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万巻の書を繙いても空しいばかり
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国書刊行会、2024年2月21日
『トゥーサン版 ルバイヤート』読了しました。十一世紀から十二世紀にかけて活躍したペルシャの詩人・数学者・哲学者・天文学者であるオマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』のフランツ・トゥーサンによるフランス語散文詩訳の日本語訳。百七十首。トゥーサンは作家、東洋学者、アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、中国語、日本語の翻訳作品があり、なかでも『ルバイヤート』が最もよく知られています。
「ルバイヤート」というのは四行詩(ルバイイ、aabaの韻を踏む)の複数形ですが、トゥーサンは原詩とは異なる自在な形式で散文的に訳しています。高遠訳についてここで論じることはとうていできないものの、それらが、よく練られた古格を備える現代語へ移されており、読み心地の良い訳詩になっていることは断言しておきたいと思います。
訳者解説に詳しいように、日本でも蒲原有明の『有明集』(1908)においてごく一部が翻訳されて以降、数多くの邦訳が刊行されてきました。ただ、そのほとんどが最初に『ルバイヤート』を西欧世界へ紹介した英国の詩人エドワード・フィッツジェラルドの英訳によっています。彼が一八五九年に英訳七十五首を自費出版して以降、生前に百一首の第四版までが刊行されました。日本人も多くは英訳からの重訳なのです。
私はたしか岩波文庫(小川亮作訳)で初めて読んだ記憶がありますが、その小川訳はペルシャ語から直接訳したものです。高遠氏も高校時代に愛読しておられたとのこと。ちょうどジャズにのめり込んでおられた時期で、チャーリー・パーカーの愛読書だと知ってさらに傾倒したそうです。
しばしば「享楽的なペシミズム」の作品と思はれがちな『ルバイヤート』に対して私が抱き始めてゐた印象ーー激しさと静謐が同居する諦観に満ちた人生観と、それと同時に感じられる生への強い衝動は、チャーリー・パーカーの音楽から私が受け取るものと多くの部分で重なりあつてゐた。
たしかに単なる厭世というより実存主義的なエナジーを感じさせる作品も少なくないようです。
訳者は大学時代すでに「『ルバイヤート』の日本語訳の比較研究」というレポートを作成されており、その熱の入れようは、仏文科の修士課程の頃、森亮訳『ルバイヤート』(槐書房、1974)訳者署名入り限定三百二十五部の一冊を定価一万六千円(当時の下宿代が一万二千円だったそうです)で購入したほどでした。
一九八二年にパリへ。本屋に入り浸り、財布が許す限り新刊古書を問わず蒐書に励まれました。そんななかでフランツ・トゥーサン訳『ルバイヤート』との出会いがありました。
十代の頃から『ルバイヤート』は私の「一冊の本」として意識してゐた特別な書物だつたから、仏訳を見つけるたびに買つてはゐたのだが、トゥーサン訳は最初から他の『ルバイヤート』訳とはおよそ懸け離れてゐた。その後の本との出会ひで言へば、市河晴子『欧米の隅々』の場合と似てゐるかもしれない。書店で見つけて数頁読んだだけで、私は何か運命的な出会ひを感じた。買つたのは『失はれた時を求めて』「スワン家のはうへ」のグラッセ版初版を見つけたサン・ミッシェルのジベール・ジュンヌ書店。数頁立ち読みしただけで背筋を電流が貫いたやうな感覚を覚え、すぐにレジに走つた。
そのままサン・ミッシェルからサン・ジェルマン・デ・プレを経てモンパルナスのヴァヴァン交差点まで歩いたそうです(メトロなら5駅分!)。そしてカフェのラ・ロトンドに腰を落ち着け、何時間も読み耽ったというのです。正直、個人的に本書でいちばん感動したのは訳者解説のこのくだりだということを告白しておきます。書物の魅惑にとりこにされた日本人青年、黄昏ゆくヴァヴァンの情景が目に浮かぶようです。
試みに、書物が登場している歌を二首引いておきます。一首目、宮沢賢治が愛読していたと噂されるのも頷けます。
第一二八歌
コーランを閉ぢよ
自由に考へ
自由に天地を眺めればよい
貧しき者には通りすがりに持てるものの半分を与へ
罪人[つみびと]にはすべて許しを
誰も悲しませるな
笑ひたかつたらこつそり笑へ
第一三四歌
数知れぬ師に尋ね
万巻の書を繙[ひもと]いても空しいばかり
酒壺なら知つてもゐようかと
脣[くち]を壺の口に押し当て、小声で訊いた
ーー我が命数の尽くるはいつぞ?
そののち我はいづこにかゆく?
壺の我に答へらく
ーーわたしの口からお呑みなさい
永く久しく呑むのです
ここには二度と帰つて来ませんから
トゥーサン版 ルバイヤート 国書刊行会
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336075970/
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