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推し短歌 ~「愛」を伝える3首~

 

「あ、やってみよう」と思った


 ある日Twitter(Xって何?おいしい?)を何となく眺めていると、とあるnoteの企画が、相互フォロワーによってTLに流れてきました。歌人の俵万智氏、岡本真帆氏が選考委員を務める「好きなひとやもの、推しへの想いを詠んだ短歌を募集する」というもの。

 

 あ、やってみよう。

 


 詳細を読んですぐそう思い、非常に感覚的に挑戦してみた事なんですが、「カオナシにしかされない対象を短歌に……詠む……?」と今さらながら頭を抱えています。「推しへの愛を詠んだ短歌」、とりあえず全部で3首ありますので、どうぞ。。




推し短歌 1首目

 この先の果てはどんな景色だろう 月日重ねてあなたと みんなと

 1首目は、青春時代に通って10数年後、ひょんなことから再会してうっかり愛してしまったロックバンド・ポルノグラフィティへの愛。
 ボーカル岡野昭仁とギター新藤晴一から成るバンド・ポルノグラフィティ。通称ポルノ。この3文字が眉ひとつ動かされず受け入れられるようになった(あるいは、「なってしまった」)のも、彼らの功績のひとつといっても過言ではないかもしれない、日本が誇るロックバンドであります。彼らの魅力は一言では語り切れないので「興味を持ったらまず曲を聴いてください」という人任せマシーンになってしまうんですが、一言で語れないのだからまして140字でも、いくつツリーを繋げても足りないわけです。当然短歌の31文字でも足りません。でもがんばって詠みました。
 20周年を迎えた年に出したシングルのカップリング曲に「一雫」という曲があるのですが、サビにある「この旅路の果てで待ってて」というフレーズがふと浮かびました。「この旅路」はバンド活動、「待ってて」と語りかける対象はわたしたちファン、そして「果て」とは――ポルノグラフィティが「完成」したその日なんだろうと単純に見ればそう解釈できる構図。25年も活動していれば、そろそろ……と言うのも怖いけれど、活動も控えめになったり…………否、彼らにはまだファンに見せたい景色があるんだろうなと、見ていて思います。
 私は、彼らのバンド人生を共に旅しているのかもしれません。途中でいろいろな景色を見せてくれる彼らを、とても愛しています。今年でデビュー25周年に入った彼らの未来を、ボーカル昭仁の、ギター晴一の未来を私は信じてやまない。今はもちろん、30周年も35周年もその先も、彼らと同じ景色も果ても見ていきたい。自分ひとりでではなく、たくさんいるファンと一緒に。そんな1首です。


 ひとまず、あなたが「青春時代はポルノをよく聴いてたな~」と思い出すなら、私と同世代だと思います。King Gnu井口理とも同世代です。そのあたりの世代はハネウマライダーとかギフトとか痛い立ち位置とかWinding RoadとかROLLとか、そのへんの曲に懐かしさ、はたまた当時の自分への羞恥心が心の四隅からじわぁと染み出してくるかなと思うんですが、最新の彼らはというと現役バリバリに活動しています。来年1月からアリーナ全国ツアーもやるので、そちらもぜひ。まだチケット売ってると思います。

 最新ツアーの私のレポはこちらからなんですが、よければどうぞ。そのツアーでの曲、そして2023年10月現在の最新曲を歌い上げる動画がこちら。


 安心してください、ちゃんと公式動画です。まあ、公式がライヴ動画をアップするには10年遅いんじゃないかと悪態をつきかけはしましたが、25周年ツアーが控えているのでここでPRしていこうという企業的戦略なんだと思います。
 当日の私が見たのもこのサムネのような近距離くっきりだったんじゃないかって思うくらい、未だ鮮明にこの膝つきシーンは頭に残っています。




推し短歌 2首目

遠くからよく来てくれたね 吹く風よ 君は知ってる 愛が何かを

 2首目は、藤井風への愛。
 3年前、ちょうどコロナが世界を覆ってしまった時に、ふいに世界に降り立ったのが藤井風でした。といっても、私自身は今年の2月、全国アリーナツアー「LOVE ALL ARENA TOUR」のセミファイナルで生で浴びて以来の「推し」なので、時間としては1年も経っていないんですね。推し活において幾度なく比較してしまうひとつが「推してきた時間」だと思うのだけど、藤井風を見ているとそれすら些末な事と無散していくよう。宗教や人生観といった小難しい話を通されるのではなく、藤井風の視点によって語られる心をその楽曲から言葉から、感じるのだ。当たり前のはずだった事に気づかされる。
 藤井風の魅力は、もはや言葉にならない。言葉というものが無意味だと思えたのも、藤井風でした。正直、藤井風を「推し」という2文字に留める事は違和感でしかないのですが、改めてここで好きの気持ちを表しておきたい人でもあるので挙げました。
 26歳になったばかり。きっとどこにでもいる今時の青年なのに、邪気のない赤ん坊のように無垢かと思えば、とうに死期を悟り新しい命を見守る老人のようにも見えて不思議でならない。その魂は色とりどりに輝いているのだろうとも感じられる。藤井風を見ていると、明日の不安も細かい事もいつのまにか軽くなる気持ちになります。よくこの世界に来てくれた。藤井風はある意味、全くの異次元だと思う。そんな気持ちを込めた1首です。

 藤井風をご存じない方のために、最新曲を。

 

 一般人と芸能人という枠でいえば、藤井風は紛れもなく芸能人であるのだが、その垣根を感じさせないどころか、ひょっとしたら最初からないのじゃないかと思わせる曲およびMVになっているとも思います。気負いのない隣人、みたいな。


