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音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

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"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。― Friedrich Nietzsche フリード… もっと読む
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#音楽

Eric Clapton 武道館公演 100回目 〜 2023年4月21日

クラプトンのライヴは, 1975年, 中学3年の時の第2回来日公演以来, これまでに 15回観てきた(今回の記念すべき 武道館 100回目ライヴを含めて)。うち 10回は妻子と 3人で, それを含む 12回は妻と共に。クラプトンが, 自分が 今までで 一番多くライヴを観てきた ミュージシャン。 隣町珈琲 に寄ってから 〜 いざ, 武道館 へいきなりの第1章, クラプトン 武道館 100回目ライヴ とは直接関わらない話題なんだけど(でもやはり少し関わることにはなる), 些か長

韓国への旅 〜 7回目ながら 29年ぶり (2022年10月)

写真は 韓国・ソウルに着いた日 2022年10月8日の夜, 同行のカミさんとソウル在住の息子と 3人で 街を散策中に撮った一枚。カミさんが手にしているのは ソウル Seoul のソウル Soul フード *, ホットク。横書きハングルの上段右 2文字が「ホットク」。因みに下段の 4文字は, 日本, 大阪のソウル・フード *, 「タコ焼き」。たこ焼きも 韓国で人気があるらしい。 *いきなりの注釈。Soul Food は元々の英語における意味は「アメリカ合州国南部の黒人・アフリ

911 記念 〜 自分の誕生日(1960), シリアの現職・独裁大統領の誕生日(1965), アメリカがチリの民主主義を殺した日(1973), シリア・パルミラの都市遺跡を訪問した日(1983), アメリカが「宗教」狂信者に攻撃された日(2001), 拙者の note 開始日(2019) 〜 誕生日リクエスト(2021), 今日は 歌詞和訳付きで この歌で締め, "Ol' '55" (Tom Waits) ♫

ナンセンス込みの前説9月11日は 62年前の拙者の誕生日でもあり, 3年前の拙者の note 開始日でもあり, そして他にも ... 。というわけで, 今日の拙者の note は, 911 記念 note リンク集「の・ようなもの」。 あ, あの映画は 911 とは関係ないですね。「リンク集のようなもの」と書こうとしたら, というか「のようなもの」と言おう・書こうとするといつも思い出してしまう懐かしい映画タイトル(しかしこの映画そのものは観てなかったと思う, 笑), ただ

イカした女性ロッカー, 順不同のベスト 5 + α 〜 Annie Lennox, Chrissie Hynde, St. Vincent, PJ Harvey, Taylor Momsen.. ♫

タイトル写真は, タイトルの文字に入り切れていない Nicoletta Rosellini さん, イタリアのゴシック・メタルの人。 前説あんまり暑い毎日なので, note に堅苦しいことを書く気がしない(笑)。でも更新滞らせて置いておくのも なので ... あ, ナンなので。 で, 思いついたお題は 〜 イカした女性ロッカー「イカした」という言い方は近頃しないかもしれないけれど。「クールな」も考えたけど, けっこう「ホットな」ミュージシャンもいるし。因みに Coo

The Dangling Conversation 宙ぶらりんの会話 by Simon & Garfunkel 〜 歌詞和訳

前説を少しばかり..Simon & Garfunkel が 1966年10月24日にリリースした 3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme", その LPレコードの B面 1曲目に収録されていた, 美しい旋律とハーモニーに彩られた曲。 シングルとしてもリリースされ, Billboard Hot 100 で最高25位を記録している。ある意味「地味」な曲調を踏まえれば, 商業的成功としては「いい出来」だったとも思えるのだが, Pau

ポール・サイモンのゴスペル調ロック "Gone at Last" 〜 歌詞和訳

Paul Simon が Phoebe Snow (July 17, 1950 – April 26, 2011) とデュエットし, ゴスペル・シンガーである Jessy Dixon (March 12, 1938 – September 26, 2011) による Jessy Dixon Singers がコーラスを付けたアップテンポの曲。1975年10月25日にリリースされ, 翌年グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞した Paul Simon の 4枚目(S&G解散後では

