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Lyrics 歌詞の翻訳

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好きな海外の歌(英語の歌が中心、というか他の言語は翻訳無理)と歌詞の日本語訳を投稿します。別のテーマを取り上げた投稿であっても、歌詞の翻訳を掲載した投稿は、このマガジンにも収録し… もっと読む
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#宗教

海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳]

前説写真は 1983年6月1日、「分断国家」ドイツ、「ベルリンの壁」があった時代で西ベルリンは陸の孤島化、その当時「東ドイツ」(ドイツ民主共和国, 「民主」というのは殆どギャグだけど)領「東ベルリン」側にあったブランデンブルク門の前で記念写真に収まった筆者、911の誕生日を迎える前、22歳(*1)。 ほんとは放浪「もどき」だから(*2)、タイトルでは「放浪」と鉤括弧を付けた。帰国したのは 1984年2月1日だけど(韓国・釜山港からフェリーに乗って下関に来て「母国」日本に入国

ジョン・レノン, God 〜 神とは, 我々の苦痛を測るための概念である (歌詞和訳)

歌詞の冒頭の一節には, ハインリッヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, 1797年12月13日 – 1856年2月17日)の次の言葉に共通したものを感じる。 God 〜 歌詞和訳God 〜 written by John Lennon (October 9, 1940 – December 8, 1980), included on the album "John Lennon/Plastic Ono Band" released o

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

旅と音楽と社会批判の不器用な生き方 〜 今年の自分の note に係る記録を, 折角の機会なので note 投稿して残す

不器用ですから 今日の note のお題, 「折角だから」と書こうとしたんだけけど, 厳密に言うとそれは「折角」の誤用のようなのであった。せっかく角を折ろうとしたのに。まぁ兎に角が生えても, あ, 兎にも角にも, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, というわけで, 兎にも角にも, 昨日 note 事務局から今年の自分の note に関する記録をいただいた角を折る機会に, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, 不器用ですから.. また戻ってしまった自分は「不器

クリスマス 諸々 note 寄せ集め

おっと 失礼(笑)。タイトル写真の人は キリスト じゃなくて ブライアン さんでした! .. それはさておき, 自分のこれまでのクリスマス関連 note, 全部は無理だけど, ざくっと寄せ集め(わりと直接関連するものから単に「キリスト」繋がりのものまで)。 あ, 因みに煩いこと言うと, キリスト教的には今日 12月24日の日没から明日 12月25日の日没までが「クリスマス」ということになって, かつ「クリスマス・イヴ」とはクリスマスの前夜という意味ではなく「クリスマスの夜」

インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月余り経過。本 note 第1章はここまでの振り返り。第2章はインド入国(ってか日本出国)序章, 第3章でパキスタンから陸路インドに入国してアムリトサルへ。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, ついに インド へ 2度目のトルコ

イラン, 革命から4年後のテヘラン 〜 1983年11月15-17日, Teach Your Children ♫

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, 同年10月26日にあの旅で初めて飛行機を使ってカイロからイスタンブールに飛び, 2度目のトルコでは 2度目のイスタンブール, 初めてのアンカラと旅を続け, その後, イランとの国境の町ドグバヤジッドに滞在, そこから陸路, 11月15日に1979年の革命(結果としてイスラム革命)から4年後のイラン・イスラム共和国に入っ

ナザレ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月5日

「48イスラエル」(ひいては「47イギリス委任統治領パレスチナ」)についての注釈は, 前回 note(本 note 第1章リンク *6)の冒頭に書いた通り。 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の

ベツレヘム(パレスチナ) 〜 1983年9月30日

1983年4月26日に日本を発って 156日目, パレスチナ/イスラエルの旅を始めた。今は無きソ連, さらにヨーロッパ諸国, その後はトルコ, シリア, ヨルダンを旅し, そして同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時は16年間)不当な軍事占領を続けているヨルダン川西岸地区に入

パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)

写真は, 西暦紀元32年に建造され, 2000年近くこの姿を保ちながら, 今から6年前, 2015年に "宗教" 原理主義者 IS「イスラム国」がこの地域を制圧した際に破壊された, パルミラのベル神殿(1983年9月11日, 筆者撮影)。この写真を含む 1983年のパルミラの写真は 本 note 第2章にて。 謎の東洋人, パルミラに現わる1983年4月26日に「極東」日本を発った怪しげな東洋人(以下 note 1つ目タイトル写真の右から2番目!), 「現代」のシリア・

シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日

1983年4月26日に横浜港で当時のソ連・ナホトカ行きのフェリーに乗って日本を発ち, その後, ソ連とヨーロッパを旅し, 7月11日から 1ヶ月はギリシャ, 8月11日から 1ヶ月弱はトルコを旅し, 9月5日にトルコ側国境の街アンタキヤを出て, 陸路, 初めて訪れるアラブの国, シリア(シリア・アラブ共和国)に入国した。21世紀に入って内戦に陥る時期よりもだいぶ以前の, 曲がりなりにも, 括弧付きながら「平和」だった時代のシリアだった(因みに当時のシリアの独裁大統領はハーフィ

ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき

* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。 グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲した

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 1) ガリレオ・ガリレイ, そして ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第2章「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」の次の, 第3章「フィレンツェと言えば 〜 ガリレオ・ガリレイ」より(絵を挟んで計4段落)。 そうだ, 前章で「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」なんて前振りして話をどんどん飛ばしていったけれど, その「ルネサンス」の時代のリュート奏者ヴィンチェン

フランス・パリにて, カンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 Teach Your Children (CSNY) ♫

タイトル上の写真はカンボジア人移民ではない。二人は, パリのリュクサンブール公園近くの小さな公園にて自転車の乗り方を教えるパリジャンの父と, 教わるパリジェンヌの娘(1983年6月11日)。 1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3日から滞在 〜 6月10日までを振り返る1983年4月26日に日本を発って, フランスの首都(普通「首都」だなんてわざわざ書かないね, 笑)パリには, 1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ, 今のドイツの首都ベルリンは当時その西