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パレスチナと「中東」(西アジア)、その過去・現在・未来

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賛同しない内容のものも載せる予定です。テーマの中心は パレスチナ 及び 1948年に「建国」されたイスラエルですが、若いころバックパックひとつ背負ってロシア(当時はソ連)、欧州、… もっと読む
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ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)に戻って 〜 1983年10月5日

1. 「48イスラエル」, 「47イギリス委任統治領パレスチナ」 イスラエル国(1948年, 従前 約30年間「イギリス委任統治領パレスチナ」だったその域内に「建国」)の領内なのでその意味では単純に「イスラエル」と書いてもいいのだが, 1967年6月のイスラエルによる軍事侵攻以降 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議に逆らって既にこれまで半世紀以上の長きにわたりイスラエルが占領している土地(東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区, しかもイスラエルは

フランシーヌの場合 〜 ジョン・レノンの場合

今日 3月30日は, ベトナム戦争とナイジェリア内戦(ビアフラの飢餓)に心を痛めていたとされる フランシーヌ・ルコント(当時30歳)が, パリの路上で 焼身自殺した日(1969年)。同じく 3月30日は, パレスチナの「土地の日」(由来は 1976年のその日, 後述)。さらに 3月30日は, 昨年から今年にかけてライヴ演奏とオンライン配信によるパレスチナ・ガザ支援のキャンペーンを行なったエリック・クラプトンの誕生日(1945年)。もちろん, 全て偶然の一致。 本 note

ホワイトハウスさんよ, おまえら全くの茶番だぜ 〜 Hey you, WHITE HOUSE, haha, CHARADE you are!!

替え歌 〜 ピンク・フロイド "Pigs (Three Different Ones)" 歌詞中の "Mary Whitehouse" を "White House", つまり 「ホワイトハウス」 に替えてあの歌, 元々は, 1番の歌詞は 資本家・ブルジョア階級もしくは皮肉の対象としてのビジネスマン全般を揶揄していて, 2番の歌詞は マーガレット・サッチャー, 3番の歌詞は 当時 イギリス で ウルトラ原理主義 の キリスト教的価値観 を武器に「活躍」していた 超保守の活動

クリスマス は キャンセル 〜 悪の枢軸(アメリカ, イギリス, イスラエル)の蛮行があまりに酷いので

ドイツ も入れたかったんだけど, タイトルにある「悪の枢軸」。なんたってあの国は今や, Never Again は実はユダヤ人, いやシオニストのユダヤ人に対してだけのことだったんです, 他の人達がどんどけ虐殺されたって構いません, 特にシオニストのユダヤ人が加害者だった場合は加害者側を徹頭徹尾 支持・支援しますという, 恥知らずの国に成り下がったので(まぁ実は最初からそうだったのかもしれない)。 前説 〜 「悪の枢軸」 御三家「悪の枢軸」御三家 と言えば, そりゃもう,

ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 歌詞和訳 〜 教皇 フランシスコ に 「テロリスト」認定された アパルトヘイト国家, アパルトヘイト社会, 「イスラエル」に捧ぐ

前説note ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 〜 ローマ教皇 フランシスコ による イスラエル 「テロリスト」認定に寄せて さて, さて。 「西洋」を代表する宗教の 老舗 の トップによる 正論の裏で 〜 「西洋」の 相変わらずの 似非「自由」, 似非「民主主義」の 欺瞞 と 偽善まさしく, 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード に満ち満ちた「西洋」, 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード に満ち満ちた「西側」。 「よしログ

ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 〜 ローマ教皇 フランシスコ による イスラエル 「テロリスト」認定に寄せて

正確に言うと, フランシスコ は「テロリスト」でなく「テロリズム」という言葉を使って, 今の パレスチナ の ガザ地区 における イスラエル の蛮行を非難した(実際には 東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区 においても イスラエルの蛮行には目に余るものがあるのだが, いずれにしても長年!)。イスラエル を名指ししてはいないが, イスラエル による極悪非道の行為に対して 彼がモノ申していること自体は, 誰の眼(耳)にも明らか。 筆者は アブラハムの宗教の信徒ではないし, そ

「西洋」の 欺瞞 と 偽善 〜 さらば バーニー・サンダース, さらば リチャード・ドーキンス, くたばれ ユヴァル・ノア・ハラリ, くたばれ ボブ・ディラン, ついでに言うと, ぼのぼの は好きだが, U2 の ボノ は最低だ

前説: 本 note は 一言で言うと(一言が長い!) 〜 この秋 あらためて認識した, 今度という今度はつくづく, つくづく, 正真正銘つくづく, つくづく うんざりした, 「西洋」の, 欧米の, 彼らの民主主義・自由・公正・公平・平等といった概念の裏にある 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード についての 殴り書き, 走り書き, 端折り書き 〜 要するに, 「西洋」の偽善 に関する, ざっくりとしたメモ書き 「西洋」の民主主義 云々かんぬんの 欺瞞 や 偽善 や ダブ

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

ロシアのウクライナ侵略は非, 即刻撤退すべき, だが一方で, アメリカ合州国のそれほど巨大で醜悪な 〜 偽善とダブルスタンダード 〜 は 他にあるだろうか?

ウクライナに一部ネオナチ勢力がいるにせよ(本 note 後段の章にて詳述), そのことでロシアによるウクライナ軍事侵攻(侵略)と民間人の殺戮が正当化されないことは論を待たない。だがしかし, この機会に, 例によって「正義の味方」然とまさに当然の「反侵略」の声を上げて国際社会の中心に躍り出るアメリカ合州国のそれほど, 巨大で醜悪な 偽善とダブルスタンダード を筆者は知らない。 いや, 彼らは「正義の味方」面などしてないとか「躍り出」たりしてないとか言うのだろうが, 自らの狭

旅と音楽と社会批判の不器用な生き方 〜 今年の自分の note に係る記録を, 折角の機会なので note 投稿して残す

不器用ですから 今日の note のお題, 「折角だから」と書こうとしたんだけけど, 厳密に言うとそれは「折角」の誤用のようなのであった。せっかく角を折ろうとしたのに。まぁ兎に角が生えても, あ, 兎にも角にも, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, というわけで, 兎にも角にも, 昨日 note 事務局から今年の自分の note に関する記録をいただいた角を折る機会に, あ, はい, 面倒くさい人間です自分は, 不器用ですから.. また戻ってしまった自分は「不器

パキスタン 〜 ラホール, 1983年11月26-29日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月経過。本 note 第1章, 第2章はここまでの振り返り note で, 第3章以降が本 note の主題, パキスタン・ラホール 1983年11月の3泊4日滞在記(インドに向かい, 陸路国境越えまで)。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ, その後イランを旅して, 引き続き陸路でパ

パキスタン 〜 タフタン, クエッタ; 1983年11月21-26日

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ, その後イランを旅して, 引き続き陸路でパキスタンへ1983年4月26日に横浜港を発って, まずは半年間かけたソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトの旅については, 以下 note 1) の第1章 1983年4月26日に日本を発ってから 6ヶ月 〜 ソ連

イラン, 革命から4年後のエスファハンとザヘダン 〜 1983年11月17-21日

1983年4月26日に日本を出て, ソ連・ヨーロッパ・中東諸国を旅し, 11月15日からはイラン・イスラム共和国, まずは首都テヘラントルコ側の国境の町ドグバヤジッドから陸路 国境を越え, まずは首都テヘランに滞在, については以下 note で, 日本を出てからそこまでに関しては以下 note 第6章 イランに入る前の, 2度目のトルコ滞在記 〜 1983年4月26日の日本出発以降そこまでの各国各都市の旅 note 全リンク付き にて。 因みに第1章は イラン革命, 「た

イラン, 革命から4年後のテヘラン 〜 1983年11月15-17日, Teach Your Children ♫

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, 同年10月26日にあの旅で初めて飛行機を使ってカイロからイスタンブールに飛び, 2度目のトルコでは 2度目のイスタンブール, 初めてのアンカラと旅を続け, その後, イランとの国境の町ドグバヤジッドに滞在, そこから陸路, 11月15日に1979年の革命(結果としてイスラム革命)から4年後のイラン・イスラム共和国に入っ