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嫌っていた父の家で、アンリは文学の好みと素養を培った


石川美子『山と言葉のあいだ』(ベルリブロ、2023年11月20日)

石川美子『山と言葉のあいだ』を文学ソムリエ善行堂のイチオシということで購入。なんというか、優しい読み心地で、気分よく読み了えられた。主にフランスの山岳と文学を平易な語り口で綴った長短のエッセイ十一篇を収録する。

ベルリブロ
https://twitter.com/yuzuogata

いずれも好篇だが、なかでも「セザンヌの山とミヨーの家」は印象に残る。著者が留学中に出会ったアパルトマンの女主人との交流、そしてその歿後にあきらかにされていく彼女の過去。その叙述の背景としてサント・ヴィクトワールの山容をなつかしく描き出すあたりはみごとである。

かつてマダム・ミヨーは小説家だった。彼女の二冊の小説はアパルトマンの部屋に初めから置かれていたのだったが、そこに滞在しているときには読む余裕がなかった。亡くなったと知らされてから、さらに二十年を経て、著者はマダムの書いた二冊の小説『おなじ船』と『昨日、それは青春』および『レ・タン・モデルヌ』誌に発表されたふたつの短編小説を探し出して読み始める。それらは自伝的作品であった。そこからマダムの人生が幻燈のようにあらわれてくる。検索してみると下記の二冊、『Le même bateau』の方は手に入りやすいようだ。

⚫︎Le même bateau, Gallimard, 1961
⚫︎Hier c’est la jeunesse, Editions :La Pensée Universelle, 1972

「故郷の山に帰るスタンダール」もよかった。母を早くなくして父に厳しく育てられたためスタンダール(本名アンリ・ベール)は父親を憎むようになってしまうのだが……。こんなアンリの読書体験が語られているくだりがある。

父には反抗的だったが、クレの家では好きなように読書にふけることができた。父親の本棚から本を抜き出しては読んでいた。『ドン・キホーテ』、ヴォルテール、モリエール。嫌っていた父の家で、アンリは文学の好みと素養を培ったのである。
 クレの本棚のいちばん上にルソーの小説『新エロイーズ』が置かれているのを見つけた。アンリは自分の部屋に持ち帰ってこっそり読み、「言いつくせない幸福感と喜びとに興奮」した。

P236

一方、著者もまた植物学者だった父の書斎を愛する娘であった。「静かな背中の山と本」より。

 父の書斎には、植物学の本のほかに、山の本もたくさんあった。それらの本には山々や草花の美しい写真がたくさん収められていたので、父の留守中にわたしはよく書斎に入って、花や山の写真をながめて楽しんでいた。なかでも「山とお花畑』という本が好きだった。わわいらしいタイトルにもかかわらず、百科事典よりずっと重く大きくて、子どものわたしは本を箱から取り出すのにも苦労をしたが、飽きずにしょっちゅう本を開いてながめていた。あるとき、綴じ糸が切れて、本がぱかっと二つに割れてしまった。あわてて箱にしまい、だれにも言えずにいた。父はあとで気づいたにちがいないが、やはり何も言わなかった。

p280

他にも、1940年にジャン・ブリュレールが創立した地下出版社ミニュイ社についての記述(p200-201)も参考になったし、シャモニーの町にある「メゾン・ド・ラ・プレス」という書店へは、山好きでなくとも、訪ねてみたくなる。山の本、そして本のなかの山々が鮮やかにそびえ立つ好著である。

Chamonix Maison De La Presse
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