昔話させてください(高校時代の野球部の話)
お久しぶりの投稿になります。
今回は私の高校時代の野球部の話をさせて下さい。
どの高校かは調べれば出てきますが、宮崎の日南学園という学校です。
その時の入寮の時のことをふと思い出して書いてみました。
全くタメになりませんが、マニアの方は10年前の高校野球ってこんな感じだったんだなぁって見ていただけたらと思います。
私としては何故日南学園に入りたかったかというと、
・県内でもトップレベルの野球の強豪校だったこと
・中学の時に在籍したシニアとパイプがあったこと
・先輩がいたこと
・スタンド応援でも甲子園に行きたかったこと
と言うことからでした。
入寮したのは入学する前の3月28日
今でも覚えています。
しかし憧れの高校で野球部で野球ができるよりも先に、本当に練習についていけるか(練習は県内で一番キツイ)という不安感、そして親元を離れて寮生活をする絶望感しかありませんでした。
当日、親のハイエースに自分の荷物をいれ、3段ボックスや衣装ケースなど、普段車に載せることのないものを載せ、忘れ物がないか確認し、家を出る時には家に前に親族が集まりました。
その親族に一言声を掛けて車に乗り込みました。一人一人の目には「頑張ってね」よりも「大丈夫かな」という不安感が見て取れました。
道中は何の話をしていたか分かりません。
覚えていることは、今まで見ていた故郷の風景が「次に見られるのはいつか」と考えていたことだけです。
実家のあるえびの市から日南市までは下道で2時間
引き返してくれと言いそうになるくらい自分の中に絶望感がありました。
そして日南学園についてしまいました。
日南学園「望洋学塾」と書かれた野球部寮には、歴史と威厳が辺りに散布されているような圧倒的な要塞感がありました。
寮の中に入ると、本館と新館に分けられた新入生の部屋割りが張り出されていて新入部員の数が分かりました。
1年生の新入生の数は「40人」
出身校を見ても、名前が分かる選手が多く、そして実物を見ても全員背が高くて身体が大きくて、同級生ながらビビりました。
(後から分かりますが、全員所属チームのエースか4番しかいなかったみたいです)
そして部屋に行くと、同部屋となったのがシニアのチームメイトだった井手(元DeNA井手正太郎選手の弟)とだったので安心しました。
しかし部屋の整理をするとすぐに食事の時間となったので食堂にいくと2年生と3年生が入ってきました。
地獄の生活の幕開けです。
とにかく怖い。圧倒的に怖い。
身体がでかい。目つきが怖い。
一生懸命。これまで出したことない声量で挨拶しました。
そして食事。出てきたのは天丼。
向かい合って座る長机に40人の1年生が並び、その隣の長机には上級生がすわるという構図で、食事は私語禁止、静寂の中もくもくと食べないといけません。
日南学園の当時のルールは夕食ご飯3杯はマスト。
1日目なので1年生はそれは守らなくていいと言われましたが、平然とした顔で3杯を食べる同級生に唖然としながらその食事は過ぎていきました。
私は2杯しか食べられませんでした。
しかもお腹パンパン。張り裂けそうでした。
こんなんでついていけるのか不安になりながら部屋に戻りました。
部屋に戻ると同部屋の井手がいかがわしい本を持っていました。
「何それ」と私がいうと「わからん置いてあった」と返ってきました。
そんなことするのは一人しかいないなと思っていると、部屋のドアがガチャっと開き、中崎翔太(現在・広島カープ)がニヤニヤしながら顔を出してきました。
「これ翔太さんでしょ!」と私が言うと「入寮祝い!」と言葉を残して去って行きました。今までの緊張感が一気に無くなったかのように感じ、日南学園にきて初めて笑ったがその瞬間でした。本当にいい先輩でした。
そんなこんなで過ぎていった入寮1日目。
不安だらけの1日に夜は眠れませんでした。
真っ暗な部屋の中でボソッと「ついていけるかなぁ」と2段ベットの下段から上段に向かって声かけると、上段の井手から「俺も」と返ってきました。
今日はここまで!!
書き出したら止まりませんでした。
こんな稚拙な思いついて書いた文章見てくださってありがとうございました。また続きあったら書きます。
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