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「プライド」を懸けて勝負しているから、プロの麻雀は面白い

えーと、noteでは大変ごぶさたしております。

実は昨年末から、Mリーグのライブビューイングを見ていて感じた、「麻雀ライブイベントの可能性」について記事を書いていました。

しかし、なかなか納得のいく出来にならず、ボヤボヤしてるうちに新型コロナウイルスの感染拡大が発生して、Mリーグの開催自体が中止。記事も完全に公開のタイミングを逸してしまいまして……。

麻雀界のことについて書こうと思ってもネガティヴな話も多く、なかなかこのnoteも更新できませんでしたが、そこに後輩の金ポンこと最強戦実行委員長の金本さんが興味深いテーマを「キンマweb」に投下してくれました(笑)。

おそらくは「麻雀最強戦2020 最強の麻雀戦術本プロ決戦」の決勝卓オーラスで、朝倉康心プロが逆転手であるメンチンの待ち牌をわからず逡巡してしまい、対局後に謝罪したことから端を発した話なのでしょう。ただ、その内容が自分とはまったく真逆な考えだったのが、ちょっと面白かったのです。

巧拙関係なく、「勝負」に真摯であり続けたいから

また昔話から始めてしまいますが……バイトとして竹書房に入社してまもない頃です。普段は社内での麻雀に負けっぱなしな自分でも、本当にたまたま配牌に恵まれたり役満がアガれたりして、バカ勝ちしたことがありました。

なにせ頭の悪い自分が麻雀で負けることは、太陽が東から昇るくらい当たり前だと思っていた時期です(笑)。勝っても居心地が悪いというか、どうにも申し訳ない。

「すみませんね……」

同卓したメンツに向かって、思わず謝ってしまった自分。するとメンツの一人が、タバコの煙をフーッと吹いて横を向いた後、吐き捨てるようにこう言ったのです。

「謝るくらいなら、勝つんじゃねえよ」

ちょっとショックでした。たまたま勝っただけで、なんでそんなこと言われなきゃいけないのか……。

もちろん、今ならわかります。これは「勝負」だったからです。

負けた人間にとって、勝った人間から詫びられるのは、勝利を誇示されるよりも屈辱です。「こんな勝つ気もない人間に負けてしまったのか」と自分が情けなくなります。負けてクサっているのではなく、「勝負」に対して真摯に向かっているからこそ、そう思うのです。

勝負事なんですから、勝つこともあれば負けることもある。負けた人間が結果を認めずに減らず口を叩くのは見苦しいですが、勝った人間が自分を卑下しすぎては嫌味となります。勝っても負けても、その結果をきちんと消化できないのなら、「勝負」の場に立つ資格はないのです。

さて、金本委員長は上記コラムで、チョンボをして謝る人間に対して、こう言ってたしなめます。

いやいや、僕ら3人みんな得してるので、謝らなくていいんじゃない?
僕も謝るかもしれないけど、これって文化なんだろうな。
なんとなく謝っとくみたいな。
でも本当に謝るなら役満あがったときにすべきだよね。

この判断において、金本委員長と自分には麻雀の価値観に明らかな違いがあることがわかりました。

金本委員長の主張は、「役満をアガって他プレイヤーに損をさせても謝らないんだし、ゲームで損得が生まれるのは当たり前なのだから、チョンボして謝るのはシステム的に無意味じゃない?」と言っているのだと思います。

しかし、チョンボ者は損得を気にして謝っているわけではありません。自分は今でもチョンボをする側の人間なのでよくわかるといいますか(笑)。彼らは「勝負の場で未熟なことをしてしまってごめんなさい」と謝罪しているのです。

麻雀も含め、ゲームの究極な目的は「勝って自分が得すること」ですが、それがすべてではないから、巧拙関係なく人はいろんなゲームに参加するのではないでしょうか。

「負けると謝る文化」と「勝負」にこだわる姿勢

実は金本委員長が言う「負けると謝る文化」は、麻雀プロに限った話ではなく、五輪やサッカーの代表戦でもよく見受けられる光景です。海外のアスリートは試合後、インタビューでは自分の感情をストレートに表したり、試合内容を冷静に分析することが一般的であり、彼らには多くのカメラの前で謝罪する日本人アスリートの姿が、かなり奇異に映っているようです。