ビートルズ 「歌詞」 和訳 note リンク集 〜 39年前の今日 1983年5月23日に, 更にその昔 ビートルズ が「青春」の日々を過ごした街, ハンブルク に着いた「記念」

なんと大袈裟なタイトル(笑)。39年前の今頃, 自分がハンブルク にいたこと自体は事実。でも一方で「歌詞」 和訳 note リンク集と言っても ビートルズ の歌の歌詞はこれまで 3曲しか和訳したことがないのだった。 .. というわけで, ジョン・レノン のソロの歌の「歌詞」和訳も追加 ♫ 1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本 を発ち, 当時の ソ連, そして フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク を経て, 当時の 西ドイツ へ 〜 最初

39年前の今日 コペンハーゲン に着いた記念 〜 柳ジョージ&レイニーウッド の 横浜 の 「コペンハーゲン・パーク」 ♫

1983年4月26日に 横浜港 から 当時の ソ連・ナホトカ 行き 2泊3日のフェリーの旅で 日本 を発ち, ソ連 を鉄道で横断しながら旅し(ナホトカ から ハバロフスク までも鉄道, そして当時の ウラジオストク は軍事的理由で外国人は自由に出入りできなかったので ハバロフスク から モスクワ までが シベリア鉄道), その後, フィンランド・ヘルシンキ に 1泊2日, スウェーデン・ストックホルム に 2泊3日, ノルウェー・オスロ にも 2泊3日 滞在。オスロを 5月1

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

スザンヌ・ヴェガ "Luka" ♫ 〜 歌詞和訳

この歌は Suzanne Vega が 1987年4月にリリースした2枚目のアルバム "Solitude Standing" に収められた曲(同アルバムのオープニングを飾る "Tom's Diner" に続いて収録された)。当時, 筆者はカセットテープであのアルバムを買っている(第1章)。以来ずっと好きな曲だけど, この歌の歌詞を和訳してみたいと思ったのは, 5-6年前に Paul Simon の "One Man's Ceiling Is Another Man's Fl

1983年4月26日, 39年後の同日つまり今日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時のソ連, 今のロシア!

今からちょうど39年前の1983年4月26日は, 今日2022年4月26日とたまたま曜日が同じ, 火曜日だった。いや, 暦を踏まえれば, この39年間に過ぎていった日数を 7で割ると割り切れるというわけだから, これは偶然というより必然といえばいいのか。そもそも曜日が一緒というのは大した意味があるわけでもないけれど。それはさておき, 旅立つ前 1) 1960年911 に知る人ぞ知る!静岡県の遠州森町というところで生まれた拙者(いきなり「帰国」「帰郷」note へのリンクだけ

ポール・サイモン "One Man's Ceiling Is Another Man's Floor" ♫ 〜 歌詞和訳

邦題は「君の天井は僕の床」だったけれど、思いきりストレートに訳して邦題をつけるなら「ある人の天井は別の人の床」。でも歌詞を読んでると、「お前の天井は俺の床」とか「俺の天井はお前の床」にしてもいいような気もしてくる。 1973年リリース, ソロ3作目・S&G解散後2作目のアルバム "There Goes Rhymin' Simon"(ほら, サイモンがまた韻踏んでるよ; 公式邦題「ひとりごと」)に収録アルバムは以前, 以下の note で取り上げていた。というわけで, これま

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以

1984年2月, 初めて訪れた広島平和記念公園

1983年4月26日に横浜を発ってフェリーで当時のソ連のナホトカに向かい, その後, ソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅し, 最後の訪問国であった韓国の釜山からフェリーで下関に着いて帰国したのが, 1984年2月1日。下関からひとまず静岡県の自分の田舎の家に戻る途中, 後輩が広島大学にいたこともあって, 広島に立ち寄った。初めて訪れた広島には3泊し, 滞在中, 2月2日と3日の2回にわたり広島平和記念公園に行った。タイトル上の写真は 2月3日に撮影。3日前の1984