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世界が気付いてしまった名曲。

「郷愁」「哀愁」「思慕」という日本語訳がされたポルトガル語を知っていますか?と聞いたら何人が答えられるだろうか。おそらく逆の問い方でなら、答えられたかもしれない。

「サウダージって知ってる?」

「ゆーるーしてーね、こーいごころよ?」



「サウダージ」とは本来、ひとつの単語で表す事の難しい、容易に表しづらい言葉である。らしい。「大人になって振り返る、得られないあの頃の感情」みたいなふうに思っておけばいいのだろうと思うが、この際意味の正確さなどで立ち止まってはならない。

生きていて「サウダージ」などという言葉と出会う確率は、まず、ないに等しい。よほどの読書家か博識な方なら、あるいは作詞した新藤晴一ならもう少しはっきり教えてくれるだろうが、少なくとも私はポルノグラフィティの曲名以外で「サウダージ」には出会った事はない。おおよそあなたもそうだろう。




9月3日22時00分、話題のチャンネル「THE FIRST TAKE」に我らがポルノグラフィティが出演した。どういう事態…?実は未だに理解しきれていない。ただ、世界よ、ついに本気を出してしまったのか………。

事の起こりはその前日。そっと投稿されていた、ファーストテイク公式アカウントのこのツイート。



ちょっとTLを覗いたタイミングだった。フォロワーさんが「夢……?」とつぶやいて引用RTしていたのだが、まさかスクロールするまでポルノの事と思わず、「へえ何だろう」と柔らかな心でその引用元を目にした瞬間、柔らかかったはずの心は跳ねる前に四散した。

このチャンネルは知っている。「話題のアーティストが一発撮りで自分の曲歌うんでしょ?」知ってはいるが、そんなには観ていない。とりあえず最近郷ひろみが出て2億4千万の瞳を齢65にして一発撮りで歌い上げた事は知っている。が、ここにきてポルノグラフィティである。当の本人たちも、存在とその話題性を知っているチャンネルだ。

むしろなぜもっと最初に出なかった。出してやらなかった。


この時点で何の曲を歌うかは明かされてはいない。だがポルノといえば、代表曲はいくつもある。デビュー曲「アポロ」、誰もが口ずさめるラテン「アゲハ蝶」、第三期ポルノとして確立しつつある「オー!リバル」、ダークホース「Zombies are standing out」、新曲リリース目前を記念して「テーマソング」……どれもありそうでなさそうで、いや、ありそうなものばかりが浮かぶ。3日の日を待つしかないじゃないか。何かひとつ忘れている気もするが。

翌朝のニュースのエンタメコーナーで早速取り上げられ、曲名がTwitterトレンドの上位に踊り出た。夜になる前から高い注目度と期待値を浴びる、「ファーストテイク限定の特別アレンジ」と予告されていた曲は、古の名曲であるサウダージである事がわかった。そう、これもポルノグラフィティの代表曲のひとつだ。うっかり忘れていたけど。


そうして待った3日22時00。へえー、金曜22時って今週のことだったのかあーと軽い現実逃避をかましつつ、動悸を鎮めながらスタンバイ。前日の予告の時点でかいていた脇汗は、当日のカウントダウンから再びかき始め、しかし拭う余裕はなかった。

真っ暗にした部屋の中、期待と緊張の入り混じった己の顔面を煌々と照らすパソコンの画面。歌前のゆるゆるとしたやり取りにすでに目眩がした。画面左から出てきた昭仁が「ハイ、よろしくお願いします」と挨拶しながら、まずヘッドホンを取り出し、後から出てきた晴一(照明位置の関係か顔がよく見えづらい)を指して「あなた奥ですね」とわかりきった事を言う。定位置へ向かいながら思わず「ウフフ」と笑う晴一は左手をポッケに入れてこれまたリラックスした登場だ。重ねて言うが顔が見えない。その後ろ姿に思わず「何でわろたんよ」と笑ってツッコむ昭仁。

予告動画の時点でも思っていたが、これから「一発撮り」で歌うアーティストに見えない。

このテディベアも負けるユルさ。これが常だから困る。今から君たちは何をするんだ、歌うんだぞ。しかも「一発撮り」で…わかってるのか……思わずそう言いたくもなったが、こちとら緊張でそれどころじゃない。なぜ観ているほうが緊張していて、歌うほうがこうもリラックスしているのか。これがベテランの余裕なのか。

