残念だった舞台の感想

前に見た、残念だった芝居について書いてみたいと思う。
ネガティブの意見ばっかり書くと思うので、タイトルとかの情報は書かないでおきます。
ですから、読みたい人だけ読んでください。
興味ない人はスルーしてください。

いちおうその芝居をみていなくても、僕がなぜ残念に思ったかはわかるように書いておきます。


ここからが、その芝居の感想。

全体としては、残念としか言いようのない舞台だった。
俳優の演技というか、キャスティングからだめだったのだが、演出、脚本とも見られたもんじゃなかった。
我慢して最後まで見たが、早く外に出たかった。
二時間超えで、終演後のアナウンスなどふくめたら、二時間二十分くらい。お尻もいたかった。

まず何がだめなのかを覚えているところだけ書いておく。

オープニングで、いきなり数学教えている男が客席の方を向いて、サイコパス的な演技で威嚇する。

脚本演出としては、冒頭のインパクトを狙っているのだろうが、完全に失敗している。
オープニングで、客をどん引きさせていることになぜ気づかないのだろうか。

僕は、もうこれで半分くらい見る気を失ってしまった。

続いて、舞台の奥で、青年が飛び下り自殺をする。
でもいきなりすぎるので、これが誰なのかよくわからないうちに飛び下りて舞台からいなくなってしまう。
こういうものでありがちのモノローグがあったかもしれないけど、それはほとんど頭に残っていなかった。
続いてこの飛び下りた青年の過去に戻って家族のシーンがはじまるのだけれど、この青年が冒頭で飛び下りた青年だとは気づかなかった観客もいたのではなかろうかと思う。

オープニングで、出演者全員が出てきてダンスするみたいな、出演者紹介的なシーンがあった。

この手の小劇場の芝居でよくあるやつ。(映像使ったりするのもある)

これって、物語を期待している観客にとっては、物語に入っていくのをリセットされてしまうという効果しかないということを、演出家は気づくべき。

父親が朝食に新聞を読むのをルーティンにしている家庭のシーンがはじまるのだけれど、キャスティングがあってないので、母親が母親にまったく見えない。
若い俳優に老け役をやらせるのには、当然無理がある。その無理を押し通すためには、それなりのことをしなければならないのだが、この俳優に関してはそういうことをしてもらっている節は感じられなかった。ただ違和感があるだけ。

演出、なんとかしてやれーって思ってしまった。

娘役も素人丸出しだし、もうこのあたりで、僕としてはかんべんしてくれーってなってしまった。

素人を使うのがだめではない。

それを出演に耐えるものに仕上げるのが演出の役目でもあると思う。
できないまま舞台に上げられてしまう俳優(志望者)の方が被害者であると思う。

もう演出に対する憎しみさえ湧いてきてしまった。

そのほかにも、いろいろと文句をつけたくなるところのオンパレードだったけど、もうこのあたりで記憶回路がショートしてしまった。

脚本の全体的な印象としては、それぞれの人物たちが『なぜそうなったか』が説明されるだけの物語というもの。
しかもその説明が本人の口からセリフで説明されるというパターン。

それがドラマだと思っていたら、大きな間違いだ。
説明されても、そこには「なるほどねー」ということはあっても感動はないからだ。

『なぜそうするのか』ということの方がドラマだと思うし、面白いはずなのに。

ここまで書いて、この芝居の主人公は誰だろう? と思った。
いろんな人が次々に出てくるので、それがはっきりしないのだ。

僕が高校生に脚本の書き方を教える時にまず言うのは、脚本で最も大事なのは『主人公』であるということ。
主人公の役割は、観客を感情移入させて、物語の世界に導いていくことであると。

そして多くの場合、『主人公はシーンの中で困っている人である』と教えている。

しかしこの脚本では、冒頭十分間、主人公の役割(感情移入させる)をしている人物が見当たらない。

思いっきり好意的に解釈すると、冒頭で一番困っているのは、飛び降り自殺する青年だ。
だからこの青年が主人公なのかもしれない。
おそらく脚本家は、そういうつもりなのだろう。

つぎに困っているのは、映画の撮影現場で無理なスタントシーンをやらされたすえに、事故で大けがをしてしまう男だ。

脚本家の目論見としては、この二人に主人公的な役割を持たせたかったのだろう。

物語の展開としては、この自殺した青年の心臓が、スタントマンに移植されることになる。(これはチラシにも書いてあることなので、観客は事前に知っている情報だ。)

では主人公にしたかったキャラクターが、ちゃんと主人公として観客に受け入れられるように作られていたかというと、そうではなかった。

物語を語るとき、それは小説であろうと、舞台であろうと、テレビドラマであろうと、主人公がもっとも大事なのだ。

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