称賛の為の善行

[マタイの福音書 6:1,2]

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。
 ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

子ども時代に、「ママ、見て!!!」
一人でコマ無し自転車に乗れた時は、
大喜びで、自分の功績を母に自慢していた。
大人になると、
子どものようにオーバーリアクションで
自分を称賛して欲しいという承認欲求を
外には出さない。
しかし、心中ではたしかに称賛を受けたいと願う自分がいる。
まさに今日の聖書箇所では、この事について
指摘をしている。
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけるということ。
善行を行うこと自体は、もちろん悪いことではなく良いことだ。
ただし、その動機が間違ってはいけないと聖書は教えている。
ここでイエスは弟子達に、「気をつけなさい。」と警告を与えている。この「気をつけなさい、」というギリシャ語は、もともと船舶用語であり、船が正しい方向に前進するように確認をする、という意味だ。
パリサイ人や律法学者の行いは、人々から正しいものだと認められていた。したがって、
弟子たちにはパリサイ人たちの心までは見えなかった。心の動機が間違っていても、外から見ると善行を行なっている彼らに影響を受けかねない。彼らのしていることに引き込まれてしまう可能性がある。
私達も信仰による歩みをしているときに、ぼっとしていると、いつの間にか主の道から離れてしまう事がある。それでイエスは、「気をつけなさい。わたしの道から離れないで、とどまっていなさい。」と言われている。
 ここで私が感じたことは、シンプルだ。
聖書を日々読むということ。
聖書のみことばを毎日読むことで、私たちの信仰の歩みが間違った方向へ進んでいないかを確認できるからだ。
聖書のみことばとは、正しい道を示してくれる船の案内人のようなものだ。
その案内人は、海の全てを知り尽くしている。
船が波の強い方向へ前進しているときに、
その案内人が方向修正をしてくれる。
たとえ避けられない波が来たとしても、
波から守られるように案内人は私たちに的確な指示を与えてくれる。
人生という名の船に、私たちは乗っている。
褒められたいという動機でハンドルを右に切ってしまうと嵐に巻き込まれる。
だからこそ、案内人である聖書のみことばに日々耳を傾けて、正しい方向へと導いてもらうのだ。
今日も私のすることすべての動機を主が探ってください。


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