軽い声出しをして再び「よろしくお願いします」と挨拶。音出しをする晴一。ファーストテイクにずっと出たかったとニコニコ顔で語る昭仁。「準備はいいですか?」と各ミュージシャンに語り掛け、各々の楽器を鳴らし音で答えるミュージシャンたち。最後に晴一に「準備はいいですか?」と振ると、彼は指先で答えた。このほのぼのとした空気。しかし、確実に一定の緊張感は漂っている。はずだ。そうだと言ってくれ。

昭仁「オッケー、いってみましょう」

ボーカルからの合図で音が鳴る。そこまではよかった。



昭仁「わ」





名曲・サウダージの歌い出しはサビから始まる。

「私は私とはぐれるわけにはいかないから」あまりにも有名なフレーズだ。それを何と、今回はアカペラで挑んできた。アカペラ?どういう事?一発撮りなのに歌い出しからアカペラで歌うって…そんなの……これがベテランの奥義…?

岡野昭仁の歌い出しの一音は「ハッ」とする事が多い。それが歌詞表記で平仮名だろうとカタカナだろうと英語だろうと(英語の歌い出しはない)、カバー曲だろうと、とにかく一音から惹き込まれる。と私は思っている。そこから彼特有の声の強さと滑舌の良さ、そして多くのポルノ曲の歌詞を手掛ける新藤晴一の世界観に引きずり込まれ、4分半ないし5分ちょっとの間、ポルノグラフィティの作った世界に仰向けでぷかぷかと浮く事になる。

そう、なまじ幅が広い曲を作るために、ある種独特の世界観と時間をその度に提供してくれるのがポルノグラフィティなのだ。それは岡野昭仁の歌声にのみ特化した事ではなく、新藤晴一の書く歌詞にもその力は内包されている。

ライヴでもきっとアホほど歌われてきた定番曲である以上に、歌詞も含めて名曲と呼び声高いサウダージ。アウトロのギターとフェイクこそサビではないかと私は思っているサウダージ。アホほどライヴに行ってきたファンにとっては聴き飽きた曲などないだろうし、サウダージを聴き飽きる事などない。

それを一発撮りでどう歌うのか…。と私は緊張しつつ期待していた。


今回のサウダージ(一発撮り)を聴いて、期待を超えた云々の前に、彼らに対して陳腐かもしれなくても改めて「好きだ」と思わざるを得なかった。デビュー23年目を目前にして、どうして自らの代表曲のひとつをここまで丁寧に歌え、かつ自分の歌に絶対の自信を持った出方で、さらには楽しそうな表情も見せてくるのか。とんとわからない。わからないが、これが酸いも甘いもかみ分けたベテランの強さなのだろう。

いわゆるベテランアーティストというものは、当たり前だが新人とは違う。環境も、立ち位置も、届ける歌の数も。常にヒットチャートを騒がせる事ももはや少なく、デビューしたての頃のように「俺らが天下取ったる!」と鼻息荒くする事も、天狗になる事もない。必要がないのだ。熟年の落ち着きが若手には緊張感と憧れを抱かせ、場数を踏んだ余裕で佇まいさえ堂々としている。大体そういうものだ。デビューして1年後にリリースされているこの曲を、しかも当時めちゃくちゃ売れてチャートトップを飾り、その年に初出場した紅白でトップで歌ったこの曲を、23年目を迎えよう(公開日3日当時)というベテランとなった今、歌い出しをアカペラでキメて「一発撮り」でここまで歌い上げる事など、間違っても容易に起こっていい出来事ではない。

しかし我らがポルノグラフィティはやってのける。それどころか、適度に力の抜けた佇まいで、歌う事が楽しいという笑顔付きで、しっかりと力を見せつけてくる。しかも、昭仁は自前のマイクを持参しての収録だ。楽しみにしすぎだろ。好きだばか。

2014年頃から遅めのボイトレに通い始め、「音域の広さ」「わしと言えば青筋」といった元々の強みをさらに強化し、押しの強さだけでなく引きも覚えたという昭仁は、強度を保ちつつハリのあるなめらかな声帯を作り上げた。ちょっとやそっとじゃ破れまい。かつ、「一発撮り」でも出だしの高音から維持し、メリハリのあるしっとりとした歌声。サウダージの世界へ引きずり込まれ、4分半セピアの大海を浮かび続けるのだ。


