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神様の街

先日「依存症と人類」という本を読み終わった。とにかく分厚い単行本で(実際読めるところは350pくらいだけど)なんだかんだ読み終わるのに1ヶ月くらいかかってしまった。
主にアメリカ、あと17〜18世紀くらいのヨーロッパを中心に、人間と嗜好品の付き合い方の歴史が記されてる。それに並行して、実際極度のアルコール&薬物依存症だった著者の回復までの記録も描かれる(こっちの方が面白い)。
大麻、オピオイド(コカインなど)、メスカリン、その他諸々の薬物に興味がある人は読むと面白いかもです。この分厚い本を夜な夜な読んでいて、あと少しで読み終わるぞ!ってところで印象的な文章が出てきたので思わず日記に記した。せっかくなのでここにも。

『現象をよりよく理解するためには科学が役立つが、しばしば脳を超えたあらゆるものが万事を決定するということを理解する謙虚さが必要なことも肝に銘じなければならない。』

なんだかすごく腑に落ちる。
特に「謙虚さ」って表現するあたりが素敵。

著者の趣旨とは少し違うけど、北海道に来て「自分ではどうしようもないこと」が格段に増えた。それは主に自然にやられることで、そういう状況に陥るとこの人が言う「謙虚さ」という感情を少し抱く(実際諦めだったりするけど)。

東京にいる時はほとんど全てのものが手に入って、予定を合わせれば誰にでも会えて、欲しいインプットはだいたい実現できた。それがこっちにきてから、移動時間はめちゃくちゃ長いし、ホワイトアウトして運転できなくなるし、豪雪で外にもいけないみたいなことが頻繁に起こる。あと職場が森の中だから、オオスズメバチが出るだの、クマがウロウロしてるから帰れないだの、職員がくる途中鹿にぶつかるだの、そういうこともしばしば起こる。
そういう環境だからなのかわからないけど、こっちの人は良い意味で諦めが早い。無理なものは無理だよ。死ぬから。とこっちにきたての時職場の人に言われた時は思わず苦笑いしてしまったけど。

振り返れば東京にいる自分は傲慢だった。全てを知りたがって、全てを手に入れようとする感じ。便利すぎて、自然の力みたいなどうしようもない何かに屈することなんかなかった。強いて言えば誰かが死のうとして引き起こされた電車の遅延くらい。

すごく便利だけど、そこに生きる人の大半は物足りなさそうにしてる。それが東京のイメージ。きっと人間が全部コントロールできすぎるせいでそうなるのかな。

『現象をよりよく理解するためには科学が役立つが、しばしば脳を超えたあらゆるものが万事を決定するということを理解する謙虚さが必要なことも肝に銘じなければならない。』

この言葉は、脳に起こる現象とか、依存症の回復時にあった奇跡に対して向けられた言葉だろうけど、今の自分の環境にぴったりの言葉で、まさしく今の自分に必要な考え方。

人間は神じゃないんだから。できないこと、知らないことだってあるさ。

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