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音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

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"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。― Friedrich Nietzsche フリード… もっと読む
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2020年11月の記事一覧

インド、シク教の聖地アムリトサル 1983年11月30日 〜 トリップのお供はシク教の音楽はじめインドの音楽、それから喜多郎、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ジョージ・ハリスン、ラヴィ・シャンカル、アヌーシュカ・シャンカル、ノラ・ジョーンズ、ドアーズ

前説タイトル、長っ。何はともあれ、37年前の昨日、1983年11月29日にパキスタンのラホールから陸路インドに入り、インドではまずはシク教の聖地アムリトサルに向かった筆者、一晩泊まって翌日、37年前の今日(しつこいな)、1983年11月30日は引き続き、アムリトサルに滞在していたのだった。12月3日にアムリトサルを発ってダラムサラ(多数のチベット難民が住む、インドにおける、というか世界におけるチベット亡命社会の中心地、ダライ・ラマ14世も此処に居住)に向かったので、アムリトサ

ドアーズ "Break On Through (To the Other Side)" 〜 歌詞和訳

前説この曲はドアーズの 1967年1月リリースのデビュー・アルバム、その名も "The Doors" のオープニング・トラックにして同アルバムからの最初のシングル、つまりは彼らのデビュー・シングル曲。同年4月に同じアルバムからシングル・リリースされ、同 7月には Billboard Hot 100 で 3週間 1位となる大ヒットとなった "Light My Fire" とは対照的に、この "Break On Through (To the Other Side)" はチャート

LET IT BE (The Beatles) 〜 歌詞和訳

はじめに自分の音楽脳と音楽耳の「土台」は Paul Simon, Eric Clapton の二人, あと一つ加えるとするなら Pink Floyd, この 3つ(バンドを加えて 3人と言えなくなってしまい、もちろん 3バンドとも言えないから 3つ!!!)によって創られたので、その音楽脳・耳の生成期には The Beatles の洗礼を受けていない。いま「洗礼」って書いて思わず「あ、そうか」と頭に浮かんだのは、今日取り上げる曲 "LET IT BE" の歌詞に出てくる Mot

宗教と表現の自由に関するメモ 〜 フランス文化・宗教学者によるフランス「斬首事件」論考の読後感想と私見

はじめに宗教は自分にとって切実なものではない。自称「闘争的かつ積極的な無神論者」(リチャード・ドーキンス Richard Dawkins "Militant Atheism" 援用)ながら、もともと生来「神」なるものを本当の意味で信じたことなどなく(「本当の意味で」というのは、つまり、子どもの頃ってよく分からないままに神社仏閣をお参りしたりしてるよね、今も筆者は神社や寺の雰囲気自体はわりと好きだが)、いかなる特定宗教の信者にもなったことがない、そんな日本人の多くにありがちな対

クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 本篇

クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 前説 前説は、昨日 note 投稿したもの。以下のリンク先。 前説も併せて読んでいただけると嬉しいけれど、もちろん強制できないし(あたり前田のクラッカー .. という TVCM を知っている人の「中には」筆者の音楽嗜好に同世代的共感を覚えてくれる人もいると思う、以上「脱線」)、次章の「本篇」だけ読んで反応していただけるのでも十分に嬉しい。 で、とりあえず本投稿「本篇」の方を読んでいただ

クリスチャンでない者が、クワイアの一員としてブラック・ゴスペルを歌うことは可能か? 〜 前説

はじめに「可能か」という言葉は、ここでは、堅っ苦しい言い方をすると「形而下」の話でなくて、「形而上」の可能・不可能。ちょっと違うか(笑)。要するに、歌うことが可能か、不可能か、という設問に対して、単にそれを声を出して歌うのは「可能」なんだから「可能」でしょ、と応じるのではなくて。「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」(by 松鶴家千とせ)。いや、これは当然ながら冗談なので、その逆、もちろん、「わかっていただける」と思います。でも松鶴家千とせの名は、1960年生まれの筆者と同世

37年前の今頃イランにいたから Persian Love (Holger Czukay) 〜と言えば スネークマンショー

1983年11月のイラン 〜 イラン・イスラム・アヤトラホメイニ共和国違うよ、正式名称は Islamic Ayatollah Khomeini Republic of Iran ではなくて、Islamic Republic of Iran, つまり、イラン・イスラム共和国。しっかし、1953年に当時のイランの民主的に選ばれたモハンマド・モサッデク (Mohammad Mosaddegh) 首相の政府、兎にも角にも歴とした外国政府をアメリカ合州国の CIA と大英帝国、違ったイ

