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混乱の多い5月でした。

自分自身との戦い

5月は毎年、相談者の不安や焦りがたくさん持ち込まれる時期です。
今年も同様かそれ以上の混乱を人々の心に見ました。特に一人一人の我慢の限界に触れたケースが多かったかな、という印象です。
職場の悩み、転職の悩み、子育てや親子関係の問題、介護の問題、お金の問題、健康面の悩みなど・・・。
皆さんは大丈夫でしたか?

今年の特徴は、各自の悩みの中に「自分自身との戦い」がテーマになっている人を多く見かけたことです。
現状を何とかしなければならないができずにいる人、大事な選択の場面なのにどちらも選べないでいる人、何も動けずにやけくそになりかけている人、自分に嫌気がさして自信を完全に失った人、自己否定的な発想で自身を煽る人、自分がどうしたいのかもわからなくなってしまった人、などなど。

共通するのは、積もる思いを長い間表現できずに窮屈な思いをしてきた点です。自分らしさを守り、自分の哲学を守るために戦ってきたが、その戦いに疲れ、自分自身に疲れてどうでもよくなってしまい、逃げることもできなくなってしまった、という感じでしょうか。
もはや相手がどうということではなく、自分自身との付き合い方に折り合いがつかなくなってしまったのでしょう。

混乱とは

6月に入り、新たな混乱の種は減っていくと予想されますが、すでに生じてしまった混乱については、きちんと整理すべきだと思います。
気候の面から見ても、この先は蒸し暑さの中で我慢する日々が続くことになります。それに伴ってこれまでの「モヤモヤ」は「ムシャクシャした感じ」に変わっていく可能性があります。コミュニケーションが雑になり、他者に当たったりヤケになってしまったりする可能性も増えますから、要注意です。

「混乱」は、混ざり乱れると書きます。
多くの情報や感覚が混ざり、自分の行く道の見通しが悪くなって進みが乱れてしまうという文字通りのイメージがわきやすい熟語です。

モヤモヤもムシャクシャも混乱のしるしです。
言うまでもなく、イライラ、ざわざわなどの感情も混乱につながります。

5月の混乱をうまく整理できなかった人もまだ間に合うので、まずはこれらの内面の変化を「整理」し、立て直してから次のことに着手しましょう。自分との折り合いがつけられないと、周囲との関係で無用なトラブルを生じさせかねません。
自分自身がトラブルメーカーになってしまっては損ですから!

整理とは表現すること

整理するコツは「表現すること」です。
試しに、次の4つについて、あなたなりに文章を完成させてみてください。

①「最近、○○さんとやりとりする場面で戸惑うことが多い」
②「今、○○にしようか○○にしようか、判断を迷っていることがある」
③「最近、妙に心がざわついて焦ってしまうのは、○○が関係している」
④「今、自分が怖がっているのは、○○が○○になってしまうことだ」

いかがですか。
「戸惑い」「迷い」「焦り」「恐怖」と、どれもネガティブな単語です。
これらと向き合うことが面倒で、無意識に封じ込めてしまっていませんか?
単語や文章できちんと表現し、外に出して整理しましょう。

こちらに相談に来られた人には、対話しながらこれらをお聞きするようにしています。私(鈴木)も自分でこれらを表現する習慣がついたので楽になりましたが、以前はモヤモヤの正体がわからなくて大変なときもありました。
ネガティブなキーワードだけでなく、「ポジティブなキーワード」もありますから、それらもセットで表現するトレーニングをお勧めします。
グループ講座のワークにもなっており、人気が高いテーマですから、気になる方は一度受けにお越しください。

ポイントは、自分の中でなんとなく思っているだけではダメだということ。
言葉で表現し、誰かに伝えることで初めて明確に自覚できるようになります。解決方法こそ見えなくても、問題が可視化されて誰かに伝わったことに意味があります。共有できた安心感で心が落ち着き、対処能力が高まり、それ以上のモヤモヤをためなくなっていく点にあります。
普段は課題の整理が得意な人でも、課題が増えると管理能力を失い、たちまちモヤモヤして不安の衝動に駆られて失敗することがありますね。
これは過大なデータをコンピュータ内で処理しきれなくなることと似ています。大きなデータを外部メモリーに記憶させて領域に余白をつくるかのように、処理しきれなくなった自分の課題を脳や心から一旦切り離し、扱いやすくするというイメージです。
生じてしまった課題と上手に距離を取ることができれば、取り掛かる優先順位も自然と見えてくるでしょう。「モヤモヤ」を「ムシャクシャ」に変えて悪化させないよう、工夫してみてください!

客観的な視点と主観的な視点

焦りや義務感などは、ものごとに対して客観的になりすぎることから生じる場合があります。簡単な例で言うと、たとえば仕事に行きたくないと思った人が、「仕事を休んではいけない」と自分に言い聞かせたとき、これは社会通念のフィルターを通した客観的な考え方を自分に課したことになります。
一方、自分の自然な気持ちに従って「仕事を休みたい」という感覚を言葉で表現した時、これは主観に基づく表現といえます。

これらはどちらも大事な視点であり、どちらも必要な視点です。
しかし、どちらかに偏り過ぎたときに問題が生じるのです。
苦しくなってしまう人に限って、主観的な思い(心配・弱音・失望など)を言葉で誰かに伝える機会が少ない傾向にあるようです。

いわゆる「愚痴や弱音」の部分を言葉で誰かに伝えることができれば、自分らしさは保たれ、心は多少ともリセットされます。
とはいえ、「仕事に行きたくない」とひとこと言えば済むものではありません。どんな場面で嫌な思いをし、どんなことを思い悩み、どんな瞬間に悔しく感じたなどと、おしゃべりしながら見えてくることがあります。

一人暮らしの人や家族とのやりとりが希薄な人は、これを語る場面がなく、モヤモヤした状態のまま毎日仕事に出向かなくてはなりません。これを何か月も続け、我慢ばかりで愚痴を言える場面がないと相当のストレスをため込むことになり、心を健全に保つことが難しくなるでしょう。

そもそも、イヤな仕事に就いていなければこのような場面に遭遇することもありませんが、転職に出会える人はごくわずか。
理想の環境に近づくためには、現状と折り合いをつける必要もありますから、そのための愚痴や弱音の表現はとても大切なのです。

私は相談業として多くの人の愚痴や不安、弱音や自己嫌悪に触れてきました。中には、多くの愚痴を抱えているはずなのに美辞麗句を並べ、笑顔で自身の欠点ばかりを話し続ける人がいます。
「弱音や相談ごとがないなら帰って」と私は意地悪なツッコミを入れるのですが。(笑)
愚痴を言ってはいけないと教わった人などは、適切な場所においてもなお愚痴や弱音を話せないタイプの人もいるようです。弱い気持ちを見せてはいけないという風潮も依然として残っており、自分の率直な思いに気づけなくなってしまった人も多いと感じます。
本当は家族や仲間同士で本音を語り合い、受け止め合えると良いのですけど…。

以上、5月の混乱に見る内面の管理に関する考察でした。

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