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大人はみんなオムツを履いている

漏らしたことは、ありますか?

期待を裏切って申し訳ないが、私はない。
物心ついたときから、おしっこやうんこを漏らしたことはない。

だけど、人一倍、漏らすことを恐れて生きてきた。

元々尿意を我慢できる方ではなかった。中途半端に真面目な性格が災いして、

「休み時間にトイレに行っておきましょう」

なんて小学校入学式のお約束を無意識にずっと守っていた。尿意を感じていなくても、休み時間のたびにトイレに行っていた。

それ以来、大人になった今でも、私の膀胱は2時間周期が基本である。

ただ、自宅では4時間5時間トイレに行かないことも"ざら"にある。
何より、寝ているときにトイレに起きることはほとんどない。結局、気の問題なのである。

大人になってから、しばらくした頃。本当に危ないときがあった。

何百人もの人が集まる会場で、私は登壇者だった。
ステージの端で座って待ち、順番が来たら中央に移動して話す。スピーチ中はもちろん、待ち時間もステージ上なので拘束時間が長い。

登壇前に、コーヒーを飲んでいた。
いつもは水分量を調整するが、同席した目上の方が立ち上がる瞬間にカップ内に残ったコーヒーを一気飲みしていた。

(残すことを失礼と捉える人かもしれない…)

私は咄嗟に判断して、席料として注文していた手付かずのホットコーヒーを同じように飲み干した。

登壇、1時間前だった。
コーヒーが尿意として襲ってきたのは1時間10分後だった。

本当に、危なかった。

あの時の恐怖は、今でも覚えている。

私は、尿意の警戒レベルをそれから一段階上げた。
幸いにも、突発的に襲ってくる便意と違い、尿意は数時間前までの水分摂取に影響される側面が強いため"対策"で人生の大部分を乗り切れた。


…少し前、

心身のバランスを崩した。

有り体に言えばうつ病である。
一時は生物の本能と真逆の選択を取りそうにもなったが、幸いにも「寛解」して日常生活を送っている。

うつ病に「完治」という言葉は使わないらしい。
「寛解(病気をコントロールした状態)」である。うつ病に限らず、特定の病気は、病前と全く同じ状態に戻れることはない。

そして、うつ病と併発した不安障害は病後の日常生活に大いなる影を落とした。

(今から1時間、トイレに行けないぞ)

そう実感した時、私の膀胱は非常にセンシティブになる。例えトイレに行った直後でも、↑を頭の中で反芻してしまうと尿意(に似た何か)が下腹部を襲う。

トイレに行く。
でも、ほとんど出ない。

戻ってきて着席すると、また尿意(に似た何か)を感じる。
もちろん、何も出ない。それをイベント前の10分で何度も繰り返すのである。

ちなみに、アクティブ系であればイベント中は尿意を感じない。
登壇して自分が話している真っ最中や、スポーツ中なら尿意を忘れられる。

結局、気の問題なのである。

ただ、それ故に、座して待つ系のイベントは地獄と化す。
国際線の飛行機搭乗や、40分ほどの私鉄電車。日常では避けられるような避けられないような、そんなイベントが苦手になって長い。



「オムツ履いたらいいんじゃないですか?」


ある日、医師の知人と飲んでいた。

これまでの人生を事細かに話した訳ではなく、

「明日、スピーチを頼まれているんだけど、いつ呼ばれるか分からない系のスピーチはトイレが苦手でねー…」

くらいのテンションでポロッとこぼした直後の会話である。


「職業柄履いてる人もいますし、私の友達もライブに履いていく子いますよ」


目から鱗だった。

今までの人生でオムツを検討しなかった訳ではない。ただ、正直抵抗はあったし、もっと人生の終盤に利用するものだと思っていた。


年齢による諦めか、医師というプロの言葉ゆえか、

パズルのピースのように、言葉はある日突然ハマる。


「オムツ履いたらいいんじゃないですか?」


さぞ、私の挙動がおかしくなったのだろう。
知人は、

「ドンキとかならまだ空いてるんじゃないですかね」

とスマホを小さな鞄に入れて帰り支度を始めてくれた。

私は一人になってからすぐにタクシーを拾った。
23時40分。深夜のドンキホーテに行くなんて久しぶりだ。

店内を散策するが、大人用オムツは見当たらない。
レジにいたゆあてゃのような女性スタッフに声をかける。

「すみません。大人用オムツって置いてますか?」

「えっ!?オムツ…大人用…大人用オムツ???」

「研修中」と書かれたバッジをつけた18歳にも見える彼女は、おそらく本当に「大人用オムツ」という言葉に馴染みがなかったのだと思う。

店内に響き渡るような声で復唱され、奥にいた男性店員に助けを求めた。

「すみません○○さん!大人用オムツってありますか!?」

「大人用笑 ないない。大人用オムツないでーす!笑」

私は、大人である。

世の中にオムツを必要とする大人は山ほどいて、ここドンキホーテに大人用オムツを含めた介護用品が売っていることは知っている(この店舗では非販売の可能性は承知)