 初の藤井風を浴びたライブレポはこちらにあるので、よろしければ読んでみてください。




推し短歌 3首目

眉山もリップカラーも違うけど ふとした表情 思い出す友 

  3首目は、メイクアップアーティストでありインフルエンサーのVanessaさんへの愛。
 私が彼女を知ったのは、Twitter(X?それって以下略)でのツイートからだったけれど、それももう5年くらい前になると思います。その5年前ですら、多く人気を集めていた記憶があります。アーティスティックなメイクを施すメイク動画や、酔ってもないのに豪快に次々と繰り出される言葉数と的確な表現の数々は、「辞書でも食べたんか」というくらい的外れなものがほとんどない。少なくとも個人的感覚では。あれだけ口回してしゃべっていれば、失言のひとつやふたつあってもおかしくないだろうに、人への配慮やリテラシーがしっかりしているのかもしれない。まだ飲んで管巻いてるんですと言われたほうが納得できます。
 華やかな容姿と強烈な個性を持ちながら、程遠い繊細な面を持つ彼女は、それゆえに人に好かれる要素の多い、一言で言うととても魅力的な人だと思います。けれど私が好きになったのは、その繊細な部分に「だいぶ生きづらそうだな…」と共感してしまった事から始まった事は否めません。彼女はここ最近は誰よりも輝いているように感じられます。大変うれしゅうございます。
 そんなVanessaさん、通称ヴァネさんですが、すっぴんの顔や、メイクによってはそのメイクした顔が中学の時とっても仲良くしていた友人に激似といっても差し支えないくらいに、似てるんですよ。友人は私の文章を褒めてくれ、当時の私のいろいろな努力を褒めてくれました。思慮深く物事を多角的に見、一緒にはしゃぎ、厳しい意見も相手のために言う――中学生と思えない大人びた子でした。こんな強気でもなかったとは思うんだけど(笑)。ヴァネさんのインスタライブなどを観るたび、「元気かな……」と想いを馳せてしまう事もけっこうあります。何せ卒業以来会ったのが、10年くらい前で最後なので。そんな1首です。


 ヴァネさんの人となりは、個人のTwitter(X?知らない子ですね)や、YouTubeチャンネルの他、インスタアカウントで確認でき……たらいいんだけど何せ強烈なので、どこから見たらいいかわからない方もいるかもしれません。本人がきちんと自己紹介動画を作ってくれているので、まずはそちらから、興味を持った方は観ていただけると喜びます。私が。

 自己紹介動画はこちらです。



 ちなみにヴァネさんの動画で一番好きなものは、最新でこちら。ビジュ含めて好きです。
 彼女これで26歳ですよ(2023年現在)。年下かよ…………。




 短歌は以上になります。



「推し」という表現について

 さて、「推し」という言葉が使われるようになったのは、いつからなのか。私は対象を「推し」と表した事は一度もなく、あるとしても、「推しが推している推しを『推し』と呼称していたから」などという理由で使うくらい、「避けてる」と言われれば避けているほうです。頑なとも言ってもいいかもしれません。「自分の気持ちは『推し』の2文字で足りないから」とか、使わない理由はいくつかあると思うんですが、何というんでしょう……どうにもしっくりこないのです。使う事に違和感を覚えてしまうんですね。
 繰り返しますが、人が使う分には全く構わない。あくまで「自分が使う」事においての違和感というだけなので、こだわりといえばこだわりかもしれれません。この記事で何度「推し」と打ったか数える事はしませんが、それでも慣れないね。

 ……「推しが推している推しを」……庭には二羽鶏がいるみたいなわかりにくさですね。回文じゃないんだけどな。その「推している推し」がいる「推し」が誰かというと、その人こそ2首目のVanessaさんです。ゆえに私は彼女の事も、SNS上では「推し」と呼んでいます。私の頑なさをほどくヴァネ、あなたすごいね。




「あ、やってみよう」の結果

 文字表現ならば、Twitterの140字やnoteの字数無制限用紙に散々書き綴ってきました。しかし、制限があってもなくても、または緩くてもキツくても、「どうにもこの言葉では表しきれていない気がする」と歯がゆい思いをした事は多々。推し活に励むみなさんにも、もしかしたら覚えがあるかもしれない。
 推しは容易く情緒を乱し、語彙を吹き飛ばしていくんです。
 気づいた時には、推しから発信されたものにただただ心震わせ涙を流すカオナシと化しているんです。「尊い」すら発語できません。冒頭にも言いましたが、カオナシにしかなれません。「ア…ア…」しか言えないあいつ。暴走すると普段の姿をかなぐり捨てて際限なく欲しがるあいつ。怖いですね。
 3首詠んでみて少し考えたんですが、そんな「推し」への愛を、さらにギュっと縮小させる短歌で表現するのは至難の業です。でありながら、やっぱり、短歌って楽しいと思う。そして難しい。基本31文字なので、その短い単語の組み合わせ次第で改めて表現したい事が見えてきたりする。自分でも気づかなかった想いの深さが現れるなあとも思うんです。例えば夕焼けが綺麗だったとか、秋めいてきたとか、そういう何気ない瞬間の気取ってない31文字も素敵なんだけれど、改めてこうした企画に応募してみると、奥が深いなと何度目かの感慨を覚えます。
 どこかとっつきにくいというか、生活に馴染みがなくて義務教育以降全くといっていいほど触れてなかったものなんですが、楽しいけど難しいし難しいけど楽しい。精進あるのみ。


#推し短歌

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