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知ってるようで何も知らない

私たちの存在の一部はまわりにいる人たちの心の中にある。だから自分が他人からものとみなされる経験をしたものは、自分の人間性を破壊されるのだ。
『これが人間か』 
プリーモ・レーヴィ

アウシュヴィッツの生還者(この表現が正しいのか不明だが)のイタリア人、プリーモ・レーヴィの本を読んだ。

一番印象的だった文章が冒頭のものだ。

『これが人間か』

ナチに対する絶望と憎しみの言葉なのか

異常な環境の中で身体はもちろん倫理観と人間性までも破壊され尽くした囚人自らに対する言葉なのか

それとも人間或いは神に対する疑問なのか

読後もタイトルの意味は無数に解釈でき理解を迷わせた。

おすすめの一冊です。

非常に不謹慎な表現だが、気持ちが弛んでいる時に戦争関連の映画なり本に触れることが多い。なんでなんだろう。命の大切さを…といえば安っぽく聞こえるが、まさにその通り。歴史を知って自分がいかに小さく無力な存在なのかを心に刻むことで、気持ちにわざと波を立てれる。

卒論でナチスに割と触れるから文献や映画を探している今日。第二次世界大戦関連への興味は、芋蔓式に続き止まることをやめない。ソ連、ドイツ、イタリア、フランス…などなど、知れば知るほど範囲は広がり、そしてナチスがどれだけ勢力を広げていたのかを痛感する。

ヨーロッパの歴史や政治に興味を抱く一方で、肝心の日本について無知であることに最近ふと気づいた。イタリアにはムッソリーニがいてナチスにはヒトラーが…と言うものの、じゃあ日本でそう言う立場だったの誰?と聞かれると答えられない。そもそもなんで日本みたいなちっさい島国が真珠湾なんか攻撃することになったんだろう。最初はドイツとポーランドが戦争を始めたなんて聞くけど、大国アメリカをヨーロッパでの戦争に引きずり込むきっかけを作ってしまったのは日本だと言える。なんでそんなことした??

今になって近代史を全てやり直したい気分だ。
日本のことナニモワカラナイ。

少し前にミッチマッチアッチさんと飲んだ時に、日本の映画について聞かれた。小津安二郎とか黒澤明は見たの?と。

いやそれが全く…。

しっかりしろよ〜。と優しい喝が入る。その通りです。
羅生門しか見たことない気がする。

ヨーロッパの古いやつは目を血走らせて探すし見るのに、日本の往年傑作はなぜか敬遠していた。1940-60くらいの日本映画が世界でどれだけ注目されてたか、また今崇拝されてるかは海外のポッドキャストとかで聞いて逆に驚く。

同じ言葉話す国なのになんでこんな興味なかったんだろう。

この前神保町で入った浮世絵の店でも思った。
授業取ってたけどあんま覚えてないな。
ヨーロッパの画家はかっこいい感じがして関心があったけど、浮世絵の画家は全然名前わかんない。

サラッと名前の一つでも出てくればいいのになぁと。


今年密かに心に刻んでいた目標は日本の映画を見ることだったが、あまり達成されてない&もう九月。そしてその目標に日本史と浮世絵の勉強が入りそうである。

知っているようで何も知らないんだな。

あとこれまた引用なのだが、最近見た映画にこんなセリフがあった。

Knowing nothing does not mean innocent.
Downfall (2004)

無知は無垢という意味ではない。

深い言葉である。

頑張ろう。

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