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音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

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"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。― Friedrich Nietzsche フリード… もっと読む
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#ポールサイモン

The Dangling Conversation 宙ぶらりんの会話 by Simon & Garfunkel 〜 歌詞和訳

前説を少しばかり..Simon & Garfunkel が 1966年10月24日にリリースした 3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme", その LPレコードの B面 1曲目に収録されていた, 美しい旋律とハーモニーに彩られた曲。 シングルとしてもリリースされ, Billboard Hot 100 で最高25位を記録している。ある意味「地味」な曲調を踏まえれば, 商業的成功としては「いい出来」だったとも思えるのだが, Pau

ポール・サイモンのゴスペル調ロック "Gone at Last" 〜 歌詞和訳

Paul Simon が Phoebe Snow (July 17, 1950 – April 26, 2011) とデュエットし, ゴスペル・シンガーである Jessy Dixon (March 12, 1938 – September 26, 2011) による Jessy Dixon Singers がコーラスを付けたアップテンポの曲。1975年10月25日にリリースされ, 翌年グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞した Paul Simon の 4枚目(S&G解散後では

スザンヌ・ヴェガ "Luka" ♫ 〜 歌詞和訳

この歌は Suzanne Vega が 1987年4月にリリースした2枚目のアルバム "Solitude Standing" に収められた曲(同アルバムのオープニングを飾る "Tom's Diner" に続いて収録された)。当時, 筆者はカセットテープであのアルバムを買っている(第1章)。以来ずっと好きな曲だけど, この歌の歌詞を和訳してみたいと思ったのは, 5-6年前に Paul Simon の "One Man's Ceiling Is Another Man's Fl

ポール・サイモン "One Man's Ceiling Is Another Man's Floor" ♫ 〜 歌詞和訳

邦題は「君の天井は僕の床」だったけれど、思いきりストレートに訳して邦題をつけるなら「ある人の天井は別の人の床」。でも歌詞を読んでると、「お前の天井は俺の床」とか「俺の天井はお前の床」にしてもいいような気もしてくる。 1973年リリース, ソロ3作目・S&G解散後2作目のアルバム "There Goes Rhymin' Simon"(ほら, サイモンがまた韻踏んでるよ; 公式邦題「ひとりごと」)に収録アルバムは以前, 以下の note で取り上げていた。というわけで, これま

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以

クリスマス 諸々 note 寄せ集め

おっと 失礼(笑)。タイトル写真の人は キリスト じゃなくて ブライアン さんでした! .. それはさておき, 自分のこれまでのクリスマス関連 note, 全部は無理だけど, ざくっと寄せ集め(わりと直接関連するものから単に「キリスト」繋がりのものまで)。 あ, 因みに煩いこと言うと, キリスト教的には今日 12月24日の日没から明日 12月25日の日没までが「クリスマス」ということになって, かつ「クリスマス・イヴ」とはクリスマスの前夜という意味ではなく「クリスマスの夜」

テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)

ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので

ポール・サイモン 80歳の誕生日に 〜 ポール・サイモンの歌, 歌詞和訳とアルバム・レヴュー

今までに ポール・サイモンの歌の歌詞を 随分と和訳していた。ポール・サイモン 80歳の誕生日記念でこれまで note に載せてきたものを集めたら(本 note 第7章以降, 19曲; 2022年6月16日現在 22曲), 予想以上の数。一瞬, 課金したい念に駆られた(笑)。因みに今日のタイトル写真にあるフレーズは, "Hearts and Bones" の歌詞の一部。いつかあの歌の歌詞和訳もしてみたい ♫ .............................. *一

ポール・サイモンの東京ドーム・ライヴを妻と観た 1991年10月12日 〜 というわけで 30周年

タイトルに使った写真は当日のステージを筆者が撮影した, ような類ではなくて, 当日会場で入手した当時のツアー Born at The Right Time Tour のパンフレットに掲載された写真からとったもの(多分ツアーのリハーサル時の写真)。あの日から18年後の2009年7月11日のサイモンとガーファンクルの東京ドームでのライヴには当時高校2年だった息子も一緒で, 妻子と3人で観に行ったけれど, 1991年10月12日のポール・サイモンの同じく東京ドームでのライヴの時は,

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)に戻って 〜 1983年10月5日

1. 「48イスラエル」, 「47イギリス委任統治領パレスチナ」 イスラエル国(1948年, 従前 約30年間「イギリス委任統治領パレスチナ」だったその域内に「建国」)の領内なのでその意味では単純に「イスラエル」と書いてもいいのだが, 1967年6月のイスラエルによる軍事侵攻以降 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議に逆らって既にこれまで半世紀以上の長きにわたりイスラエルが占領している土地(東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区, しかもイスラエルは

エルサレム旧市街と「ホロコースト記念館」(ヤド・ヴァシェム) 〜 エルサレムの東西; パレスチナ/イスラエル見聞録, 1983年10月3日

1. 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時

ベツレヘム(パレスチナ) 〜 1983年9月30日

1983年4月26日に日本を発って 156日目, パレスチナ/イスラエルの旅を始めた。今は無きソ連, さらにヨーロッパ諸国, その後はトルコ, シリア, ヨルダンを旅し, そして同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時は16年間)不当な軍事占領を続けているヨルダン川西岸地区に入

アカバ(ヨルダン), 1983年9月23, 24日 〜 西に見えるイスラエル領エイラートに向かって

アカバ湾を横目に, 国境近くまで歩いてみたのは, 1983年9月23日。警官も兵隊も OK と言うので歩いてみたのだが, どうなったかは後で! .. なお, タイトル写真は同年9月25日朝, アカバをローカルバスで発ってペトラ遺跡に向かうその前に, 泊まっていた宿から撮ったアカバ湾。向こうに見えるのはイスラエル領エイラートの街。 1983年4月26日に日本を発って ソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ, そしてヨルダンの隣国シリアを旅するまでソ連・ヨーロッパ諸国, トルコのそれぞ

歌詞和訳 "A Most Peculiar Man" (Paul Simon) 〜 しかし最後のシンプルな否定疑問文が意外と難解なのかもという気がしてきた..

But wasn’t he A Most Peculiar Man?これがこの歌の歌詞の最後の一文だけど, このシンプルな否定疑問文, 日本語にする場合に一番普通なのは「だけど彼はとても変わった男ではなかったの?」「だけど彼はとても変わった男ではなかったんですか?」といった感じなんだろうけど, その意味もしくは含意についてはどう考えたらいいんだろう? 彼が「とても変わった男」じゃなかったかどうかの確認, あるいは「とても変わった男」だったのかどうかの確認? .. 少なくとも