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二藍・葡萄染などのさいでの、おしへされて草子の中などにありける


『枕草子 紫式部日記』(日本古典文学大系19、岩波書店、昭和33年第1刷)

少し前に『枕草子 紫式部日記』から紫式部日記のごく一部を引用したが、今回は枕草子のなかで栞の登場しているくだりを引いてみたい。

まずは二十三段に夾算(けふさん)が二度出てくる。天皇が女房たちに古今和歌集の歌をどのくらい暗記しているかテストするというお話。先日、ある人気歴史学者がTV番組で、昔の人は古今集なんか全部覚えてましたというようなことを発言していた。まさか、そんなはずないでしょう、とテレビの前で突っ込んだのだが、やはりそんなことはなかったようだ。

 古今の草子を御前に置かせ給ひて、歌どもの本をおほせられて、「これが末、いかに」と問はせ給ふに、すべて、夜昼、心にかかりておぼゆるもあるが、けぎよう申しいでられぬはいかなるぞ。宰相の君ぞ十ばかり、それもおぼゆるかは。まいて、いつつむつなどは、ただおぼえぬよしをぞ啓すべけれど、「さやはけにくくおほせごとをはえなうもてなすべき」と、わびくちをしがるもをかし。知ると申す人なきをば、やがてみなよみつづけて、夾算せさせ給ふを、「これは知りたることぞかし。などかうつたなうはあるぞ」といひなげく。中にも古今あまた書きうつしなどする人は、みなもおぼえぬべきことぞかし。

p61

宰相の君とあるのは藤原重輔の女(むすめ)で清少納言と並び称された才女だとのこと。その彼女でも十ばかりしか暗記していなかった。これは覚えておかなあきませんやろと天皇はあきれて、ここまで、と当時しおりとして使っていた竹の夾算を草子に挟んだのである。

とは言え、全部覚えている女房もいましたよ、という話がつづく。中宮定子の発言である。

「村上の御時に、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一条の左の大臣殿の御女におはしけると、たれかは知り奉らざらむ。まだ姫君ときこえけるとき、父大臣のをしへきこえ給ひけることは、「ひとつには御手をならひ給へ。つぎにはきんの御琴を、人よりことにひきまさらむとおぼせ。さては、古今の歌二十巻をみなうかべさせ給ふを御学問にはせさせ給へ」となむ、聞こえ給ひける、ときこしめしおきて、
御物忌みなりける日、古今をもてわたらせ給ひて、御几帳を引きへだてさせ給ひければ、女御、例ならずあやし、とおぼしけるに、草子をひろげさせ給ひて、「その月、なにのをり、その人のよみたる歌はいかに」と問ひ聞こえさせ給ふを、かうなりけり、と心得給ふもをかしきものの、ひがおぼえをもし、わすれたる所もあらばいみじかるべきこと、とわりなうおぼしみだれぬべし。その方におぼめかしからぬ人、二三人ばかり召しいでて、碁石して数おかせ給ふとて、強ひ聞えさせ給ひけむほどなど、いかにめでたうをかしかりけん。御前にさぶらひけむ人さへこそうらやましけれ。せめて申させ給へば、さかしう、やがて末まではあらねども、すべて、つゆたがふことなかりけり。いかでなほ少すこひがごとみつけてをやまむと、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。さらにふようなりけりとて、御草子に夾算さしておほとのごもりぬるもまためでたしかし。 p61-62

p61-62

全部で二十巻だから半分まできたところで、村上天皇は感心してしまって、そこまで、と夾算を挟んで、ベッドルームへこもったと。起きてきたときに残りも試そうとテストをつづけたのだが、すべて間違いなく覚えていた。

もう一箇所、三十段にも栞かと思われるものが登場している。

すぎぎにしかた恋しきもの 枯れたる葵。ひひなあそびの調度。二藍・葡萄染などのさいでの、おしへされて草子の中などにありける見つけたる。
 また、をりからあはれなりし人の文、雨などふりつれづれなる日、さがし出でたる。こぞのかはほり。 

p72

二藍・葡萄染[ふたあゐ・えびぞめ]は「紅と藍とで染めた間色で濃い紫」と本書の註には、字数の制限もあってか、ごく短い解説がある。『色の手帖』(小学館、1986)にはもう少し詳しく、次のように出ている。

二藍(ふたあい)
紅花で染めた上に藍を重ねて染めた色。▽暗い灰紫。▼紅花と藍の割合は若年ほど藍を淡く、壮年ほど紅を淡くするので、二藍の色は使用者の年齢によって各種ある。 

p183

海老色・葡萄色(えびいろ)
古くは、エビカズラ(葡萄葛)の熟した実の色による名。近代、イセエビ(伊勢海老)の色にちなむ色名が混同されるようになった。古い「えびいろ(葡萄色)」は紫みの強い色であった。▽暗い赤。▼エビカズラは、ブドウ科の植物の古名。ヤマブドウ(山葡萄)、エビヅル(蝦蔓・蘡薁)など。 

p8-9

葡萄染(えびぞめ)
エビカズラ(葡萄葛)の実で染めた色。▽暗い灰赤紫。

p9

「さいで」は裂出(さきいで)の音便という。布を裁ったあまり切れ。裁ち切れ。ずっと前にはさんで忘れていた赤紫の布切れが草子の間に挟んであるのを見つけたとき、昔が恋しく思われる・・・ということで紙の栞はまだなかったのかも知れないが、平安の人たちも手近にあるものをブックマークにしたことがよく分かる。なお、夾算は今でも製造されているようだ。ひとつ自分でも作ってみようかな。

字差(じさし)/夾算(きょうさん) 阿育苑川勝
https://www.teragoods.com/?pid=167113609

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