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2020年8月の記事一覧

重信房子「十年目の眼差から」を 37年ぶりに開く

ここから 4本(たぶん 1日1本)、昨日の「レバノン、ベイルート爆発から25日」と題する投稿の中身に関連する(「少しでも関連する」と言った方がより正確)、4つの事柄について投稿する。一つ目は37年前に筆者が読んだ、かつて存在した日本の新左翼組織「日本赤軍」の最高幹部だった重信房子氏の著書「十年目の眼差から」を、超絶久しぶりに家の書棚から下ろし、捲ってみた件。 本投稿のタイトル上では「37年ぶりに開く」としたが、厳密には事実とやや異なる。この本が発行されたのは 1983年1月

"LIFE is great. Sometimes, though, you just have to put up with a little more CRAP" ー "Four in the morning, CRAPPED out, yawning, longing my LIFE away"

ただの言葉遊びかよ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。前者はマイケル・J・フォックスの言葉。後者はポール・サイモンの "Still Crazy After All These Years" の歌詞。それと、タイトル上の写真は、"LIFE is great" ならぬ "LIFE is good", これにはさしたる意味はなくて、Life is great でイメージをググったら、これも一緒に出てきて、他のよりこの「絵柄」が気に入ったから。 マイケル・J・フォックス

「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分で変えられることは変える勇気と、そのちがいがわかるだけの知恵をお与え下さい」 ー そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」

昨日、「人生のポケット」なるものについての投稿をして、そこに、2003年4月12日に書いた自分の日記「人生のポケットから出る方法はどこかにある」と、翌13日に書いた自分の日記「人生のポケットから出る方法はどこかにある(2)」を転載したら、その2つの日記の間に、それはつまり12日に書いていた3本の日記のうちの残り2本のうちの1本なんだけれども、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスの著書「ラッキーマン」に関する日記を書いていたことに気づいた。題して、「

人生のポケットから出る方法はどこかにある

幸いにして(幸いにして空は青く澄んでた、嘘のように *3)自分は既に「人生のポケット」から出ている。そして、2度とあの「ポケット」に嵌まり込むことはないだろうと断言できる。まぁ起きていない先のことについて断言するのは本当は誰にも出来ないんだろうが、主観で言うなら断言していいだろうと。 タイトルの上に載せた写真は、2016年7月に撮った写真。家から歩いて10分程度のところで咲いていた向日葵。日が落ちてから散歩に出たら、暗がりで綺麗に咲いている向日葵を見つけたので、思わず撮りた

そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」

今日はこれでもう 3つ目の投稿。夕方か夜くらいまでには、更にあと 2つ投稿すると思う。一つは「自殺を図った日本人の少女を日本語を話せない滞日中の外国人研究者が救った」ことについて。もう一つは、おそらく、「人間の体温が感じられない日本 ー 日本の船の座礁によるモーリシャス環境破壊とレバノン爆発にみる、日本の国と社会の凄まじいまでの冷たさと他者への無関心」というようなタイトルで、しかしたぶん(筆者にしては、かな)そう長くない投稿をすると思う。 この今日 3つ目の投稿で取り上げる

鎮守の森はふかみどり, 舞い降りてきた静けさが, 古い茶屋の店先に, 誰かさんとぶらさがる。

田舎の白い畦道で 埃っぽい風が立ち止る .. 鎮守の森は ふかみどり 舞い降りてきた 静けさが 夏なんです ー はっぴいえんど, 「風街ろまん」(1971年) 作曲:細野晴臣、作詞:松本隆 *一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた 残りの歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8

夕暮れ時のボスポラス海峡で、靖国神社を釣る。

夕陽に赤く染まるボスポラス海峡のこの 写真 を見てこの投稿に「スキ」する人には、一昨日の靖国神社の写真を付けた投稿の 文章 も読んで、あの投稿に「スキ」してほしいなぁ。まぁ当然ながら、この 2つの間には何の関係もないんだけれどもね。 昨日、ギリシャはアテネのパルテノン神殿の写真でこれをやったんだけど、反応ゼロ。これをやると、「靖国神社」投稿はおろか、新たな投稿の方も反応ゼロが続く可能性があるんだが、ま、いいや。 ボスポラス海峡は、トルコ最大の都市イスタンブール のヨーロッ

