに。座って、自由に行って。ほんまに」――彼が序盤の曲合間のMCで、センターステージを熊よろしくぐるぐると歩き回りながらかけた気遣い。これまでいくつも舞台を踏んできたからにしても、緊張を感じさせないリラックスした雰囲気。集まった世代の違うお客さんたちに抱かせる、親しみやすさ。
 そのユルさはしかし、ひとたび曲が流れ始まれば彼方へ放られ、もう別人だった。
 
 合間のMCで、「子ども〜!」と呼びかけると、親子席から「わ〜!」「かぜく〜ん!」「こっち〜!」と飛んでくる幼児の声に、まるで父親のように微笑んでこれからの成長を見守る。「若者〜!」と声をかければ、私をはじめ若者たちが一斉に手を上げる。彼らに向かって、同じ若者世代の藤井風は「わしらが頑張らんといけんのじゃけえね!」と鼓舞させつつ、ギャルピースをキメてくる。隣の母(64)はキョトンとして「今の何?」と私に尋ねてくる。ここは無視である。

 「年寄り〜!」会場が笑う。「よう来てくれました、こんなとこまで。大丈夫?」笑いながら声をかけているも、藤井風の気遣いは本物だろう。
 そうか、年齢層が上がっていったんだね……と思った束の間、「中年〜!」と自らもまた手を上げひらひらと手のひらを遊ばせた瞬間、これまで以上の笑いが会場から起きた。「そうですかぁ〜……ハイハイ、わかりました」茶目っ気あるからかいも、人懐こい笑顔でチャラだ。むしろ、中年風ファンは嬉しいんじゃないだろうか。

 藤井風らしい、飾らないMCで繋いでいった。おもしろかった。

 歌詞を知ってる曲、歌詞もメロディーも少ししか知らない曲、聴いた事はある曲、大好きな曲――そのどれもが、ライブで聴いた時が一番言葉として伝わってきた。知らない曲は、当然歌詞も知らない。なのに、耳が追えていた。歌詞だけれど、彼からの言葉だったのだ。きっと。
 歌唱中の藤井風は、一言で言うならただただすごかった。覇王のような威力を見せる事もあれば、慈愛に満ちた表情で歌を届ける事もあった。けれど、ひとつ最も印象的な事がある。

 基本的にステージ上の藤井風は、まるでたった今この世に生を受けたばかりの赤ちゃんのような顔をして歌っていた。
 
 これはきっと、彼のライブに行った事がある人しかわからないかもしれない。
 ヒゲも生えてるし(ファッションでだろうけど)、変顔もするし(普通あんなすぐに人は変顔はできない)、キュートに振舞うし(パフォーマンスだ!)、等身大の青年でまだ25歳なんだけれど、細胞から魂から清らかな人だとほとんど確信させた。得てしてそれは、常人とは異なる感性や暮らしを想像させる。買い物は、ポイント支払いではなく現金支払い。「ペイペイでお願いします」と間違っても言わなさそうな雰囲気だ。誤解を恐れずに言えば「こんなところで歌ってる場合か!?」と言いたくなるような。

 藤井風と時間を共にすると、俗世の事を忘れる。それは現実逃避ではなくて、彼が連れていってくれる世界へ。執着や恐れ、怒りや悲しみ、憂い、気がかり。そういったものは藤井風という音や言葉が優しく撫で、時にリズムに乗らせて共に楽しむ世界へと連れていってくれた。ロック、バラード、レゲエ、どんな曲でも、彼が伝える事はたったひとつ。「自分を愛する事」。私たちは悩みながら、もがきながら、時に目に見える正解を探す。そのしがらみから、自由になる事。宗教めいた考えだと、笑う人あらば笑えばいい。きっと誰も、藤井風の音楽を無視できない。

 

 そしてライブ中、何度か私が感じた事は「藤井風、歌上手すぎ………」これだった。ほぼそれしか感想が浮かばなかった事を、残念に思った事はない。本当に歌が上手く、本当に届くものが真っ直ぐ届いている時、まるで子どもに返ったように人はきっと簡単でシンプルな言葉に包まれるのかもしれない。外はいわずもがな、横浜アリーナ内は意外に寒い。足元は冷えてしまったが心はポカポカだった。初めての藤井風、2度目のライブ参戦は、私の心に風を吹かせてくれた。

 

 翌15日のファイナルを終え、ツアーの全日程が終了した次の日の2月16日、彼はInstagramを更新した。


Fujii Kaze LOVE ALL ARENA TOUR 2022-2023 終わっちゃった.
No words to express my gratitude to you❤️‍🩹さみしいし、反省もあるけれど. but our journey still goes on. だいすきです. 本当にありがとう.これからも魂で繋がっていよう,my family. 🤝
LOVE ALL SERVE ALL


 なんて愛のある人。
 
 そして私は、思い巡らせる。藤井風は、次にどこへ吹くのだろうと。

 2021年1月。ここで藤井風が新年の抱負として掲げていたのが「藤井微風(ふじいそよかぜ)」だった。その理由が、「そよ風といっても、なんかええことも悪いことあると思うんやけど、わしはみんなに気持ちよーい感じになってほしいから」
 この時、私は「素敵な人だな」と率直に思った。その風は、1年経った今もきっと、まだ吹いている。

 
 
 けれど、次の藤井風は。一体、どこへ吹くのだろう。
 どこに向かって、どこを目指して吹いていくのだろう。

 私にはその先が見えなかった。不思議な事に。とはいえ、不安に感じはしない。けれどどこか、なぜか寂しい。
 文字通り無邪気な笑顔、若いのに老成したような表情を見せたり、苦労も痛みも先に味わってきているような佇まい。藤井風に魅力を感じない人はいない。まだまだ彼の風は吹いたばかりだった。

 パンツがビリビリでも、ATMとLoppiの区別がつかなくても、音楽以外まさにポンコツかもと想像させても、世捨て人のような風格でいても――「藤井風」とは、愛であり、風であり、音楽そのものだ。音楽から一歩離れれば等身大の青年なのに、音楽と共にあると彼は途端に形が曖昧になる。ステージに上がると、「藤井風」が音楽そのものになるみたいだった。そうして彼は、名前の通り風のように歌を届ける。

 例え日本という島国を飛び出し、地球を一周する事になっても。藤井風よ、どうか。優しくも強く、派手でなくても大きな風を、藤井風らしく吹かせ、ますます輝いてほしい。あなたこそ、幸せに。あなたにも、graceを。


 そしてまた機会があれば、風くんの世界にお邪魔したい。ありがとう!とっても楽しかったよ。

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