無知でデリカシーのない若者の嘲笑で、ダメージを受けることなど普段はない。

ただ、不意に殴られると、痛いのである。

いい歳した大人が恥ずかしいが、私はこの場にそれなりの勇気と決意を持ってやってきた。これまでの苦痛から解放されるかもしれないという希望を持ってやってきた。

もしかすると、この男性店員も「大人用オムツ」という言葉に馴染みがないだけかもしれないと思い、言葉を変えて尋ねてみた。

「えっと…介護用とかの…」

「大人用オムツはないでーす笑」

とても、痛い。

わざわざ深夜までやっているお店を探す元気はないので帰ろうかと思ったが、タクシーで行き先を告げるついでに聞いてみた。運転手の方は信号機をしばらく眺めた後…

「24時までやってるウエルシアありますよ」

入店する頃にはギリギリだが、帰り道だったので寄ってみることにした。

23時55分。ウエルシアに着いた。
ドラッグストアなだけあって、大人用オムツのコーナーは非常に充実している。

そう、非常に充実しているのだ。
どれが良いのかさっぱり分からない。

オムツコーナーの前で立ち尽くす私に向かって、店員が話しかけてきた。

「お伺いしましょうか?介護用ですか?」

さっきと同じような若い店員だ。
私はとっさに身構えたが、ドンキと違って閉店5分前だ。長居は迷惑であろうと思い、正直に話した。

自分用である旨。
仕事の都合で長時間トイレに行けないとき、オムツを勧められたが初めてなので全く分からない、と。

「あぁ。ご自分用でしたら、この辺ですね。メーカーは正直あんまり変わりませんが、うちのプライベートブランドのやつはコスパ良いのでおすすめです。閉店時間は全然大丈夫なので、ゆっくり見ててください」

…普通だった。
シャンプーのことを聞いたくらい、普通のテンションで答えてくれた。

私の勇気と決意の行動は、この店員にとっては普通のことだった。いや、実際は知らないが、普通のこととして接してくれた。

でも、私が恥ずかしそうな気配が伝わったのか、その場から離れて戻ってこなかった。

…ありがとう。




さて、オムツを履いていくにあたって、一つ問題がある。

シルエットだ。
普段履いているユニクロのエアリズムとは違い、オムツのボリュームは冗談抜きで10倍はある。

ベーシックな細身のスーツを着用すると、とんでもないボリュームでケツ周りのシルエットが崩壊する可能性が高い。

1人のスーツ愛好家として、みっともないスーツ姿を晒すことは出来ない。それだけは許されない。

しかし、幸いにも、私はスーツ愛好家だ。
様々な種類のスーツを持っており、当然、オムツに対応するスーツも含まれている。

選んだのは、イタリアの名門「カノニコ」の生地を使ったチャコールグレーのスーツ。
クラシックスーツをイメージし、ジャケットはピークドラベルのダブル、スラックスには「タック」を入れてある。

