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映画

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映画のレヴュー的なものから、主題は別でも映画の話題が多少とも入っているものまで。
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#ポールサイモン

クリスマス 諸々 note 寄せ集め

おっと 失礼(笑)。タイトル写真の人は キリスト じゃなくて ブライアン さんでした! .. それはさておき, 自分のこれまでのクリスマス関連 note, 全部は無理だけど, ざくっと寄せ集め(わりと直接関連するものから単に「キリスト」繋がりのものまで)。 あ, 因みに煩いこと言うと, キリスト教的には今日 12月24日の日没から明日 12月25日の日没までが「クリスマス」ということになって, かつ「クリスマス・イヴ」とはクリスマスの前夜という意味ではなく「クリスマスの夜」

テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)

ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので

ポール・サイモンの東京ドーム・ライヴを妻と観た 1991年10月12日 〜 というわけで 30周年

タイトルに使った写真は当日のステージを筆者が撮影した, ような類ではなくて, 当日会場で入手した当時のツアー Born at The Right Time Tour のパンフレットに掲載された写真からとったもの(多分ツアーのリハーサル時の写真)。あの日から18年後の2009年7月11日のサイモンとガーファンクルの東京ドームでのライヴには当時高校2年だった息子も一緒で, 妻子と3人で観に行ったけれど, 1991年10月12日のポール・サイモンの同じく東京ドームでのライヴの時は,

ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき

* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。 グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲した

ギリシャ, アテネ part β' 〜 1983年7月15-16日(写真14枚)

ギリシャ, アテネ part α' と 1983年4月26日に日本を発ってギリシャに着くまでギリシャ, アテネ part α' は以下 note *1 で(1983年7月10日にイタリア・ブリンディジをフェリーで発って翌7月11日にギリシャ・パトラに着き同日のうちに列車でアテネへ向かい .. そしてシンタグマ広場, アクロポリスとパルテノン神殿, リカヴィトスの丘など訪問・見物), そしてその前, 1983年4月26日の日本「出国」からイタリア・ブリンディジまでは note

ノイシュヴァンシュタイン城(ドイツ, 当時は西ドイツ) 〜 1983年6月20日(写真8枚)

今日は2021年6月19日, 38周年は「明日」だけど, まぁいいや。昼間やる「前夜祭」。 1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ここまでを振り返る 今日は簡単に。昨日の "ライン下り「ローレライ」note", 上と同じ見出しの第1章, その 1) 2) 3) 4), それらに昨日の note の「1983年6月18日ライン下り」を加えれば, 「ここまでを振り返る」ことに。 1983年6月19日に滞在したのは ミュンヘン そう, ミュ

ドイツ最古の大学がある街 ハイデルベルク 〜 西ドイツ時代, 1983年6月16日(写真8枚)

1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, その50日目, 1983年6月14日にマッターホルンの華麗, 荘厳, 雄大な景色を堪能して1拍したスイス・ツェルマットを翌6月15日に発ち, 最初はオーストリア・ウィーンに行くつもりが, スイス・バーゼルに出たところでどういうわけか気が変わり, ドイツ(当時は「ベルリンの壁」時代なので西ドイツ!)のハイデルベルクへ向かったのだった。 スイス・ツェルマットまでを振り返ると..ドイツ(西ドイツ!)・ハイ

フランス・パリにて, カンボジア人移民(難民)と話した, 1983年6月11日 〜 Teach Your Children (CSNY) ♫

タイトル上の写真はカンボジア人移民ではない。二人は, パリのリュクサンブール公園近くの小さな公園にて自転車の乗り方を教えるパリジャンの父と, 教わるパリジェンヌの娘(1983年6月11日)。 1983年4月26日に日本を発って, パリには 6月3日から滞在 〜 6月10日までを振り返る1983年4月26日に日本を発って, フランスの首都(普通「首都」だなんてわざわざ書かないね, 笑)パリには, 1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ, 今のドイツの首都ベルリンは当時その西