パルテノン神殿で、靖国神社を釣る。

パルテノン神殿のこの 写真 を見てこの投稿に「スキ」する人には、昨日の靖国神社の写真を付けた投稿の 文章 も読んで、あの投稿に「スキ」してほしいなぁ。 まぁはっきり言って、当然ながら、この 2つに関係はないんだけれども。 3日前、8月11日の投稿で書いたけれど(今日の投稿の最後にリンクを貼っときます)、1983年4月から1984年2月にかけてバックパック担いで海外一人旅に出ていた。10ヶ月弱だから、さして長いわけではないけれど、海外放浪もどき。「もどき」というのは、いつ頃

なぜか巨大な蓮の花に添えて ー Strawberry Fields Forever (歌詞和訳)

タイトル上の写真は、隣り町にあるハス園で 4年前の夏(自分の覚書用に、2016年7月23日)に撮った、妻の手とハスの花。ある意味嬉しいことにあまり多くの人に知られていないので訪ねても人だかりができて混んでるようなことはまず無い「ハス園」で、そこは文字通り、開花している時にさえ行けば、綺麗な(そして見事なまでに大きなサイズの)蓮の花を鑑賞できる花園なんだけれども、なぜか、いや、自分ではユエあってとも言えると思うけれども、あそこは自分にとって実際にある「ハス園」であると共に、想像

居場所のない男 ー The Beatles, John Lennon's "Nowhere Man" (拙訳)

タイトル上に載せたのは、昨日午前中、妻との日課ならぬ日曜課、地元の街中から行けるほぼ原生林の如く見える森の中を歩く 1時間半ほどの森林浴ウォーキング(細かいこと言うと折り返し地点の森林公園で休憩しているので実質歩いたのはそれよりちょっと短い)から帰り、自宅に入ろうとしたら家の前の花(ラベンダーのような色にも見えるがこれはラベンダーではない)にシジミチョウがとまって何やら花の蜜を吸っている様子だったところを、本人ならぬ本蝶の許可を得て(得たような気がする)撮影したもの。2020

生ましめんかな 〜 1945年8月6-8日、広島

広島に原子爆弾が投下されたのは勿論 8月8日ではなく 8月6日ですが、栗原貞子が「生ましめんかな」という詩にした話は、(おそらくは多くの人に)これまで思われてきた 1945年8月6日の夜の出来事ではなく、原爆投下から 2日後の同年 8月8日に起きた実話だったようです(本投稿、最後の章の *1)。 投稿タイトル上の写真として使ったこの写真は、75年前の広島においてアメリカ合州国の戦闘機による原爆投下後に撮られた有名な写真ですが、以下に掲載する、やはり実話に基づいた、そしてやは

ヒロシマ、わが罪と罰 〜 「良心の立入禁止区域」と、広島への原爆投下時の気象観測機パイロットだったクロード・イーザリー

タイトル上に掲げた写真は、1961年にドイツ(当時はもちろん西ドイツ)で "Off Limits für das Gewissen" (「良心の立入禁止区域」といった意味合いになると思います) というタイトルで刊行され、翌1962年にアメリカ人読者向けに、 "Burning Conscience: The Case of the Hiroshima Pilot, Claude Eatherly, told in his Letters to Günther Anders, w

懐かしの仮定法過去と tell A from B ー Pink Floyd "Wish You Were Here" (拙訳)

投稿タイトルで触れた通り、中学の英語の授業で習う懐かしの英文法(脱線しますが、文法方面に偏ってきた日本の英語教育は問題だらけだったと思うけれど、しかしながら文法軽視になりがちな昨今の? 風潮もどうかと思います、ほんと、最初から脱線した、笑)と言えば、真っ先に思い出すのが仮定法過去かもしれませんね。もっとも世代によってこれは多少の違いがあるのかな。少なくとも 1960年生まれの私には「仮定法過去」の 5文字の(英語でなくて)日本語は懐かしいです。とは言っても、"Wish You