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1983-1984, 海外「放浪」もどきの旅

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写真は何となんとナンと、インドのパン、ナン、あれは美味いねぇ、何と、ポール・ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」、その部分。切り取り方に拘っ… もっと読む
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2021年6月の記事一覧

「音楽の都」オーストリア・ウィーン, 2度目の滞在 〜 1983年6月28-30日(写真8枚)

1983年4月26日横浜港発のユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行, ここまでの振り返り 以下リンク *1 の note 第4章 1983年4月26日横浜港発のユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行, ここまでの振り返り に出発前, 出発, ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, ドイツ(「ベルリンの壁」崩壊前で西ドイツ!), そしてアメリカ合州国・イギリス・フランス占領下の西ベルリン, 東ドイツの首都だった東ベルリン, ベルリン・ケルン経由でフランス, そして

ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の首都だった, ベオグラード 〜 1983年6月, 3泊4日

1983年4月26日横浜港発のユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行, ここまでの振り返り 当時のユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国の首都であり, 連邦に属する6つの国家のうちの一つ, セルビア社会主義共和国の首都でもあったベオグラードには, 1983年6月23日の夜, オーストリア・ウィーンで乗った夜行列車で向かい, 翌6月24日に着。 1983年4月26日に横浜港で乗ったフェリーで日本を発ってからの(当時まだあった!)ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマ

音楽の都ウィーンにて, ギターを教える日本人とドイツ語教師のオーストリア人のカップルのお世話に 〜 1983年6月22日&..

オーストリア・ウィーンには 2度滞在 〜 当時の「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」のベオグラードに行って, その後, また戻った1983年4月26日に日本を発って, Ramblin' Man ♫ な旅をして各国巡り(詳しくは本 note 最後の章), 前日6月21日に西ドイツのダッハウ・ミュンヘン間で出会ったベルギー在住の日本人がたまたま同じ行き先ウィーンに向かうところで, かつウィーン在住の日本人・オーストリア人カップルを知っていて, ウィーンでは彼らのところのお世話に

ダッハウ強制収容所(ナチス・ドイツによる最初の強制収容所)跡を訪ねた, 1983年6月21日

ダッハウ強制収容所 跡, 訪問 〜 1983年6月21日(写真7枚) 1983年4月26日に日本を発ってソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ及び当時はアメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった西ベルリンと東ドイツの東ベルリン, ベルリン・ケルン経由でフランス, スイス, 再び西ドイツに入りハイデルベルク, ミュンヘン, フュッセン経由でノイシュヴァンシュタイン城を観た後, 1983年6月21日朝, 再びフュッセンを経由してミュンヘ

ノイシュヴァンシュタイン城(ドイツ, 当時は西ドイツ) 〜 1983年6月20日(写真8枚)

今日は2021年6月19日, 38周年は「明日」だけど, まぁいいや。昼間やる「前夜祭」。 1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ここまでを振り返る 今日は簡単に。昨日の "ライン下り「ローレライ」note", 上と同じ見出しの第1章, その 1) 2) 3) 4), それらに昨日の note の「1983年6月18日ライン下り」を加えれば, 「ここまでを振り返る」ことに。 1983年6月19日に滞在したのは ミュンヘン そう, ミュ

ライン下りして 「ローレライ」, 1983年6月18日 〜 Take Me to the River (アル・グリーン, トーキング・ヘッズ, アニー・レノックス)♫

ライン下りは本 note 第3章。その前は振り返り。ライン下りの後は BGM, 「ローレライ」とタイトルに入れた「川に連れてってくれ」Stop Making Sense 込みで4ヴァージョン♫ 1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ここまでを振り返る1) 以下 "ケルン note" の第1章「1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは

ドイツ最古の大学がある街 ハイデルベルク 〜 西ドイツ時代, 1983年6月16日(写真8枚)

1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, その50日目, 1983年6月14日にマッターホルンの華麗, 荘厳, 雄大な景色を堪能して1拍したスイス・ツェルマットを翌6月15日に発ち, 最初はオーストリア・ウィーンに行くつもりが, スイス・バーゼルに出たところでどういうわけか気が変わり, ドイツ(当時は「ベルリンの壁」時代なので西ドイツ!)のハイデルベルクへ向かったのだった。 スイス・ツェルマットまでを振り返ると..ドイツ(西ドイツ!)・ハイ