一説には、「負けても言い訳をしない」のが日本人の美徳観であるため、ヘタに敗因を言おうとすると「言い訳」扱いされてしまうので、「批判される前に謝ってしまおう」という気持ちになってしまうんだとか。

つまり、麻雀プロが負けて謝罪するのも、周囲の目を気にする日本人らしい「防衛本能」みたいなものなんです。「他人に迷惑をかけてないのに謝る」のは、負けて叩かれないよう無意識のうちに予防線を張っているだけ(笑)。

そういう意味では、自分も麻雀プロが対局で負けた後にただ謝るのは芸がないと思います。謝罪の前に、敗因を分析したり、正着打のアピールをわかりやすく説明した方がよっぽど「プロ」らしい。

では、前述した朝倉プロのケースではどうでしょうか。金本委員長はこういう書き方をしています。

でもプロ雀士はチョンボをしても、相手にも感謝され、視聴者にも損害を与えてない。

最強戦やMリーグという舞台の格、プロの格を落とした?

そんなものないです。

自分は正直、かなりの違和感を覚えました。朝倉プロの最強戦インタビュー後、自分はこういうツイートをしています。

《印象に残ったのが、対局後の朝倉プロのコメント。待ちを変えてアガリを逃したことを悔いるんじゃなくて、清一色の待ちを瞬時に判断できなかったことへの謝罪。「勝負師」ではなく「競技者」としての一言が、今大会の開催自体の重みを感じたというか。 #麻雀最強戦20202020年5月10日午後9:36

今にして思えば、このツイートの言い回しはちょっと誤解する書き方だったのかもしれません。

朝倉プロの謝罪は、同卓していたプロに対してや、観戦していたファンに対しての意味もあったと思います。しかし、「舞台の格」や「プロの格」を落としたという後悔にまでは至らなかったのではないか。では、どんな想いで朝倉プロはあのコメントを出したのか?

ひとことで言うなら、自らの「麻雀プロとしてのプライド」からだと思います。

麻雀プロなら当然わかるメンチンの待ち牌を、あの場ですぐに理解することができなかった。最強戦という大舞台に立つ麻雀プロとして、それはどうだったのか。敗退を後悔するのではなく、自分の未熟な技術が「勝負」に水を差したことへの無念――。

あのコメントは、「麻雀プロの朝倉康心」が「勝負師の朝倉康心」に対して謝罪していたのです。

無意識だと思いますが、その気概を慮らずにわざとプロ意識のハードルを下げるように評価するのは、このプライド高き競技選手たちを擁する麻雀業界を、自らの手で矮小化している気がします。

今こそ麻雀界の「プライド」を伝えよう

金本委員長は続けて、こんなことを書いていました。

プロの格については僕が言うことか分かりませんが、そんなもの不要なんじゃないの?面白がらせるのが仕事でしょ。

「格」とか、「面白がらせる」麻雀が何を意味しているのかについては、あえて掘り下げません。どんな競技であれ、プロにとって一番大切なものは「プライド」だと自分は思っています。だから自分は、麻雀プロがプライドに欠けた行為をしていると思ったら、にらまれようが叩かれようが、SNSやブログなどで批判を繰り返してきました。

逆に言えば、「プライド」はそのプロの実績や技術に裏打ちされたものであり、その「プライド」を感じさせるような麻雀プロの粋な言動や行動を理解して世間に伝えていくのも、業界側の人間の責務だと思うのです。

黒川検事長の「賭けマージャン」報道でも見受けられるように、いまだ麻雀のイメージは底辺にあります(ギャンブル全般に対しての負のイメージが、日本では強すぎるという個人的な疑念もありますが)。そんな麻雀界にも、日々技術を研鑽し、誇りを持って対局に挑む競技選手がいる――世間を麻雀で「面白がらせる」には、そういう事実を知ってもらうことも重要ではないでしょうか。

麻雀プロとして「品格」を持ち続ける選手を自分はリスペクトします。そういった選手が増えて、業界側の意識も変われば、麻雀というジャンルはもっともっとメジャーになれる――そう自分は信じています。

(了)



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