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原芳市 写真集『常世の虫』 - “語り尽くせぬこと”を写真は語る
《常世の虫》 『現の闇』『光あるうちに』に続く、原芳市が紡ぐもうひとつの闇と光の世界。 引用: 写者舎 https://www.shashasha.co/jp/book/tokoyo-no-mushi 原芳市によ…
ポートレート写真は『真実』と言えるか?
ポートレート写真は『真実』と言えるだろうか?
一般的に写真は『真実』を写すメディアであると認識されていると思う。写真表現は『真実=世界がありのままに写る』という特殊な性質ゆえにこれまで独自の発展をしてきたのだろう。写真術が興った初期こそ、写真も伝統的な絵画表現の範疇に収まってはいたが、人々は次第に『世界がありのままに写る』この特殊性に気づき始め、ついには絵画から独立していった。そしてこの性質は、今
原芳市 写真集『常世の虫』 - “語り尽くせぬこと”を写真は語る
《常世の虫》
『現の闇』『光あるうちに』に続く、原芳市が紡ぐもうひとつの闇と光の世界。
引用: 写者舎 https://www.shashasha.co/jp/book/tokoyo-no-mushi
原芳市による「常世の虫」。後書きによると「常世の虫」という言葉は日本書紀の中にあるようだ。タイトルの通り、この写真集にはたくさんの虫が登場する。巣を張って獲物を待つ蜘蛛、小さな虫を食べるカマキリ、
【♯6】 写真の場所性と記念碑性についての考察及び歴史伝承への応用 ━ 【第3章 ベンヤミンの歴史観と場所性】 -1
第3章 ベンヤミンの歴史観と場所性 ここで示した「写真の場所性」に対する私の見解は、ヴァルター・ベンヤミンが彼の著書、『歴史の概念について』*15)などで著した彼独自の唯物史観などの歴史観、時間観念に大きく影響を受けて形成された。そこで語られているベンヤミンの時間に関わる見解は、“写真の中に堆積した時間が保存される”という私の意見を補強し、大きく飛躍させた。
実際、写真に関してはベンヤミンも
【♯5】 写真の場所性と記念碑性についての考察及び歴史伝承への応用 ━ 【第2章 写真の場所性】 -2
2 - 2 Timescapeとしての写真
以上のように、写真の場所性の説明には、場所が内包する(記憶する)時間について理解する必要があった。では、この理論を受け写真が表しうる時間の概念についてもう少し深く考察してみる。
写真とは言うまでもなく、機械の眼を通して人間の視覚がとらえた場所を像として残す技術である。写真の機能は何か、と聞かれて多くの人は主にこのことを挙げるだろう。しかし、前章で説
【♯4】 写真の場所性と記念碑性についての考察及び歴史伝承への応用━ 【第2章 写真の場所性】 -1
第2章 写真の場所性
第一章で触れた写真が持つ過去とのつながりの過程と、過去とのつながりによって得られる写真の深みの正体を考察したところで、この論文の本題に入ることにする。
写真とは時間の流れから瞬間を切り取るものであり、動から静を生み出すものでもある。しかし我々はしばしば完全な静止画であるはずの写真から、その写真の中に存在する大小の時間の流れを体感として感じることがある。それは「静から動を生
【♯3】 写真の場所性と記念碑性についての考察及び歴史伝承への応用 ━ 【第1章 過去とのつながり】 -3
1−3 遺影
1−3− 1 遺影と過去
数ある写真の中でも、特殊な意味をもち我々に影響してくるものがある。それは遺影だ。遺影とは言わずもがな故人を偲ぶために仏間などに飾られている故人の肖像写真のことである。遺影に対して我々が持つ特殊な意識と遺影自体が持つ特殊性から写真そのものが持つ性質について触れていきたい。我々は遺影を故人の身代わりであり、ある種神聖なものと捉えるが、それはなぜなのか。
東日本大震災─アートにできることはなんだろう
卒業制作の記事を書いてから早くも2ヶ月半が過ぎてしまいました。
お久しぶりです。あれから私は大学院に進学し、学部時代の作品の想いを引き継いだ作品制作を始めています。今回はその作品について私が考えていることを記事にしたいと思います。
文末に作品制作のための調査として簡単なアンケートを用意していますので、そちらもご協力いただけると幸いです。
まずは大学院での研究の土台となっている学部時代の2つの