左:Rimbaud, Poésies complètes, LE LIVRE DE POCHE, 1960
右:Rimbaud, Poésies, LE LIVRE DE POCHE, 1972
引きづつき「母音」の話題を。『ランボー全集』(青土社、2006年)の「母音」解説によりますと、このソネ(十四行詩)についてはさまざまな解釈がなされているようです。それは、ボードレールの「万物照応」との共感覚、オカルティズムによる母音と色との象徴関係、そして幼児用の色着きABC絵本から着想を得たというものまで。
さらに、私自身が久しぶりに昨日このソネを読み直して、この詩は女性の体やフェール・ラムールの行為を表しているのではないかと感じました。これは発見だと悦に入っていたのですが、すでに指摘している人がいました。「母音」は女性の裸体を表現したものだという説をロベール=フォリッソン(Robert Faurisson)が『ビザール BIZZARE』誌のランボー特集で発表し、ある種の「事件」になったと上記全集の解説に書かれています。『ビザール』はJ=J.ポヴェールの出していた雑誌です。
こう考えると、もう、そうだとしか読めなくなります。書かれたのは1871年と推定されており(ランボーは17歳でした)、この年の前半に、ランボーがパリへ出るときに同行した少女を描いたのではないかという説もあるそうです。
原テキストと中也訳の全文を引用しておきます。
「母音」というのは、要するに、女性がそのときに発する声の調子の変化を指すのではないでしょうか。そしてそれぞれの字形は裸体の各パーツに当てられます。Aは陰毛(三角地帯)、Eは乳房(筆記体の大文字Eを横に寝かせると形が似ています)、Iは秘処、Uは腹部?、Oは口・・・でしょうか。《Golfes d’ombre》とか《lèvres belles》も《vibrements divins》も《suprême Clairon》もすべてエロティックな比喩に思えてきます。そう思って読みますと、最初に出ている《vos naissances latentes》(あなたたちの秘められた誕生)に意味が出てくるようです。天才17歳ですから、このくらいのことはやりかねません。
そういう見方からすれば、中也の訳はちょっと物足りない感じがします。