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Lyrics 歌詞の翻訳

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好きな海外の歌(英語の歌が中心、というか他の言語は翻訳無理)と歌詞の日本語訳を投稿します。別のテーマを取り上げた投稿であっても、歌詞の翻訳を掲載した投稿は、このマガジンにも収録し… もっと読む
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2021年6月の記事一覧

ネットがない時代にお世話になったテレビの「洋楽」番組 〜 ヤング・ミュージック・ショー

ミュージシャンのライヴ映像が溢れるインターネット時代になって久しいが, その分これはシカタナイだろう, つまり, そういったコンテンツの有り難みは随分と希薄になった。そんなネットなど無かった時代, とりわけその種の情報がより乏しかった1970年代, NHKで不定期放送されていた「ヤング・ミュージック・ショー」は, 洋楽大好き人間にはとてつもなく「有り難い」番組だったのだ。なぜ「ヤング」なのかって, それは当時はこの種の音楽を聴くのはほとんど(当時の!)「ヤング」ばかりだったか

ドイツ最古の大学がある街 ハイデルベルク 〜 西ドイツ時代, 1983年6月16日(写真8枚)

1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, その50日目, 1983年6月14日にマッターホルンの華麗, 荘厳, 雄大な景色を堪能して1拍したスイス・ツェルマットを翌6月15日に発ち, 最初はオーストリア・ウィーンに行くつもりが, スイス・バーゼルに出たところでどういうわけか気が変わり, ドイツ(当時は「ベルリンの壁」時代なので西ドイツ!)のハイデルベルクへ向かったのだった。 スイス・ツェルマットまでを振り返ると..ドイツ(西ドイツ!)・ハイ

フランス・パリにて, カンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 Teach Your Children (CSNY) ♫

タイトル上の写真はカンボジア人移民ではない。二人は, パリのリュクサンブール公園近くの小さな公園にて自転車の乗り方を教えるパリジャンの父と, 教わるパリジェンヌの娘(1983年6月11日)。 1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3日から滞在 〜 6月10日までを振り返る1983年4月26日に日本を発って, フランスの首都(普通「首都」だなんてわざわざ書かないね, 笑)パリには, 1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ, 今のドイツの首都ベルリンは当時その西

パリ, セーヌ河畔, 1983年6月10日 〜 BGM は The Dangling Conversation (S&G) ♫

この note, 後半は完全に「宙ぶらりんの会話」。つまり "The Dangling Conversation" とポール・サイモン特集になってしまった。「しまった」って, まぁそれはそれで, オッケーなんだけど。しかしいま知った(ってか忘れてた), "The Dangling Conversation" の邦題って「夢の中の世界」だったのかよ。あの歌のタイトル, 邦題は直訳して「宙ぶらりんの会話」でいいんじゃね? 1983年4月26日に日本を発って, ユーラシア大陸「

ポール・サイモン, S&G解散後 第1作 〜 Paul Simon 全曲聴き倒し, 3曲(+)歌詞和訳つき

以前から note しようと思ってたこのアルバム, つい先日たまたま2020年改訂版の Rolling Stone 誌による "The 500 Greatest Albums of All Time" の425位に本作がランクイン(は和製英語です, 笑)しているのを知り, そろそろ自分の note に載せたくなった。 S&G解散後のソロ第1作, 1965年の「ポール・サイモン・ソングブック」から数えてソロ2作目となる, 地味に見える(聞こえる)が実はかなりの傑作アルバム 「

1983年6月6日パリの「娼婦街」サン・ドニを歩いてみた 〜 BGM は Doobie Bros, Deep Purple, 憂歌団, S&G, and Tom Waits ♫

6月6日は明日だけど, まぁいいっしょ。それと, サン・ドニは文字通り「歩いた」だけだよ, 最初に言っておくと。も一つ「それと」, タイトル上の写真はネット上から拝借したもの(この通りの写真を無闇に撮ったりしたら, もしかしたら危険かもしれない)。 1983年4月26日に日本を発って始めた, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅 〜 フランス・パリには 6月3日に着いて, 翌6月4日にパリの映画館にて封切り4日目の「戦場のメリークリスマス」鑑賞, 長いなこの見出し!どんだけ長い見