そう、忘れがちだが「一発撮り」でこの完成度の高さである。国は何してる。岡野昭仁の声帯を早く文化遺産に登録しなければ日本の損失だぞ。


今も伸び続けている再生回数が、彼らが只物ではない事を示している。たかが数字と侮るなかれ。見ろ、比喩でも誇張でもなく世界が名曲に気付いてしまっている。SNSでの数多の称賛の声に、感嘆と驚嘆と誇らしさが入り混じる。

そしてこの動画が公開した翌日、彼らの過去シングルMVのフルバージョンが一気に公開された。もちろん、サウダージのMVも入っているのだが、元のサウダージのテンポはご存知、メチャ早である。いや、特に早くはないと感じるかもしれないがそこに詰められた言葉数のせいでメチャ早に聴こえるのである。それを今回、さらにラテン調にアレンジしテンポも落とした事で、元々の歌詞の持つ美しさ、切なさ、軋み、涙を流していないのに感じる悲哀、そういうものをより色濃くした。

作詞家の底力もまたこわい。書いた本人は当時20代半ばだったはずだ。しかも「デビュー曲のアポロよりはスラスラ書けた」と後に発言しているのだから、頭を抱える。この歌詞を書くのに何を食ったんだ、新藤晴一。

生きていて出会う事はまずないだろうサウダージという言葉。その意味を朧げにしか理解していなくても、ポルノグラフィティのサウダージを聴けば「ああ…」と胸を片手でくしゃりと押さえてしまうはずだ。

聴いてわかるのだが、サウダージはわりと序盤から、「ああわかる…」と苦くも儚い想いが蘇る。あるはずがない想いまでも呼び起こされる。もう得られないあの頃の想い。相手の心、私の恋心。切なく苦しいかつての恋が、それでも諦めて許してほしいと乞う恋心が、胸を締め付ける。「青い期待は私を切り裂くだけ」、だから、ただあの人に伝えてほしい、それだけでいい、「寂しい…大丈夫…寂しい」……若い頃の切り裂く歌声ともまた違った、46歳となった岡野昭仁の、年を重ねたぶん増した表現力と深みのある74年モノの歌声が、今あなたの胸をえぐる。


……正直意味が分からない。というのは、ここで私がくどくど書いたところで、サウダージという語の持つ「哀愁」やこらえきれない「思慕」、「失われてしまったものへの憧憬」などを、まして岡野昭仁の歌声の凄さの何たるかを理解できるはずがない。できるとしたら、あるいは瞬時に「そうかも」と思えるとしたら、万の言葉よりもひとつの音なのだ。つまり聴けばわかるんだ。

「サウダージ?聴き飽きた事なんてないよ!」と歴戦のファン達がおいしく頂くためにイヤホンを両耳に挿す。しかし世の中には、「ポルノ?サウダージ?うわーめちゃくちゃ懐かしい!」という人だってたくさんいるし、「ぽるのぐらふぃてぃ?さうだーじ?初めて聴くー!」っていう人だってもういてもいい。

そういう人たちが、「今」のポルノグラフィティを聴いたらどうなるか。答えは。



※4Kの高画質に調整できます。





改めて、ポルノグラフィティおよび各ミュージシャンに心からの敬意を、そしてファーストテイクに大きな感謝を送りたい。


そして、



これは公開後に昭仁がツイートしたものだが、正直彼が半目だった事にもケーブルイジイジにも、誰一人として気付いていない上にそれどころじゃなかったのに、余計な情報を挟みつつ(しかし後で確認したくなるという絶妙な情報)、最後に「渾身のファーストテイクと言わせてください」とプロの言葉でシメるところが、岡野昭仁である。

この余裕。とても「一発撮り」でサウダージを歌い上げた人の言葉と思えない。重ねて言う、何度でも言う。このサウダージは歌も演奏もすべて「一発撮り」である。


公開からおよそ1週間の間急上昇1位に君臨し続け、9日後の12日現在。再生回数はついに600万を超えた。こんな快挙があるか?

岡野家のみなさんの代わりにおれが餅をつこうじゃないか。




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