マッターホルンが真正面に, スイス・ツェルマット 〜 1983年6月14日, BGMは "Ballad of the Beacon" by Wishbone Ash ♫

1983年4月26日の横浜港からスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行, ちょうど50日目 〜 これまでを振り返る 便利な note 2点あるので, リンク。1) 西ドイツ・ケルン note 第1章「1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは東ベルリンのみ)」に, そこまでの全行程 notes それそれへのリンクが入っていて, 2) スイス・ジュネーヴ note 第1章

スイス, ジュネーヴ滞在 〜 1983年6月13日, ジュネーヴ第4条約を想起しつつ BGM は King Crimson, Pink Floyd & more ♫

1983年4月26日に日本を発って49日目, 直前10日間滞在したフランス, パリを振り返る1983年6月3日朝6時半頃から 6月12日夜11時59分まで(細かい!)10日間滞在したパリを振り返ろうと思ったのは, 1983年6月12日夜11時59分(日記によれば, だけど筆跡は11時「54分」にも見えて微妙, 細かい!)パリ・リヨン駅発の夜行列車に乗って, 翌6月13日朝(この日は何時何分とか書いてないんだな, 笑)にスイス・ジュネーヴに着いた, その日の日記の冒頭がいきなり

フランス, パリ 〜 10日目, 1983年6月12日, BGM は Mussorgsky, ELP, 加藤和彦, Date Of Birth, Avalon Jazz Band & Ella Fitzgerald ♫

1983年4月26日に日本を発って, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, 48日目 〜 ここまでを振り返るパリ10日目は, パリを発った日でもある。その日の夜行列車でパリを発ち, 翌1983年6月13日朝, スイス・ジュネーヴに着。 1983年4月26日に日本を発ってからに関しては, 昨日2021年6月11日の別名(いま決めた, 笑) "フランス・パリ 1983年6月11日 note" でも振り返ったので, これの第1章「1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3

フランス・パリにて, カンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 Teach Your Children (CSNY) ♫

タイトル上の写真はカンボジア人移民ではない。二人は, パリのリュクサンブール公園近くの小さな公園にて自転車の乗り方を教えるパリジャンの父と, 教わるパリジェンヌの娘(1983年6月11日)。 1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3日から滞在 〜 6月10日までを振り返る1983年4月26日に日本を発って, フランスの首都(普通「首都」だなんてわざわざ書かないね, 笑)パリには, 1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ, 今のドイツの首都ベルリンは当時その西

パリ, セーヌ河畔, 1983年6月10日 〜 BGM は The Dangling Conversation (S&G) ♫

この note, 後半は完全に「宙ぶらりんの会話」。つまり "The Dangling Conversation" とポール・サイモン特集になってしまった。「しまった」って, まぁそれはそれで, オッケーなんだけど。しかしいま知った(ってか忘れてた), "The Dangling Conversation" の邦題って「夢の中の世界」だったのかよ。あの歌のタイトル, 邦題は直訳して「宙ぶらりんの会話」でいいんじゃね? 1983年4月26日に日本を発って, ユーラシア大陸「

パリ, 1983年6月9日(写真8枚) 〜 モロッコ人移民と会った記念, Hindi Zahra 聴こう ♫

1983年4月26日に日本を発って, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ 〜 ここまでを振り返るまずは 振り返る。 間違えた, これは「見返り美人」だった。 仕切り直し。 間違えた, これは「ミカエル美人」だった。 知る人ぞ知る, 拙者なんか競馬やったことないし興味もないのに知ってる, フランス人騎手ミカエル・ミシェル(Mickaëlle Michel)。たったいま調べたんだけど(笑), 2018年にフランス国内で72勝してフランスでの女性騎手年間最多勝記録を樹立, 2

「ベルサイユのばら」が懐かしい, ヴェルサイユ宮殿に行ってみた 〜 1983年6月7日

「ベルサイユのばら」のお陰で, 俺にゃ似合わないところだなと思いつつ行ったような気がする, フランス・イヴリーヌ県ヴェルサイユにある ヴェルサイユ宮殿。その他ヨーロッパの城など, 後日ドイツとかでも行ったりして, 史跡を訪ねただけなわけだから, 他のところではいちいち俺には似合わねぇなぁなんて思わなかったけれど, ヴェルサイユ宮殿はなんといっても, 自分が小6から中1の頃にかけて「週刊マーガレット」に連載されて女子に大人気だった漫画「ベルサイユのバラ」のイメージが強烈だったか