「タック」とは、ベルト下部分に入れる"ひだ"のこと。流行りのデザインではないが、クラシックスーツには必須かと思いわざわざオーダーで入れてもらった。

おまけに、ゆったりしすぎないようにテーパードを強めに入れたこだわりの9.5分丈の裾ダブルである。

完璧だ。
腰回りのゆとりによって、オムツを履いてもシルエットが崩れていない。




いざ、オムツの初陣へ。


翌日。

「最悪、垂れ流せば良い」

というアイテムを装着した私は無敵だった。

もちろん水分調整はしていたが、「尿意」も「尿意に似た何か」も催すことはなかった。

スピーチは無事に終わった。

スピーチの出来は壇上から降りてから分かることが多い。
成功した時は、ひっきりなしに誰かが話しかけてくる。

最初は、主賓の老人だ。

「君くらいの歳だったら、私ももう一花咲かせるんだがね。私はそろそろオムツの世話になる歳だから…」

先生、私はすでにお世話になっています。意外と快適ですよ、先生。

次は、若い男性に声をかけられた。

「とても勉強になりました。あと、スーツがお似合いですね本当に…よろしければ、この後お酒でも飲みながらもう少しお話聞かせてもらえませんか?」

それはダメだ。
慣れないオムツでケツがむずむずしてるんだ。早く帰りたい。

そして、幸いにも、誰も私がオムツを履いていることに気付いていないようだった。

そう、

誰も知らない。


私は、排尿というジャンルにおいて明確な弱者であり、長年そのことに悩み続けてきたことを。

誰も気付かない。

オムツを使って弱点を克服し、いま壇上で拍手を受けていることを。

私は、オムツを履くのが恥ずかしい。
もちろん、年齢や病気でオムツが必要な人がいるのは分かっている。その人たちを「恥ずかしい」なんて言うつもりはない。本当だ。

ただ、どれだけ綺麗ごとを言おうとも、胸を張れるものではない。

ジムや銭湯で下着だけで歩いている人間を見ることはあっても、オムツを履いて歩いている人間を見ることはない。

下着のブランドについて話すことはあっても、オムツのブランドについて話すことはない。

私の年齢で、身体的な理由なくオムツを履いている人間を、私は誰も知らない。


そう…誰も知らない…

拍手をしてくれている人たちは、私がオムツを履いているかどうかなんて知らない。

そして、私も彼らがオムツを履いているのか知らないのである。

どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか。
主賓の老人は思っていたのだ。

「君くらいの歳だったら、私ももう一花咲かせるんだがね。私はそろそろオムツの世話になる歳だから…」

(本当はもうオムツを履いているけど、そろそろ自虐的に言っておかないと…)

若い男性もこう思っていたに違いない。

「とても勉強になりました。あと、スーツが良いですね本当に…よろしければ、この後お酒でも飲みながらもう少しお話聞かせてもらえませんか?」

(僕はオムツを履いてるからこんな良いスーツは着れない…でもヒントはあるかもしれないから、話を聞きたい)

自分はオムツを履いているのに、相手はオムツを履いていないとみんな思っているのだ。

みんな、オムツを履いていたのである。

大切なことなので、もう一度言わせて頂く。

みんな、オムツを履いていたのである。




いや、分かる。
聡明な読者のあなたは、きっと思っている。


「いや、それは極論だろう。それこそ、ジムや銭湯でオムツなんて見たことないし、みんな垂れ流しだったら匂いもすごいことになる」

しかし、待ってほしい。

私は「長時間トイレに行けない可能性があるとき」にしかオムツを履いていない。日常はもちろん、ジムや銭湯にはユニクロのエアリズムを履いていく。そして、オムツを履いているときも実際には垂れ流してはいない。

言うなれば、下着の代わりにオムツを履いただけ。

誰にも迷惑をかけていないし、誰にも不快感を与えていない。

あなた以外の大人が、みんなこうしたライフスタイルで暮らしていることをどうやって否定できるというのか。

実は、大人になってからオムツを履いたことがないのは、あなただけではないのか。



これは、悪魔の証明である。
「ない」を証明するのは、実質的に不可能だ。



ただ、引き続き考えてほしい。

ずっとシモの話で申し訳ないが、私は毎日快便である。
しかし、友人は常に便秘気味で、便秘解消のために長年ビオフェルミン(整腸剤)を服用している。

また、私は、この歳になっても裸眼である。両目とも視力は1.0を超える。
しかし、多くの大人は視力が悪く、みんなメガネやコンタクトを利用している。

ビオフェルミンやメガネ、これは弱点を克服するためのアイテムだ。

つまり、オムツだ。
ただ、履いている人が多いだけのオムツなのだ。

そして、世の中には目に見えないオムツもある。

「大学生はこれを見ろ」という名前で活動して10年。
熱心に質問箱に回答していた3年間を中心に、私の元に届いたお悩み相談は1万通を超える。

たくさんの学生、あるいは社会人の悩み事を見てきた。
鼻くそを食べるのをやめられない男子がいた。首を絞められないと満足できない女子がいた。ストレスが強すぎて落語を聞かないと眠れない証券マンがいた。

「普通だよ」とは言えない人がたくさんいたのだ。
でも、きっと彼らが所属しているリアルなコミュニティでは、そんな気配を見せていない。普通じゃない自分をオムツで隠して、ちゃんと"普通の大人のフリ"をしているのだろう。



大人はみんなオムツを履いている。

オムツを履いているからこそ、大人でいられるのだ。








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