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雑司ヶ谷

姫路で木山捷平展が開催されるからというわけでもありませんが、いや、それもありますが、「ヤフー!フリマの割引で何か買うものないの?」という神の声に従って検索していましたところ、この『見るだけの妻』がヒットしましたのでポチしてみました。

『見るだけの妻』(土筆社、昭和四十四年三月二十日)

俳句と短いエッセイを集めた遺稿集です。巻末の木山みさを「病床記」が読ませます。

ここでは「雑司ヶ谷」という一篇から少し引いてみます。木山は大正14年(1925)に上京して東洋大学文化学科に入学していますが、当時、雑司ヶ谷に住んでいたことがあるそうです。当時は東京府北豊島郡高田町雑司ヶ谷です。

 独身の私は無聊をもてあまし、よく散歩した。一番近いところが、雑司が谷の墓地である。大きな欅がそびえている墓地を右往左往していると、私はあきることがなかった。漱石だの抱月だの泡鳴だのの墓地は、何百回通ったか知れない。
 墓地の中で私が一番好きなのは、「市ヶ谷監獄合葬の地」という場所であった。おそらく獄中で死刑になったり、あるいは病死したものの中、引取人のないものがここに埋められたのであろう。墓をたててやるものもないから、そこら一面に草が生えて、ねころんで昼寝などするのにもってこいの場所であった。私は墓沿いの坂道を下って護国寺まで行き、さらに市内の神楽坂に足をのばすこともあった。当時は神楽坂には夜店がいっぱい出ていたから、見物したりひやかしているうちに、青春の悩みがややまぎれた。
 方向を逆にとって、池袋の駅まで行ってみることもあった。あの頃の池袋駅には、駅員が何人くらいいたのであろう。七人か八人くらいだったかも知れない。
 さびしい田舎駅で、近くに「鉄道教習所」とかいう学校が一つあるきりで、他には何もなかった。駅の柵にもたれて、線路の向うを見ていると、箱を二つか三つ引っ張った軽便鉄道の汽車が来て止まることがあった。それから汽車は一向に引返そうともせず、黒い煙をはいているので、無聊な私は柵にもたれて、一時間でも二時間でも、煙の見物をしたりしていたものである。
 線路の下の暗くて長いガードをくぐって、向うへ出ると、そこはもう畑ばかりの完全な武蔵野だった。

p242

内堀弘『ボン書店の幻』(ちくま文庫、二〇〇八年)によりますと、昭和六年頃、後にボン書店を設立する鳥羽茂(とば・いかし)は《東京市外高田町雑司ヶ谷五二〇》の坂本哲郎の家(日本詩壇社)に同居していました。そして昭和七年五月『前線』(大阪日本前線社)二十四号に北園克衛詩集『若いコロニイ』の広告が掲載されますが、その発行所であるパルナス書房の住所は《東京市外高田町若葉》となっています。パルナス書房で鳥羽は『新鋭詩人選集』の編集にあたっていました。ところが同書房は経営破綻して選集は実現しませんでした。その詫状に印刷された鳥羽の住所は《東京市外高田町雑司ヶ谷五一六》です。このすぐ後にボン書店を開業したようです。

 ところで、大正初頭のこの雑司ヶ谷一帯はまだ田園地帯で、大根の出荷量も練馬村を上回っているほどだった。この一帯が震災で大きな被害を被らなかったこともあってだろう。農地に次々と家が建ち始めたのは震災以降のことで、人口は急増する。
 すでに池袋駅には山手線、東上線、武蔵野鉄道(現在の西武線)が乗り入れており、大正末年には王子電車(現在の都電)が大塚から鬼子母神まで開通し、昭和に入ると池袋からのコンクリート道路(明治通り)も完成する。増加する人口に併せて都市整備が進み、田園風景はしだいに姿を消していった。
 それでも鬼子母神境内はそれを包む小さな森の中で森閑としていた。今でもこの境内から都電の駅へと続く欅並木が当時の風情を僅かに留めているが、この並木は復興版で、当時はこんなものではなかった。なにしろ立ち並ぶ樹齢六百年の巨木が空を覆い隠していたのである。

内堀 p75-76

大正四年九月発行の「番地入/改正町名/市区改正/名東京市街全図」(金松堂)ではこんな感じです。まだ高田村ですね。高田町になるのは大正九年です。昭和七年に高田町は巣鴨町、西巣鴨町、長崎町とともに豊島区に編入されました。

「番地入/改正町名/市区改正/名東京市街全図」(金松堂、1915)


もう一点、昭和八年四月刊の「番地入最新東京市明細地図」(文彩堂)を掲げます。

「番地入最新東京市明細地図」(文彩堂、1933)

 数年前、私は自分が下宿していた家をさがして歩いてみた。が、もちろんその家はなかった。しかしその位置だけは確かめることができた。私の下宿していた家の跡は、小学校の水泳プールになっていたのである。

木山 p243

木山の言う小学校は高田小学校(雑司ヶ谷二丁目、現在は豊島区立雑司ヶ谷公園)でしょうか。ならば墓地のすぐ南側になります。その頃木山が作った詩です。

あおむけに
あお草の上にねたら
あたまの上に昼顔が咲いていた。
昼顔の葉かげに
雨蛙が一ぴき
からだをまるめてねむっていた。
風が吹くたびに
草が私の顔をなで
私はただぼんやりと草の間から
空を流れる雲をながめた。

木山 p243


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