マガジンのカバー画像

音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

316
"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。― Friedrich Nietzsche フリード… もっと読む
運営しているクリエイター

2021年1月の記事一覧

板門店 1984 〜 「韓国」全斗煥/「北朝鮮」金日成時代に訪れた冷戦下の南北分断ライン

前説としての「放浪」もどき旅 〜 「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」にてざっくりと振り返る大仰な投稿タイトルを付けたものの、少なくとも今日のところは 37年前の「今日」、1984年1月30日に板門店を訪れた時に撮った写真を中心に、当時初めて旅した韓国をざくっと振り返る投稿に留めると思う(いや今この投稿を note にアップする前に見たら確かに板門店は「ざくっと」だけど他のことを沢山載せていて「留め」てるんだか風呂敷広げたんだか、まぁいつもの如く)。 1960年9月11日

音楽は人を癒すか 〜 本当に 「音楽は人を癒す」 か?

音楽は人を癒すか。癒す時もあれば癒さない時もある。音楽を忘れる時もある。「本当に」へこんだ時は、音楽は力にならない。これは自分の場合、だけど音楽は自分にとって個人的な体験だから、これが全て。 本当にへこんだ時、ある一線を超えて(越えて)落ち込んだ時、音楽は自分の傍らになかった。というか、聴く気にもならなかった。この世に音楽があることを忘れていた。 「本当に」落ち込んだ時は、音楽すら傍らにない。音楽はその時、力にならない。音楽が癒しになる時は、いずれ再び立ち上がる可能性を秘

フィーリン・グルーヴィー(歌詞和訳) 〜 サイモンとガーファンクル

前説Simon & Garfunkel を妻子とともにライヴで観たのは 2009年7月(Paul Simon のライヴなら 1991年10月に妻と観た)、2009年7月となると自分はもう 48歳になっていたけれど、彼らは自分にとってはガキの頃「洋楽」の世界の入り口にいて、その先を案内してくれたような人たち。ほぼ同時期にショッキング・ブルーを聴いたりもしていた記憶があるものの、近頃はあまり言わないかもしれない「洋楽」と呼ぶ(呼んでいた)音楽を本格的に聴く切っ掛けになったのは、あ

イスタンブールとバンコクで Almost Cut My Hair 〜 Déjà Vu ♫

あ、間違えた、タイトル上の写真は俺じゃなくて ゲバラ だったこれを、日本語で「わざとらしい」と言います。ではちっぽけな人物、「ただの男」ならぬ「ただの日本人」に関する本題に入る前に、歴史、世界史に残るこの大人物についてあらためて。なお、今日はいつもに増してカオス(ギリシャ神話の「天地開闢」説における万物発生以前の秩序なき状態、混沌、混乱、または同時に全ての事物を生み出すことができる根源、ケイオス、反対語はコスモス)な投稿で、さらに推敲も校正もゼロでアップ、今日の投稿テキストは

カルカッタで見た 「火の車」 は現実だったのか幻だったのか 〜 「全東洋街道」(藤原新也)を読み返し、最後に聴くのは クリーム "Wheels of Fire"

「火の車」 とは 〜 その 1乞食は元々は仏教用語であって俗な差別的意味はないが、ここで言及しているのは俗に言う「こじき」。とはいえ、やはり、当然ながら、少なくとも筆者の note 投稿テキスト内において、差別的な意味合いは全くない。 それはさて置き、この note 投稿の本題に入る前、最初にことわっておくべきことがあって、本 note 投稿のタイトル上の絵は、江戸時代の画家・佐脇嵩之(さわき すうし)が残した「百怪図巻」(ひゃっかいずかん)と呼ばれる妖怪を主題にした絵巻物

お正月と云えば 炬燵を囲んで お雑煮を食べながら 〜 コロナ禍で聴く 「春よ来い」 (はっぴいえんど)

雑煮と書きつつ、「ゆでめん」とはこれ如何に。収録アルバムのカヴァーなり。 盆も暮れも正月も帰省できない「安倍&ガースー」人災込みのコロナ禍一都三県の知事に迫られて慌てて分科会に試問、試問された側は速攻で「首都圏はステージ4, だから速やかに緊急事態宣言を」、言われて飛び出てジャジャジャジャーン(呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!のハクション大魔王ならいいのだが、なんつって若い人にはこれは通じない .. はず)のガースー菅ソーリ大臣はたまらず「緊急事態宣言します」、何とま

カルカッタ(コルカタ), インド, 1984年1月6日 〜 トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere"

前説タイトルで組み合わせた2つには何か理屈っぽい背景のある特別な関係が存在するわけではない。自分としては全く理由がないわけでもないが、まぁほぼ思いつき、インスピレーション的なものに過ぎない。 タイトル上の写真は、37年前の今日、1984年1月6日に、筆者がインドのコルカタで撮った写真4枚のうちの1枚。コルカタは英語で書くと Kolkata, これは2001年からの呼称だ。コルカタはインドの西ベンガル州の州都だが、以前は、インドがイギリスの植民地だった時代の名残だと思うが、英

ブッダが 「悟り」 を開いたブッダガヤの大菩提寺を訪ねた翌々日は 〜 フラワー・トラベリン・バンド の "SATORI" ♫

ブッダが 「悟り」 を開いた場所、ブッダガヤの大菩提寺(マハーボーディ寺院)を訪ねた 〜 1984年1月3日 早朝 というわけで、まさかこのコロナ禍で海外旅行なんぞしているわけもなく、拙者であるところの筆者がブッダの「悟り」の場所を訪ねたのは 37年前の「一昨日」。前年 1983年4月からのバックパッカー海外「放浪もどき」旅でソ連(古い!もはや教科書にしかない国)、ヨーロッパ諸国、トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、そしてイラン、パキスタン

ブッダガヤの大菩提寺で仏塔を観た翌日は 〜 Tower of Power ♫

前説仏塔と言えば英語に直訳すれば Tower of Buddha (笑, 本当は英語で言う時も Pagoda とか Buddhist stupa とかになるんだけど、まぁしかし Buddhist tower という言い方ならあるにはあるようだ), となりゃあなた(どなた?)、BGM は Tower of Power で決まりだよねぇ(とこれは本 note 投稿の最後の章にて)。 タイトルに「ブッダガヤの大菩提寺で仏塔を観た翌日は」と書いたけれど、このコロナ禍のもと、海外旅行

ガンガー(インド, ヴァーラーナシー)で 初日の出 を拝んだ 〜 1984年1月1日

前説コロナ禍でおんとし、漢字で書くと御歳 92歳, 89歳の両親がいる静岡県の田舎に帰省することもできず、且つ東京住まいだった息子は一昨年12月から韓国・ソウル滞在中、今年は茨城県南の地方都市の我が家にて妻と二人で新年を迎え、二人で御節料理を食べ、日本酒を飲み、そうこうしているうちに 2021年の元日も早くも昼過ぎになった(でもインド、ヴァーラーナシー、ガンガー河畔はまだ元日の昼前だね)。 今からちょうど 37年前、1984年の元旦、インドのヒンドゥー教の「聖地」(郊外に釈