エロ覗き(覗き手の心理)

 「何をしているのですか」
 「見たらわかるでしょう。覗きですよ」
 「何が見えますか」
 「痴態ですね。かなり激しいですよ」
 「そうですか」
 「あなた見ないんですか」
 「いやそれは見たいですよ。でも、こうやって全部の窓に誰から彼から顔面を張り付けていたら、わたしの顔を入れる隙がありませんのですよ」
 「それはご愁傷様、というのも業腹ですな。私がしばしの間席を代わってしんぜましょう」
 「いいのですか」
 「いいのです。どうせここから見られている痴態は、後程誰かがpornhubにリークするでしょうから、見ることができますし」
 「ではなぜあなたはわざわざここに来て痴態を」
 「見ているかというと、やはりあれですな。ライブ感ですな。自分の目で、何のフィルターもかけずに見ているという、リアル?というのでしょうか。そういうかんじょうが私を昂らせる」
 「なるほど」
 「で、どうですか」
 「今はシックスナイン中ですね」
 「どっちが上ですか」
 「男性ですね」
 「おやおや、それはアグレッシブだ」
 「女性から求めてその形になったようですけれどもね」
 「あの女性は好きものなのですよ」
 「ところで」
 「はい」
 「大の大人たちがこんなに窓に顔をくっつけてあの向かいの建物の一室の痴態を眺めていますが、果たしてこちらがそういうことをしているのは、向こうには分からないものなのでしょうか」
 「わからないでしょう。向こうは明かりがついているから、こちらからはみえる。しかし、こちらは真っ暗だから、向こうから見ても、真っ黒な建物にしか見えないのです」
 「そういうものですか」
 「光の作用ですな」
 「だから、覗きは夜に行われるのですね」
 「そういうことですよ」
 「しかし、痴態はどうでしょう。痴態は別段、夜じゃなくてもいいんじゃあないですか。昼に痴態をしても」
 「あなた、谷崎潤一郎という作家をご存知か」
 「ええ、知っていますよ。エロ作家の神様ですよね」
 「彼がもっている側面はそれだけではないのです。『陰影礼賛』という作品をご存知か」
 「いいえ存じ上げません」
 「簡単に言うと、日本的、情緒的な美しさというのは、間接的なものである、という話なのです」
 「はあ」
 「直接そのものに焦点を当てるのではなく、それが何かに反射して見える象や感触などが、私たちの悦びにつながる、という」
 「なるほど」
 「その論法からいくとですよ」
 「ふむふむ」
 「昼、お天道様がてかてか光っているところで痴態を繰り広げて、どうするのだと」
 「ああ、なるほど。そういうことですね」
 「そもそもあなた、失礼ですが、ご職業は」
 「小さいながら会社を経営しております」
 「年収は」
 「まあ、6億円ほどでしょうか」
 「自家用ジェットは」
 「それはまだです」
 「マンションは」
 「4棟です。豊洲に」
 「ほらごらんなさい」
 「どういうことでしょう」
 「あなた、行こうと思えば、渋谷にある変態が集まるシークレット・クラブに大量に男女を呼んで乱痴気騒ぎをして、若い男性の勃起した性器をきりとって、ソーセージの如く串に刺してそれを女性に食べさせながら犯す、なんてこともできるご身分なわけですよ」
 「まあ、根回しと下準備ができるプロモーターを探せば、まあ」
 「でもそれをしない。あなたはここで覗きをしている」
 「なるほど。確かに。理屈では説明できないことですな」
 「向こうで痴態を繰り広げている、あ、今ちなみに」
 「まさにソーニューをしようとしているところです」
 「そのソーニュー劇の主演2人は、金で雇われてそこにいるわけですか」
 「違いますね。市井の男女です。カーテンを開けたままシてしまう程度に興奮と快楽に飢えた」
 「もし、金で雇われた男女だったら」
 「五反田にでも行って尻を軍靴で踏まれた方がいいでしょう」
 「そういうことなんですよ」
 「なるほど。自分の行動の動機がわかるというのは、なんとも気持ちがいいものですな」
 「ということで、代わってください」
 「あ。大変です。部屋にもう一人男が入ってきました」
 「何。どういうことですか」
 「彼はもうギンギンですよ。ギンギンです。一騎当千の戦国武将である本多忠勝が持っていた名槍・蜻蛉斬りの如き閃きを持つイチモツです」
 「早く代わりなさい」
 「女性も見惚れていますよ。しかし、あれをどうするつもりなのか。まさか」
 「代われと言っているのに」
 暗闇の中、その部屋の痴態を覗いていた人々は騒然となった。これから起こることに想像をめぐらし、あまりの興奮に射精してしまい、うずくまる者。より精度の高い双眼鏡を求め、周囲の人々に札束をちらつかせる者。あまりに不意を突かれた形の現状をSNSに投稿する者。「蜻蛉斬り/チンコ」でインターネットで検索をかける者。覗き軍団の中には覗き犯逮捕のための私服警官もいたのだが、彼も我を忘れて、拳銃ではなく自身の愚棒を握っていたのであった。
 谷崎先生の論理からいくと、上記のように、覗きはきっといいものなのでしょうね。覗くのも、覗かれるのも。

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