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偶然か、必然か 35

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.47-48。)

よくクレオパトラの鼻が数ミリ低かったら、世界の歴史は変わっていたであろうと言われます。

クレオパトラは、エジプトの女王で、大変な美人で、そのためにアントニウスがのぼせ上がってしまい、シーザーと戦争になり、その結果プトレマイオス朝が滅んで、ローマ帝国が完成した、というのです。

クレオパトラの鼻がもう少し低くて、美人でなければ……、現実は変わっていたかもしれない……のです。

でも、クレオパトラは、エジプトにおけるギリシャ系の王朝で、美人の出る確率の高い血統です。これは、必然であって、偶然ではないと学者は言います。まして、美人に熱中するのは男の常で、不思議も何でもないと。

そう考えると、偶然はすべからく必然である、とも言えるので、この世の万事はみな必然的にそうなっていると結論付けられます。

そこで、運命論者は、自分の人生は、こうなる星の下に生まれて来ているので、どうしようもないのだと、諦めの境地になります。

しかし、聖書は少し違います。兄達に嫉まれて、エジプトの奴隷に売り渡されたヨセフが、後のその国の司となって、自分の売った兄達と再会した時の言葉に、よくその考えが現れています。

「あなたがたは、悔やむことも、悲しむこともありません。私をこの国に遣わしたのは神です。神が私たちの一族を救うため、まず私をこの国へ送られたのです」

ここには、偶然でも必然でもなく、神の摂理が述べられています。

人間のなす1つ1つの業には、時として、意外なことや悲しいこともあります。しかし、それらを用いて、良き方向へと導いて下さる神の御手があるというのです。

その摂理、プロビデンスとは、備えられたもの、という意味です。この備えの中に、私たちの人生が置かれていることを信じ、安んじて過ごして参りましょう。

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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