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二人は、まるで奇跡のように、物語を奏ではじめた



ジュゼッペ・トルナトーレ『鑑定士と顔のない依頼人』
(柱本元彦訳、人文書院、2013年11月10日、装丁=上野かおる)

『鑑定士と顔のない依頼人』。これは、もちろん映画を先に見ました。京都のアスタルテ書房が健在の頃でしたか、店主の佐々木さんがこの映画を劇場で見たと言って、感想を語ってくれたことがあります。「面白かったですよ、ただ、出てくる絵がね、いまひとつなんです」と付け加えて。たしかに。

この物語は、映画が完成した後になって、出版人のアントニオ・セッレーリオからノヴェライズを求められたトルナトーレ氏が、忙しくてできそうもないので、映画を作る前にイメージを固めておくため執筆した《仮初めの書物》を読ませたところ、その出版が決まったそうです。ただ、アイデアの卵はかなり前から温めていました。

わたしの覚書きファイルにはすでに八十年代の半ばから、他のさまざまな思いつきに混ざって、極度に内向的な少女の肖像があった。彼女は心に大きな傷を負い、他人との接触を恐れて外の通りを歩くことさえできず、家のなかに閉じこもっているのだ。

p2-3 序ーー二重対位法

ところがついにある日、何かひらめくものがあった。わたしが引きずっている山ほどの覚書きのなかに埋もれて、なかなか物語の見つからないもう一人の人物が目に入ったのである。わたしが日ごろ関心を寄せている美術と骨董の世界に暮らす男だった。彼についてもずいぶん前から考えていた。職業をオークショニアにしようと決めた時のこと、手袋にたいする病的な執着で彼の性格を描きはじめた時のことも、わたしはよく覚えている。

p3 序ーー二重対位法

この二人を切り離せない特殊ケースとして同一平面においてみようという気になったそうです。それこそヒラメキですね。

わたしは、音楽でいうところの「二重対位法」的な作業を彼らに施すことにした。「二重対位法」とは、一つの旋律のなかにもう一つの旋律を書きこんで異なる二つのテーマを融合させ、この新しく生まれた形のなかに、それぞれの旋律線がもっていたハーモニーの表現力を際立たせるものだ。平たく言えば、魅力的だが宙ぶらりんの二つの物語をただ重ねてみたのである。重ね合わせてみると、広場恐怖症の女性とオークショニアの二人は、まるで奇跡のように、わたしが長年追い求めてきた物語を奏ではじめた。監督業をしていて一番嬉しかった瞬間のひとつだった。

p5 序ーー二重対位法

オークショニアのヴァージル・オールドマンは孤児から美術品の鑑定士として成功を収めた潔癖症の人物です。つねに手袋を離しません。驚くべきことに各地のレストランに自分専用のカトラリーを用意させているのです。

 その夜、ヴァージル・オールドマンは、シュタイレレックで一人の夕食をとった。晩餐はたいてい一人きりで、いつも同じレストランだった。長年のあいだに彼は、仕事で滞在することになる都市ごとに一軒、自分のためのレストランを選んでいた。ベルリンのレストラン44、ロンドンのザ・ランダウ、ローマのカジーナ・ヴァラディエル、パリのレザンバサドゥール。こういった店では、味にうるさい彼も納得できた以上に、然るべき金額を払ってある特権を享受することができた。厳密に彼専用の皿、グラス、ナイフ、フォーク、ナプキンがあり、それらは、オールドマン氏がまた戻ってくるまでの長いあいだ、他の客人に供されることはなかったのである。

p16

なるほど、庶民には思いもよりませんが(マイ箸とかマイおちょこなら分かりますが)、プライヴェット・ジェットに乗るクラスの人たちにとてはこのくらい当たり前なのかもしれませんね。

さて、オールドマン氏はオークションの超一流の振り手として皆に一目置かれています。氏は知り合いの画家と組んで、オークションに出される女性の肖像画の逸品を、贋作かのように言い募って、その知人に安く落札させ、後で買い取ることによってみずからのコレクションに加えているのです。これがこの物語のキモになります。そして、最後にどんでん返しが待っています。

上野かおるさんの装幀も洒落ています。カバーはモノクロ、表紙がフルカラー印刷でペトルス・クリストゥス (Petrus Christus)の「若い女の肖像 Portret van een Jong Meisje」(c.1470)を配し、カバーをくり抜いて女の目のところだけを見せる、物語とも呼応していて感服します。

カバーを外すと若い女の肖像があらわれます

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