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2021年を振り返ることが出来なかった。

毎年、年末年始の休暇は思い切り楽しむことにしている。仕事は一切しない。でも1年の振り返りだけは、ブログやSNSでやるようにしてきた。

今年も年末、実家でnoteを書こうと思ってパソコンを開く。

例年なら仕事で嬉しかったことや、達成感があったこと、出来なかったこと、反省していることなどが自然にあふれ出てきて、それに任せて文字を綴るだけでブログ記事が1つすぐに書きあがる。ただ、2021年に関してはそうはいかなかった。

2021年の私は、前にも、横にも、上にも、下にも、後ろにも動くことがなかった。完全に停滞したのだ。現状維持ともまた違う。周りが目まぐるしく動く中で、自分だけ凪いでいた。

要するに、振り返るに足る軌跡や足跡を全く残せなかった。

少しもオブラートに包まずに表現すると、2021年は私にとって『生き地獄』だった。(自分以外の誰かのせいではない)

詳細は省くが、2021年は多くのモノを失った1年だった。積み上げてきたものやその結果得た立場、またそれらを得るために費やしてきた自分の20代。喪失感、後悔、無力感。こんな類の感情に苛まれ続けた。

そして、その感情をどこにも開放することが出来ず溜め込むばかりで、自分は推進力をすっかり失ってしまったのだ。

その反面、会社は大きく成長した。一緒に事業を立ち上げた先輩は突き抜け始めた。社員は物凄い勢いで成長していく。優秀な人が入ってくる。

新しいフェーズに向かっている会社で、明らかに自分だけがエネルギー源になれていない感覚。もう自分が絶好のパフォーマンスでなくとも、勝手に成長する会社になった。そんな中で、自分がいる理由、価値はなんなのか。全然見つけられない。

それなのに、暮らすには困らない。充実感がなく貢献出来ていない毎日を送っているのに生かしてもらっているような感じ。

だから、振り返ると『生き地獄』だったのだ。

ただもちろん、仕事をサボったわけではない。生き地獄から抜け出したくない人間などいない。突破口を探し続けた。その結果、一筋の光が年末におぼろげながら見え始めた。その糸口を見失わなければ勝機はある。

私は、どこかで自分は『出来る』方だと思っていた。でもそんなことはないと2021年で痛いほど分かったし、1人で結果を出すことなど少なくとも自分には不可能だと思い知り、これ以上ないくらいの挫折を経験した。

しばらく経って振り返った時に『2021年の経験があったから、今がある』と思えるのだろうか。先輩たちからはそう言ってもらえるが、本当にそうなのか。半信半疑だが進むしかない。

この経験をバネに未来の自分が飛躍できているかどうかは分からない。ただ、今の自分を動かす原動力が必要だ。

だから、今の自分を鼓舞するために、自分に言い聞かせるために、これからもSNSやブログを書こうと思う。

こうしてまた長文を書き自分を勇気づけることを始めようと思うきっかけをくれたのは、私が敬愛する駒田さんだ。年始に彼が書いていたブログを読んで、少し心を前に向けることが出来た。

この記事が駒田さんに読まれることはないと思うが、御礼を記しておきたい。有難うございました。

実はnoteは、最も本音の私がいる場所だ。TwitterやInstagramではいつも偉ぶっている。

ここまで読んで、本当は私が弱気男だと知り、それでも仲良くしてくださる皆様を大切に、励みにし、2022年は必ず復活の年とすることを誓う。

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