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#ポールサイモン
The Dangling Conversation 宙ぶらりんの会話 by Simon & Garfunkel 〜 歌詞和訳
前説を少しばかり..Simon & Garfunkel が 1966年10月24日にリリースした 3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme", その LPレコードの B面 1曲目に収録されていた, 美しい旋律とハーモニーに彩られた曲。 シングルとしてもリリースされ, Billboard Hot 100 で最高25位を記録している。ある意味「地味」な曲調を踏まえれば, 商業的成功としては「いい出来」だったとも思えるのだが, Pau
ポール・サイモン "One Man's Ceiling Is Another Man's Floor" ♫ 〜 歌詞和訳
邦題は「君の天井は僕の床」だったけれど、思いきりストレートに訳して邦題をつけるなら「ある人の天井は別の人の床」。でも歌詞を読んでると、「お前の天井は俺の床」とか「俺の天井はお前の床」にしてもいいような気もしてくる。 1973年リリース, ソロ3作目・S&G解散後2作目のアルバム "There Goes Rhymin' Simon"(ほら, サイモンがまた韻踏んでるよ; 公式邦題「ひとりごと」)に収録アルバムは以前, 以下の note で取り上げていた。というわけで, これま
1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目
前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以
テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)
ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので
エルサレム旧市街と「ホロコースト記念館」(ヤド・ヴァシェム) 〜 エルサレムの東西; パレスチナ/イスラエル見聞録, 1983年10月3日
1. 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時
歌詞和訳 "A Most Peculiar Man" (Paul Simon) 〜 しかし最後のシンプルな否定疑問文が意外と難解なのかもという気がしてきた..
But wasn’t he A Most Peculiar Man?これがこの歌の歌詞の最後の一文だけど, このシンプルな否定疑問文, 日本語にする場合に一番普通なのは「だけど彼はとても変わった男ではなかったの?」「だけど彼はとても変わった男ではなかったんですか?」といった感じなんだろうけど, その意味もしくは含意についてはどう考えたらいいんだろう? 彼が「とても変わった男」じゃなかったかどうかの確認, あるいは「とても変わった男」だったのかどうかの確認? .. 少なくとも