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映画

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映画のレヴュー的なものから、主題は別でも映画の話題が多少とも入っているものまで。
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#宗教

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

クリスマス 諸々 note 寄せ集め

おっと 失礼(笑)。タイトル写真の人は キリスト じゃなくて ブライアン さんでした! .. それはさておき, 自分のこれまでのクリスマス関連 note, 全部は無理だけど, ざくっと寄せ集め(わりと直接関連するものから単に「キリスト」繋がりのものまで)。 あ, 因みに煩いこと言うと, キリスト教的には今日 12月24日の日没から明日 12月25日の日没までが「クリスマス」ということになって, かつ「クリスマス・イヴ」とはクリスマスの前夜という意味ではなく「クリスマスの夜」

テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)

ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので

シリア, ダマスカス 〜 括弧付きながら「平和」だった, 1983年9月12-19日

1983年4月26日に日本を発ち, ソ連・ヨーロッパ・トルコを旅した後, 9月5日からはシリア・アラブ共和国(アレッポ, パルミラ)ソ連・ヨーロッパ・トルコ 旅 notes に関しては, 以下リンク先 note *1 の最後から3番目の章 1983年4月26日に日本を発ってから, 初めてのアラブの国 シリア を訪れる前までの日々 (ソ連, ヨーロッパ, トルコ) にて。*1 はアレッポ 旅 note, *2, *3 はここでは脱線 notes(同年9月11日にシリアで23歳の

パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)

写真は, 西暦紀元32年に建造され, 2000年近くこの姿を保ちながら, 今から6年前, 2015年に "宗教" 原理主義者 IS「イスラム国」がこの地域を制圧した際に破壊された, パルミラのベル神殿(1983年9月11日, 筆者撮影)。この写真を含む 1983年のパルミラの写真は 本 note 第2章にて。 謎の東洋人, パルミラに現わる1983年4月26日に「極東」日本を発った怪しげな東洋人(以下 note 1つ目タイトル写真の右から2番目!), 「現代」のシリア・

ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき

* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。 グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲した

刺激的なフランス旅行 1983, 愉快なフランス旅行 1988 〜 「退屈なフランス旅行」1997 ♫

タイトル上は https://youtu.be/rK_v4iNQFV8 ♫ 1983年8月9日のフランス・パリ, 「凱旋門」の手前, 「オー・シャンゼリゼ」。歌は筆者じゃないけど(笑), 写真は筆者撮影。 「退屈なフランス旅行」 〜 Date Of Birth 1997 ♫ デイト・オブ・バース Date Of Birth 1997年7月25日リリースのアルバム「フォークソングス」"Folk Songs" に収録された曲。当時このバンドのことは知らず, その頃よく買って読ん

フランス・パリにて, カンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 Teach Your Children (CSNY) ♫

タイトル上の写真はカンボジア人移民ではない。二人は, パリのリュクサンブール公園近くの小さな公園にて自転車の乗り方を教えるパリジャンの父と, 教わるパリジェンヌの娘(1983年6月11日)。 1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3日から滞在 〜 6月10日までを振り返る1983年4月26日に日本を発って, フランスの首都(普通「首都」だなんてわざわざ書かないね, 笑)パリには, 1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ, 今のドイツの首都ベルリンは当時その西

1983年6月4日, フランス・パリの映画館で観た FURYO 〜 Merry Christmas, Mr. Lawrence 要するに「戦メリ」

なんてタイトル付けながら, 「戦場のメリークリスマス」は好きな映画だけど, 映画そのもののことは今日それほどたくさん書かないと思う(たぶん!)。ただ, 帰国後も何度か観た「戦メリ」の封切り時期にパリにいて, 初めてあの映画を観たのはパリの映画館だったということは流石にいつまでも記憶しているので, つい! 1983年4月26日に日本を発って, 同年6月3日の朝, パリ着前日1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ!)のケルンで乗った夜行列車で, フランス・パリにやって来たのだ

ケルン大聖堂 1983年6月2日, 写真しょぼい2枚しかないので 〜 ベルリンまでのリンクと「宗教」絡み付録でも付けることにする

1983年4月26日に日本を発ってから, ベルリンまで(ソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツは東ベルリンのみ) 1) 前説: ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行に旅立つ前の話, 1979年4月, 大学入学のために故郷の静岡県「秋葉路や花橘も茶の香り, 流れも清き太田川, 若鮎踊る頃となり, 松の緑も色もさえ, 遠州森町良い茶の出処, 娘やりたやお茶摘みに, ここは名代の火伏の神, 秋葉神社の参道に, 産声上げし快男児, 昭和の御

911 から10日後(一部 歌詞和訳) 〜 トム・ペティ, ニール・ヤング, スティーヴィ・ワンダー, ポール・サイモン, そして ロバート・デ・ニーロ

前説今日は 3月24日。911 の話題を取り上げるのは「季節外れ」。しかし 911 にしろ 311 にしろ 1208 にしろ 806, 809 にしろ 815 にしろ他の諸々にしろ、別に季語ってわけじゃない。仮に季語だとしても秋の季語を春に詠んだりしちゃいけねぇよなんて話はないわけで。 桜愛でるこの 3月下旬の佳き日にわざわざ 911 トピックを取り上げることにさしたる「わざわざ」の理由はないんだけど、些細な理由、ちょっとした訳ならある。 3日前、トム・ペティの "I W

再生

Carpe Diem, いまを生きよ 〜 from "Dead Poets Society",「いまを生きる」

10年前のあの時、茨城県南の我が家の2階のピアノが跳ねるようにして揺れていた。というか、実際に跳ねていた。あんな光景を見るのは初めてだった。慌てて階下に降り、玄関から外に出た。我が家を見ると、家全体が大きく揺れていた。いつまでも続くかのように、家全体が大きく揺れていた。周りの家々も皆、同じだった。あんな光景を見るのは初めてだった。しばらくして家に戻り、テレビをつけるとそのうち、あの怖ろしい光景が生中継され出した。なぜだろう、CNN を付けていた。CNNが、あの凄まじい光景を延々と流していた。 4年ほど前、Facebook 上で知り合ったドイツ在住のクロアチア人の女性から、彼女と同じ宗教の信徒の男性があの2011年3月の日本で起きた巨大な地震と津波による惨劇をテレビで見ながら、 "Japanese people deserve it. Because they don't believe in God" と言ったということを教えてくれた(彼女とは英語でやり取りしていたから英語で筆者に伝えてくれたが、もちろんその男性はドイツ語で話していたのだろう。あるいは同じクロアチアからの移民だったのならクロアチア語だったのかもしれない)。 「日本人には当然の報いだ。なぜって彼らは神を信じてないんだから」と言ったということになるが、意訳すればこんな感じだろう。「それ見たことか。連中、神を信じてないから報いを受けたんだよ。」 彼女はこう付け加えた。「彼は友人の一人だったけれど、もちろんそれ以来、私の友人なんかじゃないわ。」 彼女はたまたまムスリムだったが(つまりその男もムスリムだった。因みにクロアチア本国の宗教信徒は大多数がカソリックで、彼女はカソリックからイスラムに改宗した人だった)、ああいうことを言ってのける人間はもちろん別にムスリムだけでなく、クリスチャンにだっている。 当然ながら、宗教の信徒の皆があんな考え方をするなどと言っているのではない。実際のところは、そんな「悪魔」のような発想をする人間は、全体の中では少数に違いない。比率にしたら極めて小さいだろう。 それにその種のこと(「連中は〇〇だからその報いだ」等)を言う人間は、もちろん「神」なるものを信じない人間の中にもいるに違いない。ただ、宗教の信徒によるあの種の考えはより深刻だ。 彼らは普段は「神」なるものの愛とか慈愛とか慈悲とかを美しい言葉で語っている。そういう宗教の信徒の中であの種のことを言ってのける人間というのは、要するに、「神からの愛、慈愛、慈悲。ただし、それは(我々が信じる)『神』を信じた場合だけだよ」と言ってるのに等しい。 彼らのあの種の思考は、彼らが、人間はおろか自然そのものを、宇宙を、そんな全てのものを超越した存在だと彼らが信じている「神」なるものの名の下で人間の「業」のようなものを語り、「断罪」を語り、その上でそれを信じない人間を自らの思考において「断罪」しようとしているという点において、極めて深刻な発想だ。 全てを超越した存在である(と彼らが信じる)「神」、それは彼らにとって一切の疑いをさし挟むことができない存在であり、完全無欠な存在であり、絶対的に無謬なる存在である。そんな完全無欠、絶対無謬の「神」なるものへの信仰、その「見返り」であるかのような「神」からのご加護(御籠, 恩寵)の有無を人間の生き死にの条件にしようとする彼らの思考は、自らのその思考も絶対的に無謬であるという前提のもとに成り立つことになる。 いや、そんなことを言う人は本当の信者ではないと言う人もいるだろうから、ならば、「自称ムスリム」「自称キリスト教徒」(の一部?)と言えばいいのか。しかし「自称ムスリム」と「ムスリム」、「自称キリスト教徒」と「キリスト教徒」.. 等々の間にある境界は、筆者のような無神論者には極めて曖昧なものだ。というか、こちらはそもそも彼らの言う「神」なるものを信じていないのだから、呼称上のその区別はほとんど意味がない。 ともあれ、今日は、3月11日。 ............................................ いまを生きる Carpe Diem ー Dead Poets Society https://note.com/dailyrock/n/n1c21b543b1c0 「ブレードランナー」から「2001年宇宙の旅」/ "Echoes" へと巡る旅 〜 〜 経由地は「いまを生きる」「6才のボクが、大人になるまで。」「生きる」「ゴンドラの唄」, "To the Virgins, to Make Much of Time", 途中下車して「ウィンザーの陽気な女房たち」, "Welcome to the Pleasuredome" "Relax", 「アポロの歌」, "If" & "If", 「ツァラトゥストラはこう語った」 https://note.com/dailyrock/n/ne216b57981c3

#英語 の投稿で 特に 「スキ」 集めました 〜 2週連続で note より嬉しい知らせ

That's the way, I LIKE it ♫ 2週連続で note から「先週 #英語 を付けた投稿の中で 特に『スキ』を集めました」とのお知らせをもらった。とりあえず、記念に懐かしの KC and the Sunshine Band's That's the Way (I Like It) ♫ と言っても実際のところ.... note 界においてそれほど「スキ」が多かったわけではない。はっきり言って、さして多くない。今日 note よりお知らせがあった先週のそれ

ドアーズ "Break On Through (To the Other Side)" 〜 歌詞和訳

前説この曲はドアーズの 1967年1月リリースのデビュー・アルバム、その名も "The Doors" のオープニング・トラックにして同アルバムからの最初のシングル、つまりは彼らのデビュー・シングル曲。同年4月に同じアルバムからシングル・リリースされ、同 7月には Billboard Hot 100 で 3週間 1位となる大ヒットとなった "Light My Fire" とは対照的に、この "Break On Through (To the Other Side)" はチャート