猫又研修センター

 私はキジトラの猫である。メスのはずあるが、この神社に移り住んで一年で人間に捕らえられて手術されたので、はっきりとメスであるという自信はない。
 住宅街のど真ん中にあるこの神社は木々が生い茂り藪もあり隠れ場所が多く、地域猫の面倒を見る人間も多くとにかく住みやすいが、そういった人間がいるから少し不自由を感じることもなくはない。だが、特に寂しい思いをせず、腹も満たせるのは彼らの存在があるので一概に否定もできない。猫稼業だって、なんだかんだ我慢が必要なのだ。

 そんな私の周りにも、最近ほかの猫が増えてきた。気づけば私も古株である。彼らはまだ去勢されておらず子供も産めるし、人間に対する警戒心も強い。それに引き換え私はぶくりと太ってしまい最近は足取りも重い。私と彼らは、なんだか違うのだ。
 私はただの子供が埋めない猫でいるのは嫌であるし、人間にこびへつらって一生を終えるのも気に障る。そんなこと悶々と考えている時に、この神社の今は無き先住猫のことを思い出した。

 先住猫はクロとかタビと呼ばれていた。燃えるような黄色い目玉に、黒い体毛と、足先が人間の履物のように白くなっているのがなんとも趣深い猫だった。
 彼女はかれこれ20年程この神社の界隈に住み着いているらしく、猫又に一歩足を踏み入れている存在だった。彼女の前を素通りしたときに殴られて以来、私は彼女に頭が上がらなかったが、出会って1年ほどたってからか、彼女の猫としての力も影を潜めてきた。そんな時、彼女が私を呼んで、頼みもしないことをつらつら話し出したのだった。

「私はね、あなたが来る少し前に連れ添った妹を亡くしてね。もう、私も猫としての存在にしがみつくのがしんどくなってね。実はもう猫又なんだが、本格的にセカンドライフを始めようと思うんだよ。そこで、なかなかに度胸のある貴方に頼みたいことがあるんだ。この紹介状を大事に持っておいてくれないかな。」

彼女は私に紹介状の概念を渡した。下等な人間にはわからないかもしれないが、私たちは概念を所持して、それを受け渡すことができる。

「あの、この紹介状というのは何なんでしょうか。」

彼女は、瞳孔を絞ったまま私をにらみつけていた。午後の3時、その時彼女の西側に私は立っていたので逆光のはずである。彼女は端から私を見る気がないのだ。その時悟ったが、ああ、これが猫又研修センターへの紹介状というやつなのだなというように理解した。

 そうだ、彼女からもらった紹介状がある。研修を受ければ、私にも猫又という進路が開ける。私は子は産めないが、尊敬され、しいては人間を飼育することも可能になるだろう。何せ、猫又には誰しもなれるというわけではない強力な存在なのだ。私は概念を紐解いて、猫又研修センターの門戸を開くことにした。

 研修センターへは、猫しか通れない道がある。だれでも研修センターの場所に行きつくことはできるが、猫しか通れない道を通った猫でなければ、そこを研修センターとは理解できないのだ。私は、あの時の彼女の目線を思い出し、瞳孔を絞って逆光を見つめた。そうしてふらふらと1週間ほど徘徊するうちに、自分が猫又になるのがわかった。尻尾が痛み、割れていくのだ。
 私は無事に猫又研修センターにたどり着き、仮猫又になれたのだ。所定の場所に向かうと、数匹の猫又が待機していた。どうやらここで講義が始まるようだ。

 講師がやってきた。驚いたことに講師はあの先住猫クロさんであった。彼女の眼は、まだ黄色くランランと燃えていた。
「皆さんは、この場所で概念となりました。つまりは猫又です。猫又とは、猫であり、猫であったもの、猫以上の力で猫らしくある概念のことです。あなた方が本格的に猫又となるには、まず猫として生命体としての力強さと威厳を身につけなくてはなりません。概念化はその先にあるのです。」
彼女は私になんか目もくれず話し続けた。野心なんてなく、彼女は彼女のままだった。あの時抱いた畏怖とは違い、何か憧れに近いものが湧き上がってくるのをひしひしと感じた。

 猫又研修センターでは、座学だけでなく、猫又になるときまで生き延びる力を身に着ける訓練が行われた。いや、一度目の入所であった私については、そちらの訓練のほうが割合多い。おかげで重かった腹もへこみ、足回りも強く、打撃にも磨きがかかってきた。
 入所から2週ほどたったある日、猫としてトレーニングを終えて毛づくろいをしているところに、先住猫だった彼女が現れた。彼女は私の脇に座り、同じように毛づくろいをしながら語りだした。
「こうして毛づくろいをしていると、猫だったころを思い出すよ。小さなころから捨て猫で、頼るところも少なかったが、気を張って生きてきた。おかげで今がある。あなたも、今辛いでしょう。辛いけれど、あなたがここに来られるということは、あなたに概念になれるだけの素質と、その素質を支える多くの情念があるということなんだよ。その情念を集め、集約できれば、あなたは猫のままだって妖力を発揮できるようになる。私がしたようにね。」
彼女が話し終わると、彼女の身体からあの神社の情景とそれを取り巻く人々が現れた。これが猫又の力の本質なのかと私は理解した。猫には、元来概念を吸収して増幅する力がある。だから、人間が猫又という概念を創出したとき、猫又が生まれたのだ。妖力という概念のもと、猫は概念を放出できるようになり、自らも概念として環境に波及することが可能になったのだ。
「ある程度理解できて来たようだね。それならよい、お帰りいなさい。そして、また何かあったら研修に来たらいい。」
そういうと彼女は姿を消した。そして、私はというと、尻尾の割れ目がふさがっていくのと同時に、意識が遠のくのを感じた。

 気づくと、神社の裏の藪に戻っていた。夢かと思ったが、へこんだ自分のおなかは本物だし、走ってみると以前にも増して力が強くなっている。
 いつものように、人間がいるほうに歩いていくと、奴らまるで化け猫を見たような顔をしていた。してやったり。彼らは私を見るなり感激している。猫又に一歩近づいたのだという実感と、恍惚が私の脊髄を満たしていく。

 ん、やつの手にあるのはちゅーるではないか。
 気に障るなんて言っている暇はない、概念として、彼らに私の存在を刻みつけることも猫又への一歩なのだ。遠慮なく、頂こうではないか。

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