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そして私は心に變なたくらみを抱いた

今日は梶井基次郎の誕生日ということで、作品社版『梶井基次郎全集』上巻と下巻(ともに1937年3月5日発行)を取り出してみました。

「「檸檬」を挿話とする断片」がふと目に付いて読み進めていると当然ながら丸善のくだりにさしかかりました。「私」は泥酔した翌日、街へ出て、とある果物店に入ります。レモンをひとつ買ってその絵の具を固めたようなレモンエロウに荒んでいた心を慰められます。

私は心が傲り驕ぶつてくるのをさへ感じた。そしてその末丸善へ入つた。
 その日は常に私を楽しませてくれたオードコロンの赤い壜もその洒落た切子硝子のスタイルも私を喜ばさなかつた。私はいつも見る古くからあるアングルの分厚の本の写真版を見よう[ママ]としたが、それも手にした瞬間開くのが億劫になつてしつた[ママ]。そして私は心に變なたくらみを抱いた。

上巻 p277

と、ここで「檸檬」の方はどうなっていたかな? という考えが浮かび、巻頭に置かれた「檸檬」の丸善に入るあたりを探してみました。すると、次のように書かれています。

 何處をどう歩いたのだらう、私が最後に立つたのは丸善の前だつた。平常あんなに避けてゐた丸善が其の時の私には易々と入れるやうに思へた。
「今日は一つ入つてみてやらう」そして私はづかづか入つて行つた。

上巻 p12

おや? 丸善についてまったく逆のことを書いている。《常に私を楽しませてくれた》と《平常あんなに避けてゐた》……どっちなんだろう。

そしてもうひとつの「檸檬」のヴァリアントが含まれている「瀬山の話」へとページをめくって行ってみますと、こんな風に書かれています。

 舞台は變つて丸善になる。
 その頃私は以前あんなにも繁く足踏した丸善からまる切り遠ざかつてゐた。本を買つてよむ氣もしないし、本を買ふ金がなかつたのは勿論、何だか本の背革や、金文字や、その前に立つてゐる落ちついた学生の顔が何だか私を脅かすやうな氣がしてゐたのだ。
 以前は金のない時でも本を見に来たし、それに私は丸善に特殊な享楽をさへ持つてゐたものなのだ。それは赤いオードキニンやオードコロンの瓶や、洒落たカツトグラスの瓶や、ロココ趣味の浮かし模様のある典雅な瓶の中に入つてゐる、琥珀色や薄い翡翠色の香水を見に来ることだつたのだ。そんなものを硝子戸越しに眺めながら、私は時とすると小一時間も時を費したことさへある。

上巻 p351

なるほど、以前は楽しかったが、最近は苦しくなって遠ざかっていた、そういうことですか。《以前は》以下の叙述は「「檸檬」を挿話とする断片」では上記のように簡略化されています。ただし「檸檬」では、丸善を前段に一度登場させて「瀬山の話」と同じことを少し変形させて描写しておいて、その後の描写がとどこおらないように工夫しているようです。

赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持つた琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものに小一時間も費すことがあつた。そして結局一等いい鉛筆を一本買ふ位の贅沢をするのだつた。然し此処ももう其頃の私にとつては重くるしい場所に過ぎなかつた。書籍、学生、感情台、これらはみな借金取の亡霊のやうに私には見えるのだつた。

上巻 p8

また、「瀬山の話」では、檸檬の逸話は友人「彼」(おそらく『青空』の仲間だった淀野隆三のことだと思われます)から聞いたという設定になっているのも、今回読み返してみて、気になりました。檸檬の前に語られる少年時代の失恋と芸者との出会いは、間違いなく淀野の体験です。これは淀野日記(その一部が『spin』みずのわ出版、に連載で公開されました)と照らして確実です。

では、檸檬を丸善に置いたのは本当に彼=淀野の体験談だったのでしょうか。それは淀野日記からは読み取れませんでした。他の誰かがそんないたずらをしたのかもしれませんし(やはり『青空』の仲間だった中谷孝雄がそんなことを書いていてような気もしますが、今、手元にその本がありません)。この「瀬山の話」から「檸檬」の挿話だけを独立させたのが『青空』に発表された「檸檬」ということになります。

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