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2019年10月の記事一覧

ずっとイカレてる: Still Crazy After All These Years (拙訳)

自分の 59歳の誕生日である今年 9月11 日に note に新規登録し、これまで 2001年の 911 アメリカ同時多発テロ、パレスチナ/イスラエル問題に絡んでのボブ・ディラン批判、そして 36年前の1983年秋にパレスチナとイスラエルを旅した時のことなどを題材に投稿、そして前回はやや趣向を変えて「豊かとか貧しいとか幸せとか不幸とかについて」と題した投稿をしました。今日が 11本目の投稿です。 今回の投稿、前回の流れと言えるかどうか、前回の投稿の最後で、Paul Simo

豊かとか貧しいとか幸せとか不幸とかについて

自分の 59歳の誕生日である今年 9月11 日に note に新規登録し、これまで 2001年の 911 アメリカ同時多発テロ、パレスチナ/イスラエル問題に絡んでのボブ・ディラン批判、そして 36年前の1983年秋にパレスチナとイスラエルを旅した時のことなどを題材に投稿してきました。今日が 10本目の投稿です。 実は今日もパレスチナに関わることをテーマとした投稿をしようと思っていたのですが、切っ掛けがあって、気が変わりました。 切っ掛けとは、一つは、パレスチナ問題に絡む投

パレスチナの被占領地ヨルダン川西岸地区のビルゼイト大学を訪問し、学生たちと話した 1983年10月12日 ー その 2

前回投稿でも書いたように、写真は当時訪れたビルゼイト大学の学生評議会の部屋。実情を話してくれたパレスチナ人学生たちのうちの 3人。壁には左からジョージ・ハバシュ(非宗教・世俗主義の左派パレスチナ解放組織「パレスチナ解放人民戦線」 PFLP の創立者)、パレスチナの旗(彼らにとってのパレスチナ国旗)を挟んで、ヤセル・アラファト(「パレスチナ解放機構」 PLO 執行委員会議長、パレスチナ自治政府初代大統領)、ライラ・カリド(またはレイラ・カリド、初めて飛行機をハイジャックした女性

パレスチナの被占領地ヨルダン川西岸地区のビルゼイト大学を訪問し、学生たちと話した 1983年10月12日 ー その 1

写真は当時訪れたビルゼイト大学の学生評議会の部屋。実情を話してくれたパレスチナ人学生たちのうちの 3人。壁には左からジョージ・ハバシュ(非宗教・世俗主義の左派パレスチナ解放組織「パレスチナ解放人民戦線」 PFLP の創立者)、パレスチナの旗(彼らにとってのパレスチナ国旗)を挟んで、ヤセル・アラファト(「パレスチナ解放機構」 PLO 執行委員会議長、パレスチナ自治政府初代大統領)、ライラ・カリド(またはレイラ・カリド、初めて飛行機をハイジャックした女性としても有名な PFLP

1983年10月7日、イスラエルのテルアビヴで、パレスチナのガザから来たパレスチナ人一家と出会った時のこと

先月11日、2019年9月11日に note に新規登録、これまで 911 アメリカ同時多発テロに関わって 3本、「ボブ・ディランの不都合な真実」(パレスチナ・イスラエル問題に絡むもの)について 2本を投稿し、ディランについては続編を予定していますが、前回は 1983年10月4日にイスラエルのハイファを訪れた時の自分の日記を転載しました。今日は、それから 3日後の 1983年10月7日に、同じくイスラエルのテルアビヴで、その日、パレスチナのガザ地区からテルアビヴにやって来てい

ハイファに戻って ー 1948年5月からイスラエル領、イスラエル建国前はパレスチナだったハイファの街、1983年10月4日の訪問記

先月11日、2019年9月11日に note に新規登録し、これまで 911 アメリカ同時多発テロに関わる 3本、「ボブ・ディランの不都合な真実」(パレスチナ・イスラエル問題に絡むもの)についての 2本を、投稿してきました。とりわけ後者についてはまだ続編の投稿を予定していますが、今日は 1983年4月から 1984年2月にかけての海外貧乏旅行の際の 9月から10月にかけて 3週間ほど旅したパレスチナ、イスラエル、その中で今日からほぼ36年前に当たる 1983年10月4日にハイ