自己紹介の様なもの 2
思いがけず、沢山の方々の反響を頂き、驚いています。
過去の自己との対話で、何かと活力を使いますが、
これからも、簡単な自分の半生と、都度感じた事等を書き連ねていこうと思う次第です。
では、其れからのお話を…。
〜小学生時代〜
そんな自分は、内向的なまま育っていきました。その本質は、現在までずっと。
両親は相変わらず。もちろん、兄も。
時期的には6年間と長いので、多少ボヤけてはくると思いますが。
依然として、父は夜遊びに耽り、たまに12時を回る前に帰ってきたかと思えば、当然酒と煙草の匂いをさせながら、母に「どこどこの〇子が」「どこどこの〇美に」等と、モテエピソード自慢して、母はどんな気持ちで聞いていたのか、うんうん、そうね。と繰り返す日々。
極々たまにですが、満面の笑みで帰ってくれば、手には玩具やお菓子。
誇らしげにぶら下げているそれが、パチンコの景品である事は、子供ながらに分かっていたので、正直、少しも嬉しくありませんでした。
※現在の父は、凄く良い父親だし、父にも事情があります。これは別途書きます。
普通に帰ってきた日も、俺達は1週間即席ラーメンだけで過ごしているのに、
必ずお刺身を買ってきて、それを肴に野球のナイター中継を観ながら晩酌。
俺と兄は、本当はドラゴンボールが観たいのに…と思いながら、試合の流れを伺います。
試合運びによっては、父が試合を観るのを止めるからです。
嫌いなチームが圧勝してる時のみ、俺達にチャンネル権は回ってきました。
ドラゴンボールが観れる!
とはいえ、その反面、父は物凄く不機嫌になり、諸手を挙げての視聴ではありませんでしたが…。
何だか父の悪いところばかり書いたようで、暗くなりがちですが、
そんな中でも、親友と呼べる仲間達との出会い等を経て、この頃は比較的平和だったと思います。
兄は剣道部、俺は地域のソフトボール団にも入り、お互い仲間達と体を動かしていたからでしょう。扱い自体はあまり変わりませんでしたが、各々成長したり、ストレスを上手く発散させていたのかも知れません。
自分も、家では相変わらず大人しい子供でしたが、学校や運動では、
両親が驚く程明るかったんです。でもこれは、コミュニケーションツールとしての、
ひょうきん者の仮面。父からの遺伝か、知識を集めて貯める能力や、ユーモアと頭の回転だけは早かった俺が身につけた、
一番簡単な誤魔化し方でした。嘘の明るさと、薄っぺらな優しさ。
それでクラスの人気者とやらになってしまったんですね。
ヘラヘラしながら、でもそれが一番何も考えなくていいから。
その代償が、20年以上続くとも知らずに…。
あまり色々書くと長くなるので、これ以上詳らかには書きませんが、
高学年になると、これに大好きな曾祖父や祖父の死。
果てには母のホステス勤め等も加わってきます。
それでも、一番穏やかだったのは、この時期だと思います。
各項目については、後々書くかも知れませんが、
一応淡々とした自己紹介としては、今回はこのような感じです。
少し疲れたので、お昼寝します(笑)
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
続きます。
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