見出し画像

死地を開く 19

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.26-27。)

パレスティナにヨルダン川という、かなり水量の多い、流れの速い川があります。イスラエルの民族が、エジプトの奴隷から解放されて、約束の地カナンに入ろうとした時、このヨルダン川を渡らねばなりませんでした。

200万人とも、300万人ともいう大群衆を連れて、どうしてこの川を渡ることができるのでしょうか?

もちろん、橋もなければ、舟もありません。歩いて渡ることは不可能です。
指導者のヨシュアは、窮地に陥りました。そして、祈りました。

主はヨシュアに「神の箱を担ぐ祭司が、まずヨルダン川の中へ足を踏み入れるなら、ヨルダンの水はせき止められて、乾いた地のように渡ることができる」と言われました。

祭司、つまり、神に仕える人が、まず自分の足を水の中へ踏み入れる。そこに道が開けるのです。

祭司とて、急流の中へ入ることは、恐ろしかったに違いありません。足をすくわれて、流される死の危険もあります。
水が止まって、道が開く保証など、ないのです。

しかし、主の言われたようにした時、民は、乾いた地を渡るようにして、1人ももれなく、向こう岸へ着いたのです。


リーダーというのは、いつでも試されます。
先憂後楽、という言葉がありますが、リーダーは、先に苦しみに憂い、楽しむのは、人々の後でなければなりません。

徳川家康が武田軍との戦いに敗れ、死地に陥った時、重臣の1人が「大将も苦しいことがなければ……そういい仕事ばかりであるはずはない」とつぶやきます。

静岡駅前の徳川家康像

まず、死地に踏み出す勇気あるリーダーこそ、真のリーダーであります。



<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり3分間のテレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


よろしければサポートをお願いいたします。 頂戴したサポートは、より良質な記事をご提供するために、有効に使わせて頂きます。よろしくお願いします!