われはこの頃わろきぞかし
岩波文庫の『更級日記』(西下経一校注)を読みました。架蔵本は1988年発行の51刷、定価200円(税なし!)。
高等学校古典Bの主要作品なので知らない人もいないでしょうが、著者は菅原孝標の娘。菅原家は天神さんこと菅原道真の子孫で代々大学頭や文章博士を輩出した学問一家です。その少女時代から晩年にいたる出来事を断片的に追懐して記したものが更級日記。藤原定家がこの日記を愛して何冊も写本を作っており、定家自筆本が御物として伝わっています。
父の孝標は寛仁元年(1017)に上総介(現在の千葉県の国司の次官)となり都を離れたため九歳から十二歳までを上総で過ごしました。関東の果ての果て(あづま路の道のはてよりも、なほ奥つかた)です。多感な文学少女には耐えがたい情況だったようです。《京にとくあげ給ひて、物語のおほく候なる、あるかぎり見せ給へ》と薬師仏に願ったりしています。
母や姉から『源氏物語』の断片を聞きかじって、どうしても全編を読みたいと思い詰めます。やっと父の任期が終って都に帰ることができましたが、『源氏物語』は容易に手に入りません。母が若紫の巻を求めてくれたのはよかったものの、いよいよ続きがよみたくてたまらなくなります。そこへ田舎から出て来たおばさんが「まあ、立派に成長したわねえ、プレゼントしてあげましょう」と言ってくれます。
《源氏の五十餘巻、櫃に入りながら、ざい中將、とほぎみ、せり河、しらゝ、あさうづなどいう物語ども、一袋とり入れて、得て帰る心地の嬉しさぞいみじきや。》
源氏だけでなく伊勢物語やその他、今は失われてしまった何種類もの物語をもらって帰り、心躍らせながら読みふけります。
《人もまじらず、几帳の内にうち臥してひき出でつゝ見る心地、后の位も何にかはせむ。晝は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、火を近くともして、これを見るよりほかの事なければ》
といった調子です。すると、夢に坊さんが現れて『法華経』を学びなさいと説教をするのです。けれど、習おうなどとはこれっぽっちも思わないで、物語のことしか考えられない娘でした。
《われはこの頃わろきぞかし》
先日紹介した生島遼一のエッセイに出ていた「罰せられざる悪徳」を彼女も感じていたようですね。千年前の少女、その読書へのあからさまな情熱。よくぞ書き残してくれたと思います。
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