みこころに叶う行動

[箴言 21:2]

 人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。
 しかし、主は人の心を評価される。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

人は、「自分は正しいことをしているのだ!」と
勘違いしている場合がしばしばある。
ある上司は部下を叱責すること自体は良いことだと言い聞かせ、自分の考えややり方に沿わせようという支配的で自己中心的な動機で部下を叱ってしまう。
また、ある若者は「好きな人がいる前で、今この瞬間にお年寄りに席を譲れば、自分自身の優しさを彼女に示せる!」と心の中で企む。
これらは、行動としては立派であるが、
動機が不順である。
神は、彼らの行いよりも、彼らの動機を見られる。サムエル記 第一 16:7にはこう書いてある。
『主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』
私たちはよく、正しい行動を識別するのが困難な状況に陥る瞬間がある。
神が喜ばれるみこころに叶う選択はどちらなのか?といった具合に。
そんな時、まず私たちが見張らなければならないのは、私たちの動機である。心からの真の動機を神が喜ばれるかどうかを考え、自分自身を探らなければならない。
見返りを得るために、自分の利益の直結のために、良い事をしようとする時、神は喜んでおられない。
今、みこころが分からなくて足が止まっているのなら、あなたの動機を探ってみよう。

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