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#宗教
テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)
ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので
ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき
* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。 グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲した
フランス・パリにて, カンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 Teach Your Children (CSNY) ♫
タイトル上の写真はカンボジア人移民ではない。二人は, パリのリュクサンブール公園近くの小さな公園にて自転車の乗り方を教えるパリジャンの父と, 教わるパリジェンヌの娘(1983年6月11日)。 1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3日から滞在 〜 6月10日までを振り返る1983年4月26日に日本を発って, フランスの首都(普通「首都」だなんてわざわざ書かないね, 笑)パリには, 1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ, 今のドイツの首都ベルリンは当時その西
1983年6月4日, フランス・パリの映画館で観た FURYO 〜 Merry Christmas, Mr. Lawrence 要するに「戦メリ」
なんてタイトル付けながら, 「戦場のメリークリスマス」は好きな映画だけど, 映画そのもののことは今日それほどたくさん書かないと思う(たぶん!)。ただ, 帰国後も何度か観た「戦メリ」の封切り時期にパリにいて, 初めてあの映画を観たのはパリの映画館だったということは流石にいつまでも記憶しているので, つい! 1983年4月26日に日本を発って, 同年6月3日の朝, パリ着前日1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ!)のケルンで乗った夜行列車で, フランス・パリにやって来たのだ
ケルン大聖堂 1983年6月2日, 写真しょぼい2枚しかないので 〜 ベルリンまでのリンクと「宗教」絡み付録でも付けることにする
1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは東ベルリンのみ) 1) 前説: ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行に旅立つ前の話, 1979年4月, 大学入学のために故郷の静岡県「秋葉路や花橘も茶の香り, 流れも清き太田川, 若鮎踊る頃となり, 松の緑も色もさえ, 遠州森町良い茶の出処, 娘やりたやお茶摘みに, ここは名代の火伏の神, 秋葉神社の参道に, 産声上げし快男児, 昭和の御
911 から10日後(一部 歌詞和訳) 〜 トム・ペティ, ニール・ヤング, スティーヴィ・ワンダー, ポール・サイモン, そして ロバート・デ・ニーロ
前説今日は 3月24日。911 の話題を取り上げるのは「季節外れ」。しかし 911 にしろ 311 にしろ 1208 にしろ 806, 809 にしろ 815 にしろ他の諸々にしろ、別に季語ってわけじゃない。仮に季語だとしても秋の季語を春に詠んだりしちゃいけねぇよなんて話はないわけで。 桜愛でるこの 3月下旬の佳き日にわざわざ 911 トピックを取り上げることにさしたる「わざわざ」の理由はないんだけど、些細な理由、ちょっとした訳ならある。 3日前、トム・ペティの "I W
Carpe Diem, いまを生きよ 〜 from "Dead Poets Society",「いまを生きる」
10年前のあの時、茨城県南の我が家の2階のピアノが跳ねるようにして揺れていた。というか、実際に跳ねていた。あんな光景を見るのは初めてだった。慌てて階下に降り、玄関から外に出た。我が家を見ると、家全体が大きく揺れていた。いつまでも続くかのように、家全体が大きく揺れていた。周りの家々も皆、同じだった。あんな光景を見るのは初めてだった。しばらくして家に戻り、テレビをつけるとそのうち、あの怖ろしい光景が生中継され出した。なぜだろう、CNN を付けていた。CNNが、あの凄まじい光景を延々と流していた。 4年ほど前、Facebook 上で知り合ったドイツ在住のクロアチア人の女性から、彼女と同じ宗教の信徒の男性があの2011年3月の日本で起きた巨大な地震と津波による惨劇をテレビで見ながら、 "Japanese people deserve it. Because they don't believe in God" と言ったということを教えてくれた(彼女とは英語でやり取りしていたから英語で筆者に伝えてくれたが、もちろんその男性はドイツ語で話していたのだろう。あるいは同じクロアチアからの移民だったのならクロアチア語だったのかもしれない)。 「日本人には当然の報いだ。なぜって彼らは神を信じてないんだから」と言ったということになるが、意訳すればこんな感じだろう。「それ見たことか。連中、神を信じてないから報いを受けたんだよ。」 彼女はこう付け加えた。「彼は友人の一人だったけれど、もちろんそれ以来、私の友人なんかじゃないわ。」 彼女はたまたまムスリムだったが(つまりその男もムスリムだった。因みにクロアチア本国の宗教信徒は大多数がカソリックで、彼女はカソリックからイスラムに改宗した人だった)、ああいうことを言ってのける人間はもちろん別にムスリムだけでなく、クリスチャンにだっている。 当然ながら、宗教の信徒の皆があんな考え方をするなどと言っているのではない。実際のところは、そんな「悪魔」のような発想をする人間は、全体の中では少数に違いない。比率にしたら極めて小さいだろう。 それにその種のこと(「連中は〇〇だからその報いだ」等)を言う人間は、もちろん「神」なるものを信じない人間の中にもいるに違いない。ただ、宗教の信徒によるあの種の考えはより深刻だ。 彼らは普段は「神」なるものの愛とか慈愛とか慈悲とかを美しい言葉で語っている。そういう宗教の信徒の中であの種のことを言ってのける人間というのは、要するに、「神からの愛、慈愛、慈悲。ただし、それは(我々が信じる)『神』を信じた場合だけだよ」と言ってるのに等しい。 彼らのあの種の思考は、彼らが、人間はおろか自然そのものを、宇宙を、そんな全てのものを超越した存在だと彼らが信じている「神」なるものの名の下で人間の「業」のようなものを語り、「断罪」を語り、その上でそれを信じない人間を自らの思考において「断罪」しようとしているという点において、極めて深刻な発想だ。 全てを超越した存在である(と彼らが信じる)「神」、それは彼らにとって一切の疑いをさし挟むことができない存在であり、完全無欠な存在であり、絶対的に無謬なる存在である。そんな完全無欠、絶対無謬の「神」なるものへの信仰、その「見返り」であるかのような「神」からのご加護(御籠, 恩寵)の有無を人間の生き死にの条件にしようとする彼らの思考は、自らのその思考も絶対的に無謬であるという前提のもとに成り立つことになる。 いや、そんなことを言う人は本当の信者ではないと言う人もいるだろうから、ならば、「自称ムスリム」「自称キリスト教徒」(の一部?)と言えばいいのか。しかし「自称ムスリム」と「ムスリム」、「自称キリスト教徒」と「キリスト教徒」.. 等々の間にある境界は、筆者のような無神論者には極めて曖昧なものだ。というか、こちらはそもそも彼らの言う「神」なるものを信じていないのだから、呼称上のその区別はほとんど意味がない。 ともあれ、今日は、3月11日。 ............................................ いまを生きる Carpe Diem ー Dead Poets Society https://note.com/dailyrock/n/n1c21b543b1c0 「ブレードランナー」から「2001年宇宙の旅」/ "Echoes" へと巡る旅 〜 〜 経由地は「いまを生きる」「6才のボクが、大人になるまで。」「生きる」「ゴンドラの唄」, "To the Virgins, to Make Much of Time", 途中下車して「ウィンザーの陽気な女房たち」, "Welcome to the Pleasuredome" "Relax", 「アポロの歌」, "If" & "If", 「ツァラトゥストラはこう語った」 https://note.com/dailyrock/n/ne216b57981c3