「洋楽」の入り口で聴いた ショッキング・ブルー

「洋楽」の入り口, 「洋楽」(の世界)の扉「洋楽」という言葉の定義は非常に曖昧で、時代やあるいは語られる文脈次第で意味にズレが生じるきらいがある。そもそも、少なくとも筆者が「洋楽」なるものを(意識して)聴くようになった半世紀ほど前の時点では多くの日本人にその意味するところに関してほぼ共通の認識があったと思われる「洋楽」なる言葉、今やさして使われなくなっているのではないかと思うし、今も使われるとしても語られる時には既に半世紀ほどの前のその意味とはだいぶ異なるものになっている可能

ビハインド・ザ・マスク 〜 YMO, マイケル・ジャクソン, グレッグ・フィリンゲインズ, エリック・クラプトン, 坂本龍一

ニューオーリンズのマルディグラとヴェネツィアのカーニヴァルでマスク(仮面)を被って、「仮面貴族」ミル・マスカラスを思い出してから「仮面の裏側で」「マスク」と言ってもコロナ禍で世界を席捲中のあのマスクじゃなくて(「席捲」してるのは本当はマスクじゃなくてコロナだけど)、ここでのマスクは「仮面」。とはいえ、面倒くさいあのマスクに毎日お世話になるこのコロナ禍で聴く「ビハインド・ザ・マスク」は以前とちょっと違う聞こえ方がする ... かな? ここのところ「仮面」に纏わることを not

仮面 〜 マルディグラ(ニューオーリンズ), カーニヴァル(ヴェネツィア), Eyes Wide Shut 〜 2001年宇宙の旅/エコーズ

ミル・マスカラスも取り上げようと思ったんだけど、「ほぼ」いつもながらのてんこ盛りになるのでまたの機会にした。なぜミル・マスカラス? .. 今日の note 投稿テキストの核にあるのはマスク、つまり仮面。知っている人は知っている(笑)、彼の別名は「仮面貴族」。何を隠そう(隠すこともないか)筆者、小学校4年か5年の頃、ミル・マスカラスに会ってあの肉体美にタッチしたことがあるのだ。大ファンだったし、試合観て試合後にリング下に降りてきたマスカラスに迫り(サインももらったはず、あの時の

911 から10日後(一部 歌詞和訳) 〜 トム・ペティ, ニール・ヤング, スティーヴィ・ワンダー, ポール・サイモン, そして ロバート・デ・ニーロ

前説今日は 3月24日。911 の話題を取り上げるのは「季節外れ」。しかし 911 にしろ 311 にしろ 1208 にしろ 806, 809 にしろ 815 にしろ他の諸々にしろ、別に季語ってわけじゃない。仮に季語だとしても秋の季語を春に詠んだりしちゃいけねぇよなんて話はないわけで。 桜愛でるこの 3月下旬の佳き日にわざわざ 911 トピックを取り上げることにさしたる「わざわざ」の理由はないんだけど、些細な理由、ちょっとした訳ならある。 3日前、トム・ペティの "I W

クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 本篇

クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 前説 前説は、昨日 note 投稿したもの。以下のリンク先。 前説も併せて読んでいただけると嬉しいけれど、もちろん強制できないし(あたり前田のクラッカー .. という TVCM を知っている人の「中には」筆者の音楽嗜好に同世代的共感を覚えてくれる人もいると思う、以上「脱線」)、次章の「本篇」だけ読んで反応していただけるのでも十分に嬉しい。 で、とりあえず本投稿「本篇」の方を読んでいただ

クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 前説

はじめに「可能か」という言葉は、ここでは、堅っ苦しい言い方をすると「形而下」の話でなくて、「形而上」の可能・不可能。ちょっと違うか(笑)。要するに、歌うことが可能か、不可能か、という設問に対して、単にそれを声を出して歌うのは「可能」なんだから「可能」でしょ、と応じるのではなくて。「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」(by 松鶴家千とせ)。いや、これは当然ながら冗談なので、その逆、もちろん、「わかっていただける」と思います。でも松鶴家千とせの名は、1960年生まれの筆者と同世