音楽とは音を楽しむってことだ ♫ 〜 ドゥービー・ブラザーズとピーター・フランプトンによるエリック・クラプトン「レット・イット・レイン」のカヴァー ♫

本投稿のタイトルは、ちょっと改題するなら、音楽とは音を楽しむってこと、ってかちょっとトートロジー「もどき」だけど、音楽とは音楽を楽しむってことだ 〜 ドゥービー・ブラザーズとピーター・フランプトンによるエリック・クラプトン「レット・イット・レイン」のカヴァー。まぁどっちにしても、例によって長いね。因みにタイトル上の写真は、筆者が2017年4月26日に日本武道館でドゥービー・ブラザーズのライヴを観た後に、記念に撮った写真です。ピーター・フランプトンは生聴きしたことがないけれど、

早く家に帰りたい (サイモンとガーファンクル) 〜 歌詞和訳

前説コロナ禍で故郷になかなか帰れない人が多そうな昨今の日本(斯く言う筆者も今年は正月以来帰省できてない)、この歌が沁みるという人はそこそこいると思う。「少なくない」とか「多い」とかではなくて「そこそこ」なのは、そんな心持ちの時にこの歌が浮かぶ人のうちの「多く」は、1960年911生まれの筆者とほぼ同世代か、あるいは更に上の世代で、かつ若い頃、というか少年時代に、「そこそこ」以上にサイモンとガーファンクル(そういう人たちには Simon & Garfunkel は サイモン・

無神論者の一家がキリスト教会でブルーズをやった日 〜 2001年11月11日

前説100年も前、いや100年足らず前に遡れば、ブルーズはキリスト教会の側から観れば(聴けば)、悪魔の音楽かな(笑)。1960年 911 生まれの筆者は当時41歳。息子は小学校3年、9歳の時。妻は永遠の29歳。妻の年齢だけは夫による年齢詐称(笑)。しかし彼女は今も若い!! そのうち書こうと思っているが、無神論者とはいえ、この年のGW、この時と同じ教会で行なわれたブラック・ゴスペル・ワークショップに通って、最終日には聴衆の前で歌うコンサートにも参加している(コンサートというか

混迷を極めるアメリカの今に捧ぐ 〜 「アメリカの歌」と「アメリカ」(歌詞和訳)

はじめに「はじめに」書いておくと、今後のアメリカにおいては、Z世代, Generation Z の声がますます強くなっていくだろうから、「産みの苦しみ」はしばらく続くにしても、「混迷を極める」今のアメリカのこの先は、近い将来と言わなくとも、近未来的な展望を考えれば、「我らが祖国」日本のそれよりも相当に明るいものになる可能性を秘めている。筆者はそんなふうに感じている。 本投稿のタイトルにその名を掲げた2曲は共にポール・サイモンが作詞作曲した歌で、前者はソロになってから、後者は

Give Peace A Chance (John Lennon) 〜 歌詞和訳

Give Peace A Chance (歌詞和訳) 〜 平和に機会を確か邦題は「平和を我等に」だったと思うが、自分がこの歌の歌詞を訳した時はあえて直訳的に「平和に機会を」とした。言わずと知れた(と言いたいところだけれど最近はもう忘れられてるのかも)半世紀ほど前の時代における平和運動にとっての象徴的な歌、要するにアンセムだった "Give Peace A Chance" はジョン・レノンが作って、1969年7月にシングル・リリースした曲。ビートルズ解散前ではあったが、レノンの

IMAGINE (John Lennon) 〜 歌詞和訳

想像してみよう、天国なんてないってことを この歌は言わずと知れた、1980年12月8日に40歳の若さで凶弾に倒れたジョン・レノンがこの世に残した数々の名曲のうちの一つ。いま「この世に」と書いたが、レノンはいま「この世に」いないのは確かだが、この歌の歌詞からすれば、彼はいま「あの世」にいるわけでもない。というか、「あの世」はないのだ。斯く言う私もそう思う。「あの世」はない。我々はいつか「この世」を去る, Memento Mori, そして「この世」を去れば、それで終わり。一巻の