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レバノン、ベイルート爆発から25日

今週4夜連続で行なわれていた「日本では報道されないレバノンの真実」と題するオンライン・イヴェントに一部参加、一部傍聴・視聴したので、それに関し投稿しようと思う。

タイトル上に地図を貼ったが、そこには、スペースの関係でベイルート以北の同国北半分しか表示されていない。

レバノンの地理を一言で一気に言うと、同国は北と東ではシリアと(シリアの北はトルコ)と、南側はイスラエルと国境を接し(その先にはイスラエルが半世紀以上違法占領を続けるパレスチナ領・東エルサレムやヨルダン川西岸地区が、南西側には同じくガザ地区があり、更にその西はエジプト)、レバノンの西にあるのは地中海を挟みキプロス。

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さて、レバノンの首都ベイルートで今年 8月4日、大規模な爆発事故があり、それは日本でも大きく報道された。150人以上の死者、5,000人以上の負傷者、そして住む家を失った人の数は約30万人、その被害の大きさも含め報道されたが、日本での報道は一過性のものという印象が残る。「印象が残る」という感想がそもそもそのことを表わしているわけで、つまり、事故から25日経ったが、その後の現地の様子などが日本で報道されることは殆どない(この投稿のテーマ上では「ついでの」話題を付記すると、先月26日に起きた日本企業が運航する船の座礁によるモーリシャス沖の現在進行形の大規模環境破壊についてすら、日本では盛んに報道されているなどとはとても言えないレベル)。

筆者は37年前、バックパック一つ背負って海外をいわゆる「貧乏旅行」(当時はそういう言い方があったがもしかしたら最近はあまり言わないかも)したのだが、その際、レバノン周辺で言うとトルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプトなどは旅したものの、レバノンには行かなかった。「行かなかった」というよりも、正確に言うと「行けなかった」。

筆者が「貧乏旅行」したのは 1983年から 1984年にかけてのことで、中東諸国に関して言えば 1983年夏から秋にかけて。レバノンは当時、1975年から1990年にかけての長きにわたる内戦の時代の最中であり、前年1982年にはイスラエルによるレバノン侵略やイスラエル軍が包囲した首都ベイルートのパレスチナ難民キャンプにおけるパレスチナ難民虐殺事件(サブラ・シャティーラ難民キャンプ虐殺事件, 犠牲者は 3,000人以上と言われる)も起きていた(*1)。当時は外国人旅行者が入れるような状況ではなかった。

そんなレバノン、近年は政権の政治腐敗、経済破綻、レバノン国民による反政府運動などで政情、社会状況は「不安定な」と修飾されるようになっていたものの、内戦は既に終わっており、国内のイスラーム(シーア派)系の組織ヒズボラの武装部隊とイスラエルとの間の緊張関係はあるものの、だいぶ以前にあったような戦乱の脅威は小さくなっており、昔と比べれば平和な時代が訪れていたと言ってよいと思う。そんな時に首都ベイルートにおいて稀に見るレベルの大爆発事故があり、いま、レバノン(とりわけベイルート)の人々は非常に苦しい環境の中を生きている。

話はやや逸れるが、筆者は以前、note にイスラエルの世界的に著名な知識人ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論を批判する投稿をしている(*2)。切っ掛けがあって、その投稿に、あるレバノン在住日本人の方が注目してくださり、note 外のところで、その方の日頃のパレスチナ支援の活動や平和運動などの一部関係者の方に、あの投稿を読むよう勧めてくださった。その方が今回のオンライン・イヴェントの運営に携わるスタッフの一人であったため、それが縁で、筆者もこのイヴェントを事前に知ることができた。

レバノンに関してという括りでの「平均的」日本人と比べれば筆者は同国の事情についてまぁまぁ知っている方だと思うが、長年関心を持ってきたパレスチナ・イスラエルについてと比べれば、同国の歴史や文化などについての予備知識は相当に乏しく、多くを語ることができる者ではない。

筆者は、今週行なわれていたオンライン・イヴェントについて、第3夜は Zoom を使って参加し、第2夜は Facebook ライヴを視聴、第1夜と第4夜については、YouTube に上がった録画・録音版を視聴した。現在、4日間のイヴェントについて、それぞれ録画・録音されたものが YouTube に上がっているので、以下にリンクを貼っておこうと思う。

第1夜も 2夜も 3夜も 4夜も、要するにどの日の内容もよかったが、筆者は個人的に、第4夜の岡真理氏の話、第3夜のお二人の話から得るところが大きかった(という言い方をすれば全ての日の全ての話者の話の内容から得るものがあり、非常に意義あるイヴェントではあった)。

8月24日(月): フォトグラファーの見たレバノン / レバノンと日本の社会的伝統の違い

田京尚記氏「フォトグラファーの見たレバノン」
重信メイ氏「レバノンと日本の社会的伝統の違い」

8月25日(火): 日本人学生から見たレバノン / レバノン人学生からのメッセージ

大竹くるみ氏、堀越桃奈氏、山田蒼太氏「日本人学生から見たレバノン」
アリ・ハイダー氏、タチアナ・ハッジャール氏「レバノン人学生からのメッセージ」

8月26日(水): レバノン現代文化とアート / レバノンの宗教と難民

佐野光子氏「レバノン現代文化とアート」
法貴潤子氏「レバノンの宗教と難民」(宗教や難民の問題の他、レバノン社会におけるタブーや結婚事情といった話題も)

8月27日(木): 心を動かす料理は社会も動かす / レバノンと現代アラブ小説

関口涼子氏「心を動かす料理は社会も動かす」
岡真理氏「レバノンと現代アラブ小説」

(4夜全て、ファシリテーターは 田中有雅氏)
(その他、YouTube クリップ上に若干の説明・記述あり)

ベイルート大規模爆発被害救援募金(ただしこの募金自体は本日 8月29日締め切り)

上記のオンライン・イヴェントの第2夜でスピーカーとなった日本人学生たちが、募金を呼びかけている。筆者はパレスチナへの募金もあり文字通り「気持ち」だけの少額しかできなかったが、昨日、募金した。ただし、この募金自体は、今日 8月29日で締め切るもよう(明日以降でも募金を通じたレバノン支援をしたい人は、この募金以外でも、探せばチャンネルは見つけられるのではと思う)。

上記の学生たちの note アカウントのページ

付録: 本投稿の前文における *1, *2 に関連する筆者の過去の note 投稿

*1 2016年のノーベル文学賞受賞者であるボブ・ディランは、イスラエルがレバノンを侵攻し、かつその最中、今日の投稿前文でも言及した忌まわしいパレスチナ難民虐殺事件があった当時(1982年)、世界中でイスラエルを批判・非難する声が湧き上がり、イスラエル国内においてすら反戦や反政府のデモ・集会などが連日行なわれていた時にいわゆる「イスラエル支持ソング」を書き、翌1983年にリリースされた彼の公式アルバム "Infidels" (直訳すれば「異教徒たち」) に、その曲を収録した。そして、その恥ずべき歌の歌詞は、いまだ彼の公式ウェブサイトに掲載されている。

上にリンクを貼った投稿の続編が以下のもの。

*2 本投稿の前文 *2 で触れた、イスラエルの世界的に著名な知識人ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論に対する批判投稿(複数の方が note 外のところで知人等に一読することを勧めてくださったお陰で、フォロワーの少ない note アカウントによる投稿にしては、現在「スキ」が 12 を数えている)。

上にリンクを貼った投稿の続編。


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