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宗教批判、および宗教に少しでも関係があるもの

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何故この画像なのかというと、ネットで探したら合掌している女性の写真が出てきて、これがいいと思ったのだが、使ってみたらここには指先しか出なかった、とまぁそういうわけ。あ、アップロー…
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2021年7月の記事一覧

Summer '83 (イタリア, ギリシャ) 〜 Summer '68 (ピンク・フロイド)

Summer '83 (イタリア, ギリシャ) 1983年4月26日に日本を出て, 7月から8月にかけてはイタリアとギリシャを旅。1983年7月31日, 38年前の今日は, エーゲ海の島, ギリシャ領サントリーニ島にいた。本 note タイトル上の写真, そして以下の note 1) タイトル上の写真はその日, サントリーニで撮った写真。 1) 地中海の舞踏 〜 サントリーニ島, 1983年7月28日から 8月1日(写真8枚) 2) ギリシャ, アテネ part γ' 〜

ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき

* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。 グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲した

イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

ナポリから夜行列車でブリンディジ, ブリンディジでフェリーに乗って, ギリシャ側パトラへ1983年4月26日に横浜港をフェリーで発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅(完全網羅の一周ではない一方でエジプトにも行ったからアフリカ大陸その北東の端にも8泊9日), イタリアは12番目の旅国(造語, 訪問国とほぼ同意)で7月1日から9泊10日, ヴェネツィア, フィレンツェ, ローマとヴァチカン市国(これって13番目の旅国だなぁ, ヴァチカンは13, omg, Oh My いない

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」 〜 一方で リチャード・ドーキンスもただの「無神論」カルト偏屈爺いだった

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 1) ガリレオ・ガリレイ, そして ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第2章「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」の次の, 第3章「フィレンツェと言えば 〜 ガリレオ・ガリレイ」より(絵を挟んで計4段落)。 2) ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第1章「ヴァチカン市国 〜 写真 3枚」より(1段落分), その下の ヨハネ・パウロ

ヴァチカンと共に, ローマ・イタリア 1983年7月 part II 〜 写真11枚

タイトル上の写真はコロッセオ。写ってる人間たちの小ささを想えば, やはりこれはかなり巨大。ローマの part I(トレヴィの泉, スペイン階段, スイカ売り, トランプおじさん, イカしたカップルなど)は以下 *3, その前のヴェネツィアとフィレンツェは *1, *2, 彼方(あちら)から見たら「極東」の島国を 1983年4月26日に出て西欧の一角を占めるイタリア半島に入る前までに関しては 本 note の最終章。 *3 ローマ part I (写真 13枚) *1 ヴェ

街そのものが美術館だったフィレンツェ, イタリア 〜 1983年7月3日(写真6枚)

今のようなスマホ時代だったなら, いくら「貧乏旅行」バックパッカーでも, 写真は 6枚じゃなくて, 60枚, いや 600枚撮ってたかな(笑)。 1983年4月26日に横浜港からのフェリーで発ってスタートさせたユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行の諸国行脚。日本を発って早2ヶ月余りの月日が過ぎ, イタリアは12番目の滞在国, フィレンツェはヴェネツィアに続くイタリア2番目の滞在地だった。 イタリアでは, 当時の旅日記によれば, ヴェネツィアに 7月1-2日の1泊